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中絶

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幼稚園年少組〜高校生3年生迄父からDV被害。
3度と地方の市内シェルターへ盥回し。
後に精神病院へ3年間の強制入院後強制退院。

拒否権無く2020年7月末に区役所に簡易宿泊施設に強制収容させらる。男女共用便所にて強姦寸前が幾度と有り彼氏の家に2020年9月に避難。

避妊を求めたが願い虚しく2020年の翌月10月26日に妊娠発覚。

パートナーの主張▽
○世間体の順序を守りたし
○現在財政難
○コロナ禍である

以上により中絶を私に要求。

2年後に結婚したら子供を授かりたいとの事で昨年末12月22日13時30分に中絶をしたが中絶後に情緒不安定。外で妊婦を見ると妊娠が嬉しかった感情や母子手帳を一人で貰ったり誰にも相談できず区役所で泣く日々、私の親族に責められる上に彼氏は私の存在を彼氏の両親にすら話していなく子供の事も伏せている状態。その後の手術台を思い出したりで喪失感に苛まれ号泣してパートナーを責めてしまい自己嫌悪に陥る繰り返しで躁鬱の様な状態が日々続き、精神面で降参気味。

現在は苦しい過去が詰まった都道府県を出てパートナーの住む新天地で同棲中。

新天地の区役所の人が心療内科の受診を提案するが強制入院をさせられお薬の名目を疑問視するだけで監禁された事を思い出しお薬に抵抗有り偏見を持つ始末。

パートナーは将来の妊娠の為に年数掛けて蓄積された精神のお薬を抜いてほしいとの事。私は精神薬を飲んだ方が安定の可能性を感じられるが彼の考えも知り心療内科に行けずな優柔不断状態。

やってみないと分かりませんが私はお薬を飲まずにカウンセリングや認知行動療法で立ち直れるでしょうか?認知行動療法の本で自分の脳癖と感情や言動の傾向はある程度理解しましたが、子供の供養以前に私の状態を改善しなければ何もできない状態です。

第三者の意見や前を向きながら供養する為にこの文書の中で今の私に必要、適切と思われるお釈迦様の言葉を授けて欲しいです。

過ちは黄泉の国で償うので現世での軽率な所業を根性を叩き直していきたいので背中を押す救いの言葉をどなたかに求めます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「お釈迦様の言葉」が「救いの言葉」になるかは、あなた次第

こんにちは。

これまでの経緯を読み、あなたの苦しみを思います。
辛かったし、今でも辛いことでしょう。

「お釈迦様の言葉を」とのことなので、有名な一つのお言葉をご紹介します。
これは、お釈迦様の最期の言葉と伝わっています。

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。『マハーパリニッバーナ経』

物事は移り変わっていく、諸行無常である。
人も、物も。
人間関係も、取り巻く状況も。

しかし、その移ろいゆく中にあって、今、手の届く範囲は今だけです。
ただ過去を悲観するのでもなく、徒に未来を悲観するのでもない。

その今を「怠ることなく努めよ」と仰せです。
ここでまず注意すべきは、これが「比丘たち」、つまり僧(広くは仏教徒)に向けられているという点です。これは、直接には仕事に励め、人間関係に励めということはでありません。仏道修行の完成を「怠ることなく努めよ」と言われているのが本来の意味です。

あなたは、「供養」ということを問題意識として持っていますね。
ただ、これは仏教徒が仏教の意味を理解した上で行う仏教的な行いです。

つまり、釈尊のお言葉をあなたが自分のこととして受け止められるならば、仏教を拠り所とする仏教徒になって、仏教の教えと行いに生きなさいと直接お言葉を頂いていると思って下さい。

まず、その前提が成立してこそお釈迦様の教えは、あなたのほんとうの意味での血肉になります。この「お釈迦様の言葉」が「救いの言葉」になるかどうかは、あなた次第です。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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心の真の安らぎの地を求めて…。

