hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

中絶

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

幼稚園年少組〜高校生3年生迄父からDV被害。
3度と地方の市内シェルターへ盥回し。
後に精神病院へ3年間の強制入院後強制退院。

拒否権無く2020年7月末に区役所に簡易宿泊施設に強制収容させらる。男女共用便所にて強姦寸前が幾度と有り彼氏の家に2020年9月に避難。

避妊を求めたが願い虚しく2020年の翌月10月26日に妊娠発覚。

パートナーの主張▽
○世間体の順序を守りたし
○現在財政難
○コロナ禍である

以上により中絶を私に要求。

2年後に結婚したら子供を授かりたいとの事で昨年末12月22日13時30分に中絶をしたが中絶後に情緒不安定。外で妊婦を見ると妊娠が嬉しかった感情や母子手帳を一人で貰ったり誰にも相談できず区役所で泣く日々、私の親族に責められる上に彼氏は私の存在を彼氏の両親にすら話していなく子供の事も伏せている状態。その後の手術台を思い出したりで喪失感に苛まれ号泣してパートナーを責めてしまい自己嫌悪に陥る繰り返しで躁鬱の様な状態が日々続き、精神面で降参気味。

現在は苦しい過去が詰まった都道府県を出てパートナーの住む新天地で同棲中。

新天地の区役所の人が心療内科の受診を提案するが強制入院をさせられお薬の名目を疑問視するだけで監禁された事を思い出しお薬に抵抗有り偏見を持つ始末。

パートナーは将来の妊娠の為に年数掛けて蓄積された精神のお薬を抜いてほしいとの事。私は精神薬を飲んだ方が安定の可能性を感じられるが彼の考えも知り心療内科に行けずな優柔不断状態。

やってみないと分かりませんが私はお薬を飲まずにカウンセリングや認知行動療法で立ち直れるでしょうか?認知行動療法の本で自分の脳癖と感情や言動の傾向はある程度理解しましたが、子供の供養以前に私の状態を改善しなければ何もできない状態です。

第三者の意見や前を向きながら供養する為にこの文書の中で今の私に必要、適切と思われるお釈迦様の言葉を授けて欲しいです。

過ちは黄泉の国で償うので現世での軽率な所業を根性を叩き直していきたいので背中を押す救いの言葉をどなたかに求めます。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「お釈迦様の言葉」が「救いの言葉」になるかは、あなた次第

こんにちは。

これまでの経緯を読み、あなたの苦しみを思います。
辛かったし、今でも辛いことでしょう。

「お釈迦様の言葉を」とのことなので、有名な一つのお言葉をご紹介します。
これは、お釈迦様の最期の言葉と伝わっています。

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。『マハーパリニッバーナ経』

物事は移り変わっていく、諸行無常である。
人も、物も。
人間関係も、取り巻く状況も。

しかし、その移ろいゆく中にあって、今、手の届く範囲は今だけです。
ただ過去を悲観するのでもなく、徒に未来を悲観するのでもない。

その今を「怠ることなく努めよ」と仰せです。
ここでまず注意すべきは、これが「比丘たち」、つまり僧(広くは仏教徒)に向けられているという点です。これは、直接には仕事に励め、人間関係に励めということはでありません。仏道修行の完成を「怠ることなく努めよ」と言われているのが本来の意味です。

あなたは、「供養」ということを問題意識として持っていますね。
ただ、これは仏教徒が仏教の意味を理解した上で行う仏教的な行いです。

つまり、釈尊のお言葉をあなたが自分のこととして受け止められるならば、仏教を拠り所とする仏教徒になって、仏教の教えと行いに生きなさいと直接お言葉を頂いていると思って下さい。

