別れることが辛い
以前にも質問させていただいた者です。
何度も申し訳ありません。
先日また旦那の隠していた借金が見つかりました。
クレジットカードは私が預かっていたので、消費者金融で借りていました。
義理父が工面してくれると言ってくれていますが、この癖が治るのかは分かりませんし、もしまた何か発覚したら、もう誰も味方にはなってくれないだろうと思います。
母ともたくさん話し合い、別れた方がいいと言う結論になったのですが、ここまで裏切られてもまだ愛していますし、思い出すのは楽しかったことばかりで、別れることが辛くて仕方ありません。
良い面はあるかもしれないけど、もっと自分がされてきた事に目を向けないとと言われてそれも分かっているのですが、なかなか切り捨てることができません。
向こうも本当は私と別れたくないと言っていますし、借金が解決したらまた一緒になりたいと言っています。
借金の問題さえなければここまでなってなかったと思うと、本当に悔しいです。
お互いまだ気持ちはあるのに、別れるということが辛くて辛くて仕方ありません。
この気持ちをどう乗り越えたらよいのでしょうか?
まとまりのない文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
優しさ=許すではありません
拝
約束を破るという行為は
仏教では決してならない事です
それはそうした行為をしていると
自分の中で都合の良いような
「問題のすり替え」が常態化し
内的問題を発見出来なかったり
さらには解決することができないからです
仏教ではとてもストイックに内的問題と向き合い続けます
それほど嘘をつかないというのは重要です
あくまで小生の経験から言って
もし愛しているならなば
内的問題に自分で気づけるように
逸脱した嘘や裏切りに
周囲が団結し毅然とした対応をとる事が望まれます
とても段取りが大変ですがね
なぜなら端的に言えば
人は動物です
動物は1度強烈に痛い目に遭うと2度と同じ過ちを繰り返しません
これは本能です
これと同じ事で言うなれば
父親であるなら子供を正す為に動くべきですが
この状況では子供の火消しに回っていると言わざる終えません
同じような手法が過去に使われて無いでしょうか?
もしそんなことないのであれば
少し許しても良いかもしれません
しかし
本当に自分で自分の問題に気づいてほしいのならば
許してならないポイントで許してしまっては
ゆくゆく本人のためにはならないのです
例えば依存症の方は往々にして
無意識に相手が許してくれることを想定して計算で行動する事も多いですから
良く観察なさって
親戚友達みんなで協力して
一度距離を置くのもよいかもしれませんね
この社会的罰という痛みで
気づかせるというのは
仏教というよりはカウンセリングの手法ですが本人の内的発見の条件を整えるという意味ではしっかりしたロジックがあると思うので必要と思われるなら試してみてください
またご旦那様と周囲の人に共依存的部分がないか
客観的にチェックしてご自分の普段の生活も気をつけてみてください(これは日本人は共依存と当てはまりやすい性質を持ち合わせているのであくまで診断ではなく自分を守る為の学びとしてお願いします)
以外とそうして自分の問題を知ることで相手の事がもう少し深く見えてくるかもしれません
くれぐれも優しさ=許すではないことを念頭においてあたってくださいませ
合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
旦那は若い頃にもお義父さんに借金を返してもらったことがあるそうです。
でもそれはきちんとお義父さんに返したそうです。
結婚してから借金が発覚して、もう他にはないという言葉を信じ、私や私の母も手助けしてしまいましたが、今となってはそれがいけなかったのだと反省しております。
その時に他にはないのかもっと深く追求し、自分で返させるべきでした。
私を含め、周りのみんなが甘かったんだと思います。
また共依存のことについて調べてみたのですが、少し当てはまるところがありました。
旦那に尽くすことで喜びを感じ、やりすぎていたと思うこともありました。
向こうもそんな私に甘えていたんだと思います。
おそらく離婚という結果は変わらないと思いますが、これをきっかけに旦那には自分がしてきたことの重大さを分かって欲しいなと思いました。