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自分がどんな人か忘れてしまいました

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有り難し有り難し 8

小さい頃からあまり人に好かれる性格ではありませんでした。

人に好かれる人が羨ましくて、好かれている人や私が素敵だと思った人の人への接し方や喋り方など、いろんな人の一部を真似していたら人から好かれるようになりました。

ですがある日「ありのままのあなたでいい」という歌詞の歌を聞き、ありのままの私がどういう人なのか悪い所以外分からなくなりました。
ありのままに戻れば人を傷つける嫌なやつになってしまいます。

どう考えたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「ありのままのあなた」は、「今、こうやって生きているあなた」

こんにちは。亀山純史と申します。

「ありのままのあなた」とは、「今、こうやって生きているあなた」と言うことではないでしょうか。なぜならば、今、こうやって生きているあなた以外に、あなたはいないわけですから。

ある夢や目標に向かって、今、突き進んでいる人にとって、その姿がその人のありのままの姿でしょう。その姿以外のところに、その人の人生は無いわけですからね。ですから、もしも、ある夢や目標に向かって、今、突き進んでいる人に対して、「ありのままのあなた」でいい、と言えば、それは、「更に今以上に努力をする事なんかは必要ない、今のままのあなたでいいんだよ。」と言うことだと思います。

何の努力もせずに立派である人なんかはいないでしょう。みんな社会に適応しようとして生きています。あるいは自分の夢や目標に向けて、努力をしているのです。その姿が「ありのままのあなた」なのです。もしも、ありのままのあなたが、何の努力もしない、好き勝手な生き方をするあなたで、そのようなあなたでいい、となったら、社会は混乱してしまうでしょうね。

以上が私からの回答です。今の姿勢を大切に、すてきな人を目指してください。

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有り難し
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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

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