出会う人だからと言ってその人が最高最上の人であるとは限らないもの。
出会うもの・出会うことだからと言ってその物事があなたにとって最高、最上の出会いとは限らないもの。
さて、大事なところ。
あなたが今まで考えてきた事、思えたこと。
そして今から思うことも、必ずしもその「思い方・考え方」があなたを幸せにさせてくれる確かな内容を持った思いではないものです。
貴女の安心の為にこそ、あなた自身の中で生じる思いの質そのものを客観的にみつめてみる必要がある。※それがあなたを傷つけている思い。
人間、各自に心が備わっているものの、その心の中で「何を思うか」はそれぞれ違います。
その心の中で悪しきを念ずれば心は悪となる。
各自の心のディスプレイの中で何を思い、何を映すか。何を念ずるか。何を選ぶか。どう描くか。どう動かすか。
人生の中で日々、歩みを進める先を選んで安穏の地を探し求めてきたように、
心の中で向かわせるべきところがある。
心が安穏な心に帰する、向かわせる為にも処し方と言うものがある。
各自が自分の心のドライバーです。心の暴走運転はいけません。
その最上、最高の安全運転にこそあなたが求める答えがあります。
では、どうすればよいのか。
身心ディスプレイに映ることに対して「自分が自分が自分が!」ということを持ち込まないことです。静かに心を見つめてみればものすごく微細ではありますが驚くべき程細かな能動的意識「わたしルール」が盛んに動いているのです。
菩薩や仏(求道者や覚者)の心は、映ることが映るままでかるたのお手つきのない過ごし方なのです。パソコンやスマホでいえばカーソルを動かしたり、画面にタッチしない様子なのです。受信することは受信している。ですが、そのことに対して今からあなたも何も意識的に反応をしないという姿勢を徹底的に貫いてみることです。それはあなたの心を安らかな心に導くために必要不可欠なことです。本当にこの自身の心をして何もさせない。聞こえたこと。思えたこと。見えたこと。感じていることをそのままお手つき無しに過ごす。
「誰のものでもないものを誰のものでもないままに…」これを繰り返し念じて、自身の沸き起こる想念に手つかずに過ごすのです。
これを継続していきますと能動意識、わたくし意識が静まります。
そこから開かれる世界は「私にとって」という条件付けのない安らかな世界です。

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おきもち

仏の心とは大慈悲なり

拝読させて頂きました。
あなたが今までとても大変なことに合いながら本当に辛い思いをなさっていらしたことを読ませて頂きました。その辛さは今も筆舌に尽くしがたいことでしょうし、あなたを今も苦しめておられたり、日々不安な思いをなさっていらっしゃるのかと思います。あなたのその辛いお気持ち全てはわからないですが、あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
あなたは今も決して独りではありません、パートナーとのご生活もあるかとは思いますが、あなたは今も沢山の方々に守られています。仏様はあなたのことをいつも見守っていて下さいます。あなたのご先祖様方もあなたのことをいつも見守っていて下さいます。
あなたはとてもつらい思いをなさったかもしれません、そんな時もあなたを仏様やご先祖様は見守り続けていて下さいます。そしてあなたを優しく受けとめて下さいます。
今もあなたの心の中では様々なつらい思いや苦しみや不安がおそってくるかもしれません、そのような時には仏様やご先祖様方に心から手を合わせてあなたの思いをありのまま素直にお伝えなさって下さい、悲しい時には泣きながらお伝えなさって下さい、苦しい時にはその苦しみをお伝えなさって下さい。あなたの思い全てを仏様やご先祖様方は必ず受けとめて下さいます。そしてあなたを優しくお導きなさって下さいます。

あなたが今でもとても後悔なさっておられることもあるかもしれません、先に旅立って行ったお子さんのことを思うと悲しみにくれることもあるかもしれません。そんな時にもどうか仏様やご先祖様方に真心込めてお願いなさって下さいね。またあなたの思い全てを仏様やご先祖様方に心からお伝えなさって下さいね。
必ずその子を仏様がお導きなさって下さいます、そしてご先祖様方がその子を優しく迎えて下さいますからね。あなたの思いを仏様やご先祖様方は受けとめて下さいます。どうか安心なさって下さい。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

一向寺 Kousyo Kuuyo Azumaさん。
寛大なる心中の御理解に御礼申し上げます。
御礼が遅れてしまい御無礼ご容赦下さい。

家から徒歩圏内に宗派が判明せぬ地蔵尊様の祠が在ります。その地蔵様の御姿を写された石版の歴史は江戸時代に遡ると聴きました。

何処を歩けどビルとマンションにしか当たらず六十分程掛けて移動しないとお寺が無いので近所の地蔵様の祠には雨天以外は毎日の様に通っています。元々の地形故に雨天の日は台風の様に暴風雨です。晴れや曇の日に祠でお賽銭を入れて三人分のお線香を立てて毎回の様に謝罪の弁を述べています。時々パートナーも連れていき二人で子供と御先祖様、お釈迦様に謝罪をしています。最後には日々の感謝も述べています。

