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また恋愛したいと思うのは非情?

回答数回答 3
有り難し有り難し 33

こんにちは。
ご無沙汰しております。

ご相談があって、メールしました。

先月、彼の3回忌でした。
あっという間の2年間でした。
この2年間、大きな成長もなく、ただただ日々を過ごしていたなと感じる一方、
よく生きたなとも思います。

また彼の存在が特別ではなく、
日々のできごとを報告する相談相手のような、
わたしの日常に溶け込んでいる存在に変化していって、
なんだか切なくもあります。
日にち薬なのか、過去の出来事になりつつあるのか、、

恋愛したい気持ちも出てきたのですが、
これは非情なんでしょうか?
いま誰か特定の方に想いを寄せているわけではないのですが、
恋愛したいな、いつか結婚したいな、
自分より大切だと思える存在をみつけたいな、と思うようになりました。
この気持ちを持つことはいけないことなんでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自然-自分がこうあるべきと思い計らう以前のもの

おはようございます。ご相談拝読しました。

どんな気持ちも「いけないもの」などではありません。というのも浮かんでくる気持ちを私たちは選べるでしょうか?そうではないでしょう。

どんな気持ちでも、それがたとえ自分にとって不都合であったり不謹慎と感じるものであったとしても、その気持ちはその時に湧いてきた自然なものです。自然現象に「これは良いとかこれは悪い」と評価・判断をくだしても救われません。

その時の自然な自分として受け止め、受け入れていくことが大切なように思います。

「自分より大切だと思える存在をみつけたい」

という気持ちは素敵なものであると思います。そうはいっても相手がいることですからやはり思う通りになるものでもありません。自然な気持ちにブレーキをしたり、自分をあるべき正解のような姿に縛るのではなく、素直に日暮らしを送る中でまたご縁に恵まれることを念じます。

人間は複雑な生き物です。ですから亡くなった彼との時間、彼への気持ちを大切にすることと、新たなご縁を求めるということが矛盾すること無くあなたの中に同居できるのではないかと思います。

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

そのように思うのは自然なことです。

そのような気持ちが出てくることは
非情でも何でもなく
ごく自然なことです。

どうおその気持ちを
否定することなく
大切になさってください。

亡くなった彼にも
胸を張って報告できるような
素敵な出逢いがありますように。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

非情じゃないですよ。

仏の世界にはヤキモチも恋愛もないです。といいたいところですが、それじゃ人情も素っ気もないですね。。
非情かどうかを案じる前に彼にヤキモチ妬いてほしい気持ちはまだありますでしょうか。そこが自分目線での判断の基準でしょうか。

相手目線に立つと、、、
彼と比較されることはこれから出会う相手には非情です。恋愛そのものが非情というわけではないです。

彼は彼です。恋愛は恋愛。
彼にまだ恋してるなら話は別ですが、ここまで成長させてくれた私にとって大切な存在が彼のポジションです。

これから出会う気になる相手が俺と彼とどっちが好きとかいう人レベルなら、違う相手をすすめますね。
彼の命日に一緒に手を合わせられる相手と巡りあえることを願います。

勝手言ってすいません。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

質問者からのお礼

すぐにご回答いただきまして、ありがとうございます。

そうですね。彼の命日に一緒に手を合わせたり、一緒にお墓参りができるような関係が理想ですね。
そうなるためにも、彼は彼、新たなご縁はご縁として、自分のなかで整理していきたいなと思います。

たしかに「気持ちに正解はない」ですね。
良い、悪いで判断しがちな自分がいましたね。
それがいったい何の判断基準なのか・・・言われてみたら、不思議です。

これからは、新しい出会いも大切にしていきたいと思います。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