まず、その前提が成立してこそお釈迦様の教えは、あなたのほんとうの意味での血肉になります。この「お釈迦様の言葉」が「救いの言葉」になるかどうかは、あなた次第です。

{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

心の真の安らぎの地を求めて…。

出会う人だからと言ってその人が最高最上の人であるとは限らないもの。
出会うもの・出会うことだからと言ってその物事があなたにとって最高、最上の出会いとは限らないもの。
さて、大事なところ。
あなたが今まで考えてきた事、思えたこと。
そして今から思うことも、必ずしもその「思い方・考え方」があなたを幸せにさせてくれる確かな内容を持った思いではないものです。
貴女の安心の為にこそ、あなた自身の中で生じる思いの質そのものを客観的にみつめてみる必要がある。※それがあなたを傷つけている思い。
人間、各自に心が備わっているものの、その心の中で「何を思うか」はそれぞれ違います。
その心の中で悪しきを念ずれば心は悪となる。
各自の心のディスプレイの中で何を思い、何を映すか。何を念ずるか。何を選ぶか。どう描くか。どう動かすか。
人生の中で日々、歩みを進める先を選んで安穏の地を探し求めてきたように、
心の中で向かわせるべきところがある。
心が安穏な心に帰する、向かわせる為にも処し方と言うものがある。
各自が自分の心のドライバーです。心の暴走運転はいけません。
その最上、最高の安全運転にこそあなたが求める答えがあります。
では、どうすればよいのか。
身心ディスプレイに映ることに対して「自分が自分が自分が!」ということを持ち込まないことです。静かに心を見つめてみればものすごく微細ではありますが驚くべき程細かな能動的意識「わたしルール」が盛んに動いているのです。
菩薩や仏(求道者や覚者)の心は、映ることが映るままでかるたのお手つきのない過ごし方なのです。パソコンやスマホでいえばカーソルを動かしたり、画面にタッチしない様子なのです。受信することは受信している。ですが、そのことに対して今からあなたも何も意識的に反応をしないという姿勢を徹底的に貫いてみることです。それはあなたの心を安らかな心に導くために必要不可欠なことです。本当にこの自身の心をして何もさせない。聞こえたこと。思えたこと。見えたこと。感じていることをそのままお手つき無しに過ごす。
「誰のものでもないものを誰のものでもないままに…」これを繰り返し念じて、自身の沸き起こる想念に手つかずに過ごすのです。
これを継続していきますと能動意識、わたくし意識が静まります。
そこから開かれる世界は「私にとって」という条件付けのない安らかな世界です。

{{count}}
有り難し
おきもち

仏の心とは大慈悲なり

拝読させて頂きました。
あなたが今までとても大変なことに合いながら本当に辛い思いをなさっていらしたことを読ませて頂きました。その辛さは今も筆舌に尽くしがたいことでしょうし、あなたを今も苦しめておられたり、日々不安な思いをなさっていらっしゃるのかと思います。あなたのその辛いお気持ち全てはわからないですが、あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
あなたは今も決して独りではありません、パートナーとのご生活もあるかとは思いますが、あなたは今も沢山の方々に守られています。仏様はあなたのことをいつも見守っていて下さいます。あなたのご先祖様方もあなたのことをいつも見守っていて下さいます。
あなたはとてもつらい思いをなさったかもしれません、そんな時もあなたを仏様やご先祖様は見守り続けていて下さいます。そしてあなたを優しく受けとめて下さいます。
今もあなたの心の中では様々なつらい思いや苦しみや不安がおそってくるかもしれません、そのような時には仏様やご先祖様方に心から手を合わせてあなたの思いをありのまま素直にお伝えなさって下さい、悲しい時には泣きながらお伝えなさって下さい、苦しい時にはその苦しみをお伝えなさって下さい。あなたの思い全てを仏様やご先祖様方は必ず受けとめて下さいます。そしてあなたを優しくお導きなさって下さいます。

あなたが今でもとても後悔なさっておられることもあるかもしれません、先に旅立って行ったお子さんのことを思うと悲しみにくれることもあるかもしれません。そんな時にもどうか仏様やご先祖様方に真心込めてお願いなさって下さいね。またあなたの思い全てを仏様やご先祖様方に心からお伝えなさって下さいね。
必ずその子を仏様がお導きなさって下さいます、そしてご先祖様方がその子を優しく迎えて下さいますからね。あなたの思いを仏様やご先祖様方は受けとめて下さいます。どうか安心なさって下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