私は、Kousyo Kuuyo Azumaさんの仰る通り沢山の方に恵まれています。ですが、現在の私を負の念が縛る様に自身を苦しめて地縛霊の様で生きた心地がしません。私事だけで済まされるならまだ良くとも周囲の方々に負の念をお裾分けしてしまっている様で心苦しい日々です。真摯に向き合い心からの謝罪を述べ伝える事が先ずは自分が出来る供養かと思います。

のちに心の余裕が出来ましたら次にお寺に足を運ぼうと考えています。先に生まれた生者の都合で自分のお腹の子供を病院で殺めてもらってしまった事にかわりはありません。

子供や御先祖様、お釈迦様に贖罪と謝罪の想いが届き続ける事を願い続けるばかりです。

安穏寺 丹下覚元さん
お忙しい中、御鞭撻を感謝申し上げます。
分離不安症から来る固定概念の修正は私の課題であります。

妊娠中の方を見ると自身の選択でも有ったのに喪失感から自分の心が鬼の形相をして私の心を病ませてしまいます。

私を傷付けている思いに気付くのに幾数日、数ヶ月、年が掛かるか分かりませんが探ります。

心の画面は破損してしまっているかもしれません。明るくなったり漆黒になったりを繰り返したりを猛烈に繰り返している様に思えます。心の安全運転を知る必要が有る様なので先ずは心を落ち着かせる為に写経の本を休日に買い求めに行く予定です。

心の中で自分の主張が一番声を張り上げている状態に在ります。最初は二十四と云う年月しか生きてきていない若気の至りかと思いましたが自己憐憫だと知りました。

己の自己憐憫から来る私常識を終止させるには自分を無視する力と云うのも必要なのだと丹下覚元さんのお話から理解できました。

そして、前回綴った後に私が「馬と鹿」な様な事で悩んでいる。と云う事に気付きました。客観的に見ればな己の事を日本の終末期の様な大きさで苦しんでいました。

心の言霊にも気を付けて生きてゆこうと思います。御鞭撻、感謝致します。

報恩寺 悠水さん
未々、未熟な学故に悠水さんの名字を読めず綴れずお恥ずかしい限りでございます。

「つらい」と云う言葉に身を任せる逃げてしまっては身を滅ぼすのは時間の問題だと理解しているのですがこれも因果応報の積み重ねによるものだと思い安らぎへ逃げずに向き合う事に致しました。

環境が1つでも変化する事に恐怖を覚えていました。変わってまえば過去を悲観できなくなる。過去を悲観する事で今の私は成り立っている。自分の現状をDVや中絶をさせた他者へ責任転換をし一時的に心を落ち着かせる事を繰り返して楽を得る。未来を悲観する事で自己憐憫で居られる。正当化の為の愚者の本懐そのものでした。

