猫の死
私の家は、たくさんの猫と暮らしています。猫と生活を共にする様になり、今年で10年になります。この10年の間に、そのたくさんの猫と縁があるのか?我が家にやって来ました。私も迎え入れていました。5年ほど前から、猫が増えてたら、どの子かが死ぬを繰り返していました。こんな事になるなら、猫との縁は金輪際要らないと思っていました。去年は縁も無く、猫が死ぬ事もありませんでした。今年に入り、2匹病気が見つかり、1匹は急に腎臓が悪くなり、先月24日に亡くなりました。もう1匹は心臓が悪く薬を飲ませていました。呼吸状態も確認していました。昨日の朝も元気にちゅ〜るも食べ、呼吸状態も確認し話しかけて仕事に出かけました。昼に仕事から帰った母から、逝ってしまったと連絡が入り、悲しみでいっぱいになりました。
苦しみながら死んでいったのだろう、一人きりで死なせてしまったと、悲しくて仕方ないです。
猫は増えてはいない、なのに立て続けに2匹も亡くなりました。
後悔しかないです。抱きしめて仕事に行けば良かったとか、色々後悔があります。
幸せだったのだろうか?たくさん猫がいて、ストレスもあったと思います。残された兄弟猫は、急に1人になり大丈夫かなぁとも心配になります。
後悔しない生き方はできないですが、今回亡くなった子も含めて、今までに縁あった今は旅立った子達が、私と出会い幸せだったと思ってくれているならと思ってます。生まれ変わって幸せに生きて欲しいです。明日はペット霊園に供養してもらいに行きます。私が日頃から出来る供養があるなら、教えて頂きたいです。
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心の持ち方
私も幼い頃からご縁がありまして、色々な動物たちと暮らしてきました。沢山の子が亡くなっていきました。そして、その子たちから教わったことをお話させて下さい。
動物は人間と同じ言葉をすることは出来ません。しかし、その代わりにといいますか、身振り素振りで沢山の愛情や癒し、温もりを我々に与えてくれる、本当に大切な家族の一員です。
その、無償の愛情や温もりを自分以外の者の為に与える行為のことを、仏教では「布施」と言います。お布施というと、お坊さんに何かをと思われますが、それだけではなく、各々が持てる微力でも構わない、精一杯の力を、自分以外の者の為に使っていくことも「お布施」です。そのお布施の功徳(善いことをしたことの報い)によって、亡くなった子たちは心安らかな世界へと仏様が導いて下さっていることでしょう。
そして、残されてしまったあなたへ伝えたいこと。それは、沢山の思い出と共に、亡くなっていった子たちがしてくれた、沢山のお布施の姿をいつまでも忘れずに覚えておいて、いつかどこかで、自分以外の家族、友人、知人、誰でも構わないので、困っている方に力や知恵を貸してあげること。愛情や癒しや温もりを分け与えてあげること。そうすることで、その功徳が巡り廻って、亡くなった子たちの元へ届いて、魂が安らぐのです。それこそが「供養」となるのです。
最後に、もうひとつ。私も経験したのでわかるのですが、今すぐに元気になることは出来ません。こればかりは、時間が経つのを待つしかありません。なので今すぐではありませんが、胸にポッカリと空いた穴が少しずつ小さくなり、落ち着いてきた時に。出来るだけ、日々を明るく楽しく元気に生きて下さい。そうすることで、向こうからあなたを心配して見ている子たちが安心して暮らせることと思います。
私も明日は動物たちのご供養です。
心を込めてお勤めして参ります。
どうぞ、くれぐれも、心と体を大切に。
その子たちとまた会えるその日まで、精一杯生きていきましょうね。
拝
質問者からのお礼
お忙しい中回答ありがとうございます。今日までに縁し亡くなった子達に対しては、いつも後悔ばかりでした。私に癒しをくれ可愛いと思い愛する気持ちを持たせてくれました。私のこれからが、教えて頂いた通りに行動する事で供養になるなら、精一杯頑張っていこうと思います。
丁寧にわかりやすく回答を頂きまして、私の気持ちは軽くなりました。本当にありがとうございます。