hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

全てが嫌になりました

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

相談内容は、タイトル通り、「全てが嫌になってしまった」ということです。

自身は去年、就職のため、海外に引っ越しました。
以前から海外就職が夢で、しかもやりたかった職業でした。

半年が経ちましたが、最近、ここでの生活の全てが嫌になってきてしまいました。
自分なりに考えられる主な要因としては以下の2つです。

まず、仕事。
やりがいがあるのですが、働きすぎています。休みの日もずっと仕事をしています。仕事9割、残り1割といったところです。性質上、土日も仕事があり、仕事は夜の10時頃まで。休みは週一回のみです。
仕事の量を自分でコントロールすればいいといつも言われますが、休みの日にしないと追いつかないので、してしまいます。

次に、住環境の悪さ。以前住んでいた家があまり静かでなく、寝不足になってしまったので、お金を使ってより家賃の高い家に引っ越ししましたが、さらに環境は悪化。

早朝、夜中問わず、隣人の扉のしめる音、足音、隣の家からの話声や生活音、工事の音など・・・生きている限り避けられないのは承知していますが、あらゆる音が苦痛に感じるようになりました。もともと音には敏感なのですが、最近さらに敏感になっているような気がします。

それに加えて、最近ホームシックになり、
家族や友達に会いたい、家でゆっくり寝たい、、、などと毎日思うようになりました。

自分がしたくて選んだ道なのに、毎日楽しく過ごせてないことが嫌です。
それ以上に、それを変えられない自分に嫌気がさします。

自分で色々とマインドセットを変えようと努力してみましたが、どうしてもポジティブになれないんです。

しんどい、つらい、としょっちゅう思うようになりました。
何度もおれそうになって、奮い立たせて、また折れそうになって。。。の繰り返し。

こんな思いをするためにわざわざここに来たわけじゃないと思います。
自分で選んだんだから、そんな甘えたことを言うな!と言われても仕方ないと思います。

でも、しんどい。つらい。その言葉がずっと頭の中にあります。

どうすればいいでしょうか。
どうかアドバイスをお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大事なのはバランス

不幸感は同じ事を長時間続ける事で発生します

ストレスが不幸感に繋がるわけではありません

ストレスが無ければ幸福感を得る事もありません

幸福感は「静」と「動」の変化がある事で発生します

山登りやジョギング、筋トレはわかりやすいですね
ずっと動き続けることは不可能で止まった時にどっと幸福感が溢れ出ます

端的に言えば問題は
脳内の快楽物質がうまく分泌できる環境を自分で整えているかどうかです

疲れるというのは
殆どの場合身体ではなく
脳が疲れています
これは同じ問題を何度も考える
脳のバグが引き起こします

つまり基本的に不幸感はこうした脳の機能不全が引き起こすことを基礎として理解してください

禅では座ることで
まっすぐに姿勢を維持し
こうした思考のバグをしっかり認識できるようアプローチします

すると大概呼吸すらまともにできていないことに気がつきます
そして気がつけば同じ問題ばかり復唱しているだけで何も問題解決に向けて動いていない事に気がつきます

こうしたことから病まない為の方法として同じ事を長時間しない事で回避でき
何か普段しない事に挑戦する事で予防できるという言い方もでき仕事のスタイルは変えるべきですね
どうせ長続きしないなら
100点の仕事である必要はなく
人に頼れば良いのです

もう一つは
シリアスな問題をシリアスに捉えない事ですね
自らの問題を笑い飛ばしながら人に話せば相手も笑いながら聞いてくれます
ところがシリアスに話されてもよほどの聞き上手じゃない限り反応に困ります

自身を守る為今大事なのは問題を
アウトプットして共有する事です
どちらの道を選ぶかではなく

今散らかりっぱなしの問題の数々を
一つづつ解決し片付ける事です

{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