未来を明るく持つ為に暇な時間を減らし日々を真面目に過ごす事に決めました。暇な時間が有れば自分に負な方へ思考をしてしまうからです。

出逢いが縁ならば言葉も縁だと考えていますのでお釈迦様の言葉も救いになりましたが、「悠水さんからの言葉」がなによりの励みになります。感謝申し上げます。

小学生5年生から高校3年生迄、父の2番目の後妻さんに「先祖、水子霊様の供養」と「魂、明朗」を護摩木に書かされていました。

御縁、お導きが有るならばその時は御縁、お導きに身を任せたいと思います。

皆様の言葉を紙に綴り心の鍛錬に努めます。
お忙しい中、私の様な小童の悩みに耳を傾けて頂き感謝しきれません。

本当に有り難うございました。この御恩は絶対に忘れません。また人生に躓く事があり私を見かけましたら、どうぞ宜しくお願い致します。

「中絶・堕胎の辛さや後悔と救い」問答一覧

報告と質問

いつも大変お世話になっております。 この度は以前質問した内容が解決へと向かったことの報告と、 更にそこから生まれた疑問について投稿させていただきます。 報告させていただくのは、こちらの件です。 https://hasunoha.jp/questions/69445 その後、お相手の方と共通の友人を通して謝罪することが出来ました。 相手の方曰く、「全く気にしていない」 との事だったのですが、それでもどうしても謝罪したく、身勝手を承知で謝罪のメッセージを送りました。 その結果、相手の方は許してくださっただけでなく、こちらの身を案じる言葉をくださいました。 感謝してもしきれません… ちなみに、私がやってしまったかもと思っていた悪行ですが、友人3人と両親、さらには当時の担任の先生にも聞いたのですが、 そのようなことはなかった。との事でした。 思い込みだったのかもしれません… そしてここから先は質問になるのですが、 小学生の頃、私は数多くの悪行をしてきました。 今となっては何故当時そのような事をしてしまったのか、今の自分とはまるで別人のように感じます。 自身でも調べてみたのですが、私の発達障害の特性上そのような傾向があるようでした。 (⚠️全ての人がそのような行いをする訳ではありません) 今では周囲の人々の支えもあり、自身が犯してきた罪の数々を深く反省、後悔しその分善い行いをするように心がけています。 ですがやはり過去の罪は消えるものでは無いですし、罪悪感に苦しみます。 過去の自分は過去の自分。 今の自分は今の自分。 とある程度割り切ることも大事なのでしょうか…(もちろん、罪悪感を忘れるという意味ではありません) 過ちを繰り返していないことから、成長し学んだのだ。 と、前を向いて生きてもいいものでしょうか…? 長々と失礼いたしました。 お手隙の際によろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

中絶を考えています。

夫も私も所謂きょうだい児です。( 知的障害)また、わたしはadhdと不安障害診断済みです。 私は子供を望んでいませんでしたが、夫との子供ならと考え、妊娠しました(6週) しかし、急遽転勤になってしまい、かなり田舎へ住むことになりました。 最初は嬉しかった妊娠が凄く不安になりました。 理由としましては、 ·大人の発達障害を診て下さる病院が少なく、電話を何件かしましたが受付ていただけませんでした。頼れる精神科がありません。 ·車がないとどこもいけない場所で、私は運転ができないこと。 ·出生前診断を考えていたが、引っ越しのタイミングと週数が重なり、予約が難しい。 ·夫の両親は亡くなっており、私の唯一頼れる母も病気治療中、働いているため頼れない。 ·ネットで調べた障害の遺伝や、発達障害者は産むべきじゃないなどの意見をみて不安を感じた。 ·夫も4月から新しい職場なので、休みづらく頼れない。 ·夫は目が悪く、あまり車の運転をさせたくない。 以上のことが重なり、あまり眠れずご飯も食べれなくなり、皮むしりや爪かみをしたり、体調がかなり悪く辛いです。 赤ちゃんも調べたら、予想の週数より小さいようです。 望んだ妊娠なのに、最低な考えは承知です。ただ、希死念慮もある今の精神状態で産むのは、私自信も辛く育ててあげれる自信がありません。 夫は優しく、命の選別だと出生前診断もあまりよく思っていません。楽観的でなんとかなる。と言われます。けど夫は40近く、年齢的には先に亡くなります。 体調がつらい話しなども伝え、中絶を伝えたらずっと泣いています。 何とかするからと言われますが、普段はずっと会社で、根拠もないじゃん!と当たってしまいます。 私はプロフィールにも記載した通り、家庭環境もよくなく、子供に同じような環境を与えたり、私の発達障害を遺伝させるのはつらいです。。 今週土曜日には、どうするか決める予定です。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

中絶しました。

不快な思いをされるかもしれません。申し訳ありません。 付き合って約7年、同棲して約6年の彼の子供を妊娠、中絶しました。婚約中です。 元々子供は授かり物だからいつかできたらいいねと話していました。何年も避妊なしで性行為をしていましたが妊娠せず、私は根拠のない大丈夫だろうと軽はずみな考えで行為に及んでいました。 彼との子供を妊娠したとわかった時、驚きと不安でしたが私も親になれるんだと嬉しかったです。妊娠がわかってすぐ、お互いの両親には早めに話し、私は体をよく使う仕事をしているので職場の上司、数人の同僚には妊娠したことを伝えました。 でも徐々に妊娠後の生活が現実味を帯びてきて、経済的に厳しく生活が苦しくなることが不安で出産への勇気がでませんでした。彼との話し合い中で、彼から中絶の選択肢を提案されたとき、ほっとしてしまいました。自分の生活とお腹の子を天秤にかけ、お腹の子を犠牲にしました。 多少苦労はするかもしれないけど、車を売ったり、私が勤務形態を変えてもらったり、両親に援助してもらったり、生活レベルを落とすことで産む事ができたかもしれないのに、自分を変えるのが嫌で産むことを諦めてしまいました。 両親や職場には中絶したと伝えられないと思い、中絶前でまだお腹の中にいるのに流産したと嘘をつきました。まだ生きてるのにいないことにしてしまいました。最低で自分勝手だと本当に後悔しています。自分が醜くて許せないです。赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。 赤ちゃんはどうしたら天国で幸せになれますか。赤ちゃんに謝りたいです。 また私は生きていていいんでしょうか。