一向寺 Kousyo Kuuyo Azumaさん。
寛大なる心中の御理解に御礼申し上げます。
御礼が遅れてしまい御無礼ご容赦下さい。

家から徒歩圏内に宗派が判明せぬ地蔵尊様の祠が在ります。その地蔵様の御姿を写された石版の歴史は江戸時代に遡ると聴きました。

何処を歩けどビルとマンションにしか当たらず六十分程掛けて移動しないとお寺が無いので近所の地蔵様の祠には雨天以外は毎日の様に通っています。元々の地形故に雨天の日は台風の様に暴風雨です。晴れや曇の日に祠でお賽銭を入れて三人分のお線香を立てて毎回の様に謝罪の弁を述べています。時々パートナーも連れていき二人で子供と御先祖様、お釈迦様に謝罪をしています。最後には日々の感謝も述べています。

私は、Kousyo Kuuyo Azumaさんの仰る通り沢山の方に恵まれています。ですが、現在の私を負の念が縛る様に自身を苦しめて地縛霊の様で生きた心地がしません。私事だけで済まされるならまだ良くとも周囲の方々に負の念をお裾分けしてしまっている様で心苦しい日々です。真摯に向き合い心からの謝罪を述べ伝える事が先ずは自分が出来る供養かと思います。

のちに心の余裕が出来ましたら次にお寺に足を運ぼうと考えています。先に生まれた生者の都合で自分のお腹の子供を病院で殺めてもらってしまった事にかわりはありません。

子供や御先祖様、お釈迦様に贖罪と謝罪の想いが届き続ける事を願い続けるばかりです。

安穏寺 丹下覚元さん
お忙しい中、御鞭撻を感謝申し上げます。
分離不安症から来る固定概念の修正は私の課題であります。

妊娠中の方を見ると自身の選択でも有ったのに喪失感から自分の心が鬼の形相をして私の心を病ませてしまいます。

私を傷付けている思いに気付くのに幾数日、数ヶ月、年が掛かるか分かりませんが探ります。

心の画面は破損してしまっているかもしれません。明るくなったり漆黒になったりを繰り返したりを猛烈に繰り返している様に思えます。心の安全運転を知る必要が有る様なので先ずは心を落ち着かせる為に写経の本を休日に買い求めに行く予定です。

心の中で自分の主張が一番声を張り上げている状態に在ります。最初は二十四と云う年月しか生きてきていない若気の至りかと思いましたが自己憐憫だと知りました。

己の自己憐憫から来る私常識を終止させるには自分を無視する力と云うのも必要なのだと丹下覚元さんのお話から理解できました。

そして、前回綴った後に私が「馬と鹿」な様な事で悩んでいる。と云う事に気付きました。客観的に見ればな己の事を日本の終末期の様な大きさで苦しんでいました。

心の言霊にも気を付けて生きてゆこうと思います。御鞭撻、感謝致します。

報恩寺 悠水さん
未々、未熟な学故に悠水さんの名字を読めず綴れずお恥ずかしい限りでございます。

「つらい」と云う言葉に身を任せる逃げてしまっては身を滅ぼすのは時間の問題だと理解しているのですがこれも因果応報の積み重ねによるものだと思い安らぎへ逃げずに向き合う事に致しました。

環境が1つでも変化する事に恐怖を覚えていました。変わってまえば過去を悲観できなくなる。過去を悲観する事で今の私は成り立っている。自分の現状をDVや中絶をさせた他者へ責任転換をし一時的に心を落ち着かせる事を繰り返して楽を得る。未来を悲観する事で自己憐憫で居られる。正当化の為の愚者の本懐そのものでした。

未来を明るく持つ為に暇な時間を減らし日々を真面目に過ごす事に決めました。暇な時間が有れば自分に負な方へ思考をしてしまうからです。

出逢いが縁ならば言葉も縁だと考えていますのでお釈迦様の言葉も救いになりましたが、「悠水さんからの言葉」がなによりの励みになります。感謝申し上げます。

小学生5年生から高校3年生迄、父の2番目の後妻さんに「先祖、水子霊様の供養」と「魂、明朗」を護摩木に書かされていました。

御縁、お導きが有るならばその時は御縁、お導きに身を任せたいと思います。

皆様の言葉を紙に綴り心の鍛錬に努めます。
お忙しい中、私の様な小童の悩みに耳を傾けて頂き感謝しきれません。

本当に有り難うございました。この御恩は絶対に忘れません。また人生に躓く事があり私を見かけましたら、どうぞ宜しくお願い致します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