祖父の自殺から立ち直るには
祖父が先日自殺しました。病死した祖母に会いたかったのだと思います。
亡くなった時に祖父が着ていた服のポケットに祖母の写真がたくさん入っており、遺書にも「これで祖母のところに行けます」と書いていたそうです。
祖母の49日が終わるまで決行すると決めていたのでしょう、遺言書の作成や身の回りの整理や手続きを知らない間に済ませていました。カレンダーに書いていた命日以降の予定にもバツ印をつけており、亡くなった時間も祖母の死亡時刻と同じ(推定時刻にはなりますが)で発見されるまでもがき苦しんだ跡もなく両手に握りこぶしを作っていたそうです。
死んで祖母に会う覚悟を決めていたのかもしれません。
祖母の遺骨は祖父の49日と同時に納骨することになり2人の遺骨を並べているのですが、それを見て「祖父はこうしてほしかったのかもしれない」と私は思っています。
祖母に会えるなら死ぬのも怖くなかったのでしょう。
それでも、1人淡々と準備を進めている祖父の姿を想像すると苦しいです。最近手術したばかりで成功し助かった命でした。健康に人一倍気を使っていましたし、もっと長生きすると思っていました。
一番不安なのは、祖母に会えているかどうかです。自殺すると、地獄に落ちる、死んだ瞬間の苦しみが永遠に続くとよく聞くため、祖父が向こうの世界で穏やかに過ごせているか心配です。
祖父が亡くなった日、父が夢で祖父と祖母が手を繋いで歩き父の方を向いて笑っており、今まで亡くなった親族が全員出てきたそうです。「会えたよ」というメッセージだったのでしょうか。
そしてこれから私はどのような気持ちで過ごしていけば良いのか分かりません。
自分に自信が無い、要らない存在だと思ってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教では自殺を特別視しません
お祖母さんが亡くなったのに続きお祖父さんが自殺(自死)なさったのですね。のこされたご家族の皆さんはたいへんなお悲しみでしょう。お辛いこととお察し申し上げます。
さて、仏教では自殺(自死)を特別なものと考えません。覚った仏弟子の方が自殺なさったことがありましたが、お釈迦さまは、問題になさらず、その仏弟子が覚っているのは間違いなく、死に方がどうであれ、もはや迷いの世界をさ迷うことはないとおっしゃっています。その他にも自殺なさった方、自殺を試みようとなさった方がありましたが、どのケースを見てもお釈迦さまは自殺を特別視なさっていません。したがって、お祖父さんは自殺なさったのだから苦しんでおられる、ということは少なくとも仏教においては、ありませんのでご心配なく。
お祖父さんが、お祖母さんと一緒のところに行っておられるかどうかですが、私たちの浄土真宗の教えからすると、阿弥陀仏の浄土(つまり覚りの世界)で出会われていることになります。「倶会一処」という四字熟語を検索してみてください。ともに一つのところ(つまり同じ覚りの世界)で会うというのが簡単な説明ですが、もっと詳しいことがいろんなサイトに書いてあります。
お祖父さんも、お祖母さんも宗教には熱心ではなかったとおっしゃるかもしれません。でも、坊さんである私を含めて人間には本当の意味での宗教心などない。そんな者だと仏様はずっと以前からご承知なので、私の宗教心をあてたよりにせず仏さまの方ですべての者が救われるようにしてくださている、というのが浄土真宗の教えです。
私の宗旨、浄土真宗はそのような教えです。この立場にたてばあなたはお祖父さんのこともお祖母さんのことも何も心配する必要はありません。
お祖父さまが、そう望まれたこと。
亡くなった方は
阿弥陀さまに導かれて
皆お浄土に往きます。
そして仏さまに成ります。
きっと
先に成仏されたお祖母さまに
再会されていることでしょう。
私はそう信じています。
お父さまが見られた夢も
そういうメッセージだと思いたいです。