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中絶後、身勝手な自分が嫌でたまりません

6月末に第3子になるはずだった我が子を、夫から産むか離婚かを迫られ、1人で育てられる自信もなく、中絶を選びました。 夫とは夫婦生活もありますが、1度も供養に行っていない、話も出ないことから中絶がなかったかのようにされていると感じ(最初は誘っていましたが、返事を貰えず、1人で水子地蔵にお参りに行っています)、今の家族を選んだはずなのに、なぜ私は、あの子を諦めなければならなかったのか、もしいたらもう性別もわかっていただろうか、など無意味なことを考えてしまいます。今更そんなこと考えてもどうしようもないことは分かっているのに、産みたかった、愛したかった、抱っこしたかったと思いが消しきれません。 妻として母として未熟だったから、産むのが許されなかったのではないか、私がもっときちんとしていたら、私が、わたしのせいでと思います。 今ですら「だから産まなきゃ良かったのに」と夫に言われています。「クズ」や「そんな価値しかない」等言われますが、その通りかもしれませんが、傷つくし、これ以上傷つくのが嫌で自分の本音を話すこともできません。 自分にそんなキャパはなかったのだから、今いる子供たちと夫と、生きていくしかないと思う日もあります。 しかし先日知人から出産報告を受けた時に、「おめでとう」と思うのに、「私はどうして産めなかったの」とすごく身勝手などす黒い気持ちが出てしまいました。 中絶された子は、二度と私のところにもどってくることはありません。 はやくその子の元へ行き、謝りたいと思いますが、誰にも言えない子にしてしまった私しかその子のために手を合わせら祈ることが出来ません、唯一私がその子にとってしてあげられることなのだから、強く生きなければとも思います。 それでもイヤになってしまいます。 子を殺した罪から逃げ出したい、人に言えないことをした自分が恥だし、自分の気持ちも分からず、もう楽になってしまいたいと考えてしまいます。 子供を選べなかった自分は母としても失格です。 「価値もない」と言われればそうだよなと思うし、いない方が子供たちのためではと考えることもあります。 それでも生きていたい気持ちも消えません。 矛盾した気持ちの間でウロウロしてばかりで疲れました。

有り難し有り難し 34
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明日、中絶手術をします

2年弱付き合っていた彼と、別れ話が出た直後に妊娠がわかりました。 彼からの別れだったので、彼はやり直す事は出来ない、堕ろして欲しい。と言われました。 私はまた好きだったのもあり、年齢的にも最後の妊娠だと思い、産みたかったです。 けれど、私はシングルマザーとして18年間子どもを1人で育てて来ましたので、 1人で育てる大変さ、経済力、体力、全てが今の私には足りないことは明白で、そんな中産まれた子が幸せになれるのか。と、考えると、どうしても1人で産む勇気が持てず、中絶を選んでしまいました。 ですが、一度出産して子どもの可愛さや愛おしさも経験しているので、簡単には気持ちが整理がつきません。 仕事が妊娠していると難しい仕事なので、堕ろすなら早くと思い、決断を焦っているのも確かです。 今いる子どもの為にも仕事を休むわけにはいかないので、仕方ないと自分に言い聞かせています。 彼は、水子供養も月命日のお参りも出産予定日のお参りも、全て今後一緒に行こうと言ってくれています。 それしか2人で赤ちゃんにはできないと思いますが、一生かけて償っていきたいと思っています。 手術をしたら自分の気持ちが壊れてしまわないかと思います。 手術をしてそのまま自分も死ねたらどんなに楽かと毎日考えています。 私のお腹にきたばっかりに、痛い辛い思いさせてしまう。 幸せにしてあげられない最低の母親だ。と、毎日つらいです。 1番辛いのは赤ちゃんなのも分かっております。 こんな身勝手な母親で、どうして良いか分かりません。 明日の手術で赤ちゃんを殺してしまう私は生きちゃいけないと思います。 私が今後どうすれば良いでしょうか。

