hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きるのがツラいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

悪い事をしてしまいました。毎日、後悔と罪悪感で生きるのがつらいです。やってしまった悪行を上塗りする善行を、との話を聞いたことがありますが、善行とはどういったことをして生きていけばいいのでしょうか?募金等では、私がやってしまった悪行は到底上塗りできるはずもなく…。お考えをお聞かせ下さい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪行しか出来ないあなたこそを、救いたい、悟らせたい。

こんばんは。亀山純史と申します。

どのような悪行をなしてしまったかは知りませんが、今こうして悔いていることは、とても大事なことです。それはそこに、自らが悪行をしてしまった、という意識があるからです。しかし、そのような罪の意識があるということは、苦しみでもあるわけであり、今あなたは、その苦しみの中にいるのですね。

さて、悪行をどんなに善行で上塗りしても、悪行そのものは無くなるわけではありません。単に上辺だけを良くしているだけです。物の修繕であれば、それでも良いでしょう。しかし、人の心の修繕は、そうはいきません。いつまでも、善行の下にある悪行は悪行のまま残っており、それがあなたの心を苦しめるのです。

では、悪行を消してしまう手段があるのでしょうか。私が信仰している浄土真宗の宗祖である親鸞聖人がお詠みになった御和讃に、
「罪障功徳(ざいしょうくどく)の体(たい)となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」
という一首があります。ここでの罪障とは煩悩のことですが、煩悩が多ければ、それだけ徳も多いということです。今、罪障を悪行に換えれば、悪行が多ければ、それだけ徳も多いということになります。普通に考えれば、そんなことは有り得ないことですよね。しかし、これが悪人正機の教えなのです。悪人正機の教えを、私自身の言葉で説明すれば、「自らが煩悩の塊、真の善行など出来ない自分である、あるいは悪行しか出来ない自分である、ということを知らしめられた者こそが、阿弥陀仏の“全ての人々を救いたい。悟らせたい。”という救いの働きの目当てとなる。」と言う教えです。氷を何かで隠すのではなく、氷を水にするという、阿弥陀仏の「悪行しか出来ないあなたこそを、救いたい、悟らせたい。」という慈悲の教えに耳を傾けていってほしいと思っています。

以上が私からの回答です。ご相談の文面から、苦しまれている様子が非常に感じられました。少しでも、私からの回答がお役に立てれば幸いです。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

こんな自分に、罪障功徳の体となる…のお言葉、ありがとうございました。毎日、いつ他の人にバレてしまうのか、みんなに白い目で見られているような気がして、不安と焦りで死にたくなります。独り身ではないため、その場から逃げるにも逃げられず…。毎日、他人の顔色ばかり伺って生活して一年が経ちます。後悔してもしきれません…。苦しいですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