今自分にできることを教えて下さい
自分は小学低学年の時に女の子に性的ないじめを行っていたことがあります。幼少期からの経緯から説明します。保育園で先生が何が上手くいかなかったら、クラスに一人閉じ込めるという教育をしていました。数年前にadhdと診断された。保育園でも余程能力がなかった子だった。保育園の記憶はストレスでほとんどありません。愛が歪んで育ちました。大人に恐怖を覚え、小学一年の時から習い事で先生に反発していました。一緒に通ってる人がいじめだよと言った時に「大人はいじめる」と完全に脳にインプットされてました。自己愛性人格障がいが一番あってるかと思います。評価されるのも嫌い、人から好かれることも好きじゃない。小学一年生の時にこの感覚で生きていました。親に褒められるのも全く嬉しくなかった。家族の中でピエロになることで家族は笑ってくれる、それ以外の場所でも頑張ると褒められるというのが嫌でわざと大人を困らせていました。先生に褒められ喜んでいる人間が不思議で仕方なかった。わざとできないように振る舞い、問題解いて先生に渡して先生が凄い、できるじゃん!というと「はじめからできたもん」といい困らせたこともありました。人間という枠組みから外されていた。小学低学年の時、普通の感覚ではなかった、人がしないことで注目を浴びる、女の子に構って貰える、反応をみたい。こんな感覚だったかもしれません。長い期間性的いじめを行った。自分は犯罪者です。習い事のスイミングでも友達のパンツを脱がしたりした時期がありました。それ以降人をいじめるという枠からは外れ生きて来ましたが、自己愛性人格障がいで人に寄り付いては他人のことを言って、言ったら傷つくようなことを考えなしに言ってた気がします。高校でもトラブルがありました。今大人になって急に過去のことに深く後悔を覚えました。女の子に謝罪文を書いて、連絡を取ろうとしたがとっくに引っ越してました。恐怖を呼び起こしてしまうのも分かります、ネットで調べられないかと思い、やってみたが無理でした。家には必死に書き直しを繰り返した謝罪文が一枚。苦しい生活を強いられてるかもしれないと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。どう反省し生きていけばいいのでしょうか?表にたって仕事をして評価されても、自分を見て恨む人がいる。その人が今生きて元気にしてることを願い続け、信じるしかない。自分が変わるしかないと思ってます。
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おはようございます。
私が感じることをお伝えします。
変わって解決したつもりにならず、やるべきことと我慢すべきことを今まで通りに続けることが大切だと思います。
〉家には必死に書き直しを繰り返した謝罪文が一枚。
この謝罪文はまだ手元にもっていてください。
今はまだ、手渡すタイミングではないということです。
〉どう反省し生きていけばいいのでしょうか?
お気持ちは文面から伝わります。
今から新しく何かをするより『いじめない』を保つことが大事です。
急がないことが相手への償いになることもあります。
戒〈いましめ〉を保つということです。
仕事は目立たなくてもいいので誠実に続けてください。
質問者からのお礼
ありがとうございました