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中絶後の罪悪感や苦しみ

以前にも同様の件で相談させて頂きました。 4人目を中絶後から後悔し、罪悪感や自己嫌悪で苦しい日々が続いております。 今までの妊娠出産において、中絶という考えを抱いたことは1度もありませんでした。 4人目を妊娠し、突然の事で大変動揺しました。 経済的にも余裕がある訳では無いので、3人目が1歳をすぎてからパートですが復職(専門職)し半年が経とうとするところでした。 3人目の出産などもあり、キャリアをこれから築いていきたいと仕事を意欲的に頑張っていました。 また、小学生の子が2人居て、平日土日と習い事も忙しく旦那も夜勤がある仕事のため仕事に家事に育児にと毎日慌ただしいため、4人の子育てを想像しても4人を育てるという自信がもてませんでした。 とにかく今の生活で精一杯で赤ちゃんの事をきちんと考えてあげることができず、自分の人生や今ある生活を優先し結果的に中絶を選んでしまいました。 旦那は中絶に否定的で直前まで同意できないと言ってくれておりました。もちろん直前まで私も悩みましたが、産むという決断ができませんでした。 今思えば、何故今まで選ぶことのなかった選択をしてしまったのか。仕事や育児、お金のこともどうにでもなったかもしれないと、後悔し、何より順調に育てば産まれてくるはずの命を自らの手で奪った、人殺しだと感じ苦しいです。 あの時の自分の考えや思考が、どうしてそうなってしまったのだろうと自分でも自分が信じられません。 元から中絶に対して否定的でも肯定的でもなかったですが、自分が当事者になるということを深く考えることが出来ていなかったのかもしれません。 妊娠により不安定ではあったものの、決断しても中絶後にいつも通りの日々を送れると思っていたのだと気付かされ反省しています。 夫は今でも4人目を望んでいます。前回その気持ちを尊重できなかった自分にも嫌気がさしています。 今回このような結果を招いてしまった自分が、また命を育むことは許されるのか。 それならば、何故産まなかったのだと自分でも思います。 結局は失ってから気づいたことで、一生背負わなければなりません。 この先もしも新しい命を迎え入れるとすれば、それが許されることなのか自分でも分かりません。

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中絶か離婚か、選ぶことができません

この度3人目を授かりました。 避妊は一応していましたが、十分なものではなく、私は出来たら産むと以前伝えていました。 なので産めるものだと思い込んでいたのですが、授かった事を伝えると「無理」の一言。 もういるのだから、どういうことかと聞けば、私の顔もみず「経済的にもだが、精神的に無理、これ以上煩いのに耐えられない。仕事もお前たちのために頑張ろうと思えない。産むなら離婚だ。」と言われました。 そこから仕事ですれ違い話すことが出来ず、何とか話しても「離婚」しか選択肢がありません。 私が産む選択をすれば、直ぐに離婚になるでしょう。しかし子供たちは夫が大好きで、両親の離婚で心身的に崩れるのは目に見えています。 私自身、家事が不得意で3人も育てられるキャパも経済力もありません。夫は何も言わない代わりに、家事も育児もやりません。今でも余裕が無いのに、虐待をしてしまうのではと怖いです。 そしてこれまでの妊娠中毎回出血に悩まされ、1度はそれが原因で流産しています。動けず働けない、自分のせいで子が危ないと情緒不安定になり「死にたい」と何度も思いました。 またその恐怖と向き合う自信がありません。 そんな私を見ているからこそ、夫も中絶をすすめているのだと思います。 頭では今の生活を選んでいます、でもどこかで「会いたい」と思う気持ちが消えません。でも産んで終了では無い、産んで育てあげる責任がある、1人でそれができるのかと考えると、「出来ない」です。 夫は私の気持ちなど関係ないようで、中絶するならついてきてと言えば「なんで」と返ってきて…薬で簡単にできるのではと言います。 せめて悪かった、もちろん付き添うと、私に寄り添ってくれれば、夫婦で背負うと言ってくれれば、私も泣きながらも今を選べたのではと思います。 流産した時は「お前のせいじゃない」と抱きしめてくれました。そんな優しい人だったのです。 だからこそ、今それ程夫は精神的に追い込まれているのだと思います。 今度初めて病院に行きます、正直逃げたいです。 もう時間もないのに、どちらにしろ産んであげられないのに、謝り泣くばかりで決心がつかないのです。 親にも誰にも相談できません、相談できないことをしたのです。 どうすれば良いのでしょうか… 子でも家族でもなく、自分を守ることしか考えられない私に絶望しています。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