他人が興味ない話を続けてきたときの対処
昔から、他人に興味のない話で話しかけられることが多く、そのたびに非常に苦痛な気持ちを味わっています。
どこが苦痛なのかを考えてみたところ、とにかくネガティブな話題かその人の暗い自分語りであることが多く、聞き手となってしまう自分は「そうなんですか」ぐらいしか言えなくなることが心の中でわだかまりが残るのだと思います。
アドバイスなり意見なりが言えるような言い方ならまだしも、とにかく『愚痴壺』(造語です)にされているような話し方を投げられると、自分もあとあとまで引きずります。
私としても「あなたはどうして他人に興味のない話を延々聞かせ続けられることができるのだ、配慮がない。そういう人間性は非常に気持ち悪く、他人とうまく付き合えないということを自覚してほしい」といった言葉を投げようかとも思いますが、強い言葉を使うとやはり後に自分に悪く響くこともあるので、やはり何も言えなくなります。
加えると、「私には興味のない話なので、他の人に言ってください」と伝えてみたこともありましたが、「あなたは黙ってうんうん頷いて聞いていればいいのに、可愛げのない。そんなことで他の人間とうまくやっていけるの?」と逆上されたこともあります。
お坊さんたちは色々な立場の人の話を聞かれることが多くあると思います。
どのようにしてご自身の心を守っている(他人の悪い話に引きずられないようにしている)か、あるいはそういった話をどうやって避けているか、アドバイスをいただけませんか。
過去のそういった苦い思い出たちに囚われていて、すごく強い罪悪感を抱えながら生きるのが本当にしんどいです。なにとぞよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
…寄り添ってあげて下さい。
……あなたのお悩みは良く分かります。もう何とも返答に詰まります。本当にどうすればよいのでしょうね…。
ただ、そういったお話しを持ちかけられる、愚痴をあなたに言えるということは、あなたが信用されている証拠ではないでしょうか。『あなたは黙ってうんうん頷いて聞いていればいいのに、可愛げのない』と切り返されたのは、きっと あなたになら話せると思ったのに、聞いてもらえると思ったのに…という悲しい寂しいお気持ちの裏返しでしょう。
そして、一番大切なことはそういったお話しを持ちかけていらっしゃるお方に「興味を持つ」ことです。「何故、この人は私にそういったことを言うのだろう。その裏側に一体どういう思いがあるのだろう。この方の家庭や交友関係にどういった問題があるのだろう。それはどうしたら解決するのだろう」と考えながら、相手のお話を聞くことです。
お相手も同じ人間です。悩みには御自身と共通するところもあると思います。また今は共感できなくても、今後あなたも同じような悩みを抱えることになるかも知れません。
その予行練習を、またその時の対処法をこの方が私に考える機会を与えてくれているのだ と受け止めることは出来ませんか。
『過去のそういった苦い思い出たちに囚われていて、すごく強い罪悪感を抱えながら生き』ていらっしゃるあなたは、本当に優しいお方なのだと思います。だから他の方から頼られるのでしょう。
どうか、そのように愚痴を持ちかけられるのも、御自身の人生勉強だと思って、その方と共にその解決方法を考えていきましょう。
何だか、あなたに対して回答しているのか、ハスノハ僧侶としての自分自身に回答しているのか分からなくなってしまいました…。
とにもかくにも、それらのお方々に寄り添い、優しく接して下さいませ…そのことが、あなたの人生にきっと本当の意味で「良いこと」をもたらします。
僭越ながら…仏様もきっと同じようなことをおっしゃると思いますよ。
質問者からのお礼
小林様
ご回答ありがとうございました。
語弊を恐れずに書くと、最初は見出しにある『…寄り添ってあげて下さい。』の一文に、「どうして自分の気持ちに寄り添ってもらえないのに、自分ばかりが他人に寄り添わないといけないのだろう」と絶望にも近い感情が湧き上がりました。
けれど回答を読み進めるうちに、小林様をはじめとしてお坊さんたちも自分と同じように悩み考え、模索しながら暮らしているのだと『何だか、あなたに対して回答しているのか、ハスノハ僧侶としての自分自身に回答しているのか分からなくなってしまいました…。』の一文でなぜだか肩の荷が下りたような気がしました。こんなに丁寧な文を書かれるのも大変だったと思います、心を尽くして書いてくださり、ありがとうございました。
自分の人生勉強だと思い、仏様にも見守られながら生きているという自覚を持って、自分ができることをやっていきたいと思います。