私の気持ちを無視されてきました。回答受付中
旦那と付き合ってるときから、尽くしてきました。家事全般やってきたし、できることはしてきました。結婚した途端、義親や小姑が口出ししてきて、子供の数や色んなことに対して偉そうな態度。旦那は親や小姑と不仲だったと聞いてて、疎遠にしてくれると思ってたけど、違ったみたいて、親のいいなり。長男でお金もかけてもらってたみたいで。昔の家の人なので、長男頼りだったみたいでそんなこと知らないし、結婚した途端偉そうになって。私はどれだけ尽くしてきたかなんてわかってくれてない。私の体の弱さや子供産むときも大変な状態だったのに、大切にされない。結局、子供欲しさにいいようにされたんだと思っています。小姑の性格も、偉そうで受け付けない。私の家族も沢山協力してくれました。それなのに、なんでそんな偉そうされないといけないのでしょうか。そんな偉そうなら、もっとすごい人と結婚されたら良かったんじゃないでしょうか。私みたいなしょぽい人間となぜ結婚したのか。人間的に、尊敬できるような人たちではないのは確かです。もうずっと納得してません。私は利用されたんだろうな。
お坊さんからの回答 2件
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あなたは仏道の上にいます。
こんばんは。大変な思いをされてきたこと、文章からひしひしと伝わってきます。ご自身の体の弱さや出産の大変さも含めて、よくここまで尽くしてこられたと感じます。
まず、お伝えしたいのは…あなたは「自分の願い」にすでに気づいておられるということです。「私は大切にされたい」「一人の人間として尊重されたい」。その気持ちは、とても自然で正当な願いです。ただ、長い間それを表に出さずにきたために、「今さらどう言えばいいのか」「言っても受け入れられないのでは」と迷ってしまっておられるのではないかと拝察します。
そこで、今日はひとつだけ具体的な提案をしてみます。
例えば、こんな風に言ってみるのはどうでしょう。「今日は体がつらいから、この家事はお願いしてもいい?」「今の言葉は、私には少ししんどく聞こえたよ」
たった一文でも構いません。「私はこう感じている」と声に出すことが、縁(人と人とのつながり方)を動かす始まりになります。
もちろん、もしこれが重く感じるなら、もっと小さくてもいいのです。「今日はしんどいから、これだけお願いできる?」こうした形で、自分の負担を少し軽くするだけでも、「自分の願いを表す」練習になります。
仏教では、私たちを「凡夫」と呼びます。欲や怒りに振り回され、不器用にしか生きられない存在という意味です。けれど浄土宗・浄土真宗では特に、「自身の至らなさ・その裏にある願いを自覚している凡夫だからこそ、阿弥陀さまの救いにあずかれる」と説かれます。つまり、「自分の願いを声に出す」ことは、弱さではなく、むしろ仏さまに近づく一歩です。阿弥陀さまは、あなたの小さな声も聞き届けてくださると信じてよいのです。
ずっと我慢してきたあなたにとって、最初の一言は勇気が要るかもしれません。でも、声を出した瞬間に縁が動きます。相手がすぐに変わらなくても、自分の中には「私は声を出せた」という確かな経験が残ります。それは、これまで「利用されてきた」と感じる歩みから、少しずつ「自分も尊重されてよい」という歩みへと変わっていく、大切な一歩になるはずです。
どうかご自身の願いを大切に、小さな一声から始めてみてください。
「利用されたのでは」と感じてしまうあなたへ
文章から、ご主人や義家族との関係の中で、長年尽くしてきた思いや体の負担が軽んじられてきたことへの強い悔しさや虚しさが伝わってきます。「自分は利用されたのではないか」という思いが離れず、納得できない気持ちに押し潰されそうなのですね。
1. あなたの苦しみの背景
尽くしてきたのに報われない感覚
家事や出産時の大変さを支えてきたのに、その価値が認められず「大切にされない」と感じるのは深い孤独を生みます。
義家族からの干渉
口出しや「偉そうな態度」によって、自分の存在が軽んじられているように感じてしまうのも自然な反応です。
夫への失望感
不仲だと思っていた親に従い、「長男だから」と言われる姿勢を前に、信じていたことと現実とのギャップが傷を広げています。
2. 「利用された」と思う気持ちについて
結婚や出産を通じて「子どもを産んでほしい人」としか見られていないのではないか、その思いが根にあるのだと思います。ですが、あなたが感じている「納得できない」感情は、単なる被害妄想ではなく、尊重されなかった体験の積み重ねから来ています。その感覚自体は正当なものです。
3. 心構えのヒント
「私は十分尽くしてきた」という事実を確認する
あなたは弱い体で出産も経験し、家事も担い、家族を支えてきました。それは「利用された」のではなく、大切に扱われるべき大きな貢献です。
義家族と夫の区別をつける
義家族の価値観は変えられません。しかし、ご主人に「私の努力を認めてほしい」「子どもを持つ以上、私も尊重される立場だ」という気持ちを、少しずつ伝えていくことはできます。
境界線を持つ
義親や小姑に「偉そうにされる」ことをすべて受け止める必要はありません。夫婦として「ここからは私たちの領域」と線を引くことが、これからの生活を守る鍵になります。
4. 結びに
「我慢すればよいのか」とご自身を責めておられますが、あなたの思いは我慢すべきものではありません。「私は利用されたのではなく、家族を支えてきた存在だ」という誇りを持ってよいのです。 その上で、ご自身の気持ちを無視せず、これからの人生において「どうすれば自分が尊重される環境を作れるか」を見据えてみてください。
合掌