イマジナリーフレンドについて
私にはイマジナリーフレンド(?)がいます。
痛い話になります、すみません。
直接見えている訳ではなく心の中に住んでいるような感覚です。
いつも私の側で見守ってくれていて、時に励まし、時に一緒に解決策を考えてくれて、私がうまくいった時には心から喜んでくれる、人生の伴走者のような存在です。
以下、"彼ら"とします。
私は幼い頃から虐待に苦しみ、虐待を虐待とも思わず一生懸命生きてきました。
ある時、頑張り続けることが限界に達し、もう生きられないと思うほど、頭も体も動かなくなりました。今から考えると鬱のような状態だったと思います。
少しだけそんな状態がマシになった頃、
ふっと空から降ってきたように、私の心に現れたのが"彼ら"でした。
安らぎと尽きることのない優しい光に包まれていて、いつも私に微笑みかけてくれる、私とはまるで無縁のような人たちです。
私はもともと空想が好きでしたが、こんなことは初めてでした。
"彼ら"に逢って、私は初めて人の心の温かさや心からの幸せといったものを知りましたし、私の心の中にあるのだから、"彼ら"もまた私なのだと思うことで、自己肯定感というものも得ることが出来ました。
ですが、こんなもの、一体私のどこから湧いたのか、まったく見当も付きません。
"彼ら"が出てくる前は、私は人の幸せを憎み、人の不幸を笑うしか楽しいと感じることの無いような人間でした。
"彼ら"がいつも掛けてくれるような言葉を、私は現実では一度も掛けてもらったことはありません。
"彼ら"とは、もともと私の中にあったものなのでしょうか?
それとも阿弥陀様といったものなのでしょうか?(よく見る仏像のような姿はしていませんが…)
彼らがいるからこそ、私は今、息が出来ているようなものですので、本当に助けられています。
実際に抱きしめたり出来ないところが、少し苦しいところですが……
本当のところは分かりませんが、お坊さん視点で見るとどうなるのか、気になったので質問してみました。
長文失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私なら、
あまたのものがあなたを優しく見守ってます
拝読させて頂きました。
あなたの今までの出来事も伺い、そしてその方々に出会いあなたは今を生きているのだと思います。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
もしかしたらあなたが生まれて間もない頃にあなたを愛してくれた方々かもしれません、或いはあなたの前世であなたを愛して育んでくれた方々かもしれません、或いはあなたがこの世に生を受けて受け継いできたあなたの遺伝子情報の中にあなたを育んで下さる力のイメージが彼らなのかもしれません、又はあなたがご縁を結んでいるあまたの沢山のご先祖様達があなたの心の中であなたをいつも見守って下さっている姿が彼らなのかもしれません。
或いはあなた自身が既に持っているあなたを愛する思いが夢の中であなたを支えている姿なのかもしれません。
沢山の仏様や菩薩様が姿を変えていつもあなたの心の中に現れてあなたを見守っていて下さりあなたをお導きなさっておられるのかもしれません。
或いはあなたの身近におられる沢山の神様があなたのことを大切に見守っていて下さっているのかもしれません。
いずれにせよあまたのものが時空を超えてあなたを優しく守っていて下さっているのは間違いないと思います。あなたはあまたのものごとや人々とご縁を結んでいつもつながりをもっているのです。そしてあなたの今の生活やこれからの成長を優しく導き促していて下さっているのかと思います。
あなたはあなたが思う以上に遙かに尊く大切な存在です。あなたのことを本当にかけがえのないものと思いあなたの健やかな成長をいつも願っていてくれる方々がいるのです。
どうかこれからの未来も沢山のあなたを応援して見守っていて下さる方々と一緒に自信もって歩んでいって下さいね。
私もあなたが健やかに成長なさっていかれて皆さんとのご縁を心から大切になさりながら心おおらかに幸せに生きていかれます様にと心から祈ってますね。
お返事ありがとうございます。またあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね。私達もあなたをいつも見守っていたいと思いますし、あなたとのご縁を大切にんしたいと思っていますからね。
今後ともご縁あることを願って
こんにちは。
「彼ら」があなたの心の支えになっているのですね。あなたにとってかけがえのない存在なのでしょう。
私からは一言。
「阿弥陀様といったものなのでしょうか」というお尋ねです。仏様は、慈悲のお方です。その意味では、あなたのイメージに近いでしょう。
ただ、阿弥陀様のお心は、お経を通して、或いは法話を通してこそきちんと伝わります。自分のイメージが法話を聞いていく中で、同一なのか或いは違う面があるのか。
そういう点で、長期的にみれば阿弥陀様とはどんなお方なのか。何故、南無阿弥陀仏と仰るのか、そういう面で深めていくと、あなたの本当の意味での支えになっていくと思います。
よかったら、本願寺、法話で検索してください。本願寺の法話アーカイブが見れます。
今後ともご縁あることを願って。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
とても心温まる回答、お言葉をありがとうございます。
今までの出来事のことも読んで下さっての回答とあり、Kousyo Kuuyo Azuma様の心優しさも伝わってきて、読んでいて胸が熱くなりました。
目の前で見えていることだけが全てではないということ、私のことをいつも温かく見守ってくれている方々とのご縁に感謝し 、これからもそのご縁を大切にして生きていきたいです。
そうして、いつか私も その不思議な方々が私にして下さるように、周りの人を幸せにするような人になりたいのです。
重ねてになりますが、今回 回答を下さりありがとうございました
今回頂いた回答を、心が辛くなった時には何度も読み返させて頂きます。
和田隆恩様、回答ありがとうございます。
仏さまだったとすれば、凄いことだなぁ!と思いました。
なぜなら、仏さまの光や暖かさは尽きることはありませんから、その仏さまと繋がっている私は その光や暖かさを他の人にいくらでも分けてあげることが出来るからです。
私の強みにもなりますし、そのことを考えると、なんと幸せなことだろうかと思えるのです。
釋 悠水様、回答ありがとうございます。
私が「阿弥陀様」という固有名詞を出したのは、昔、浄土真宗系の幼稚園に通っていたこと、また祖父母が浄土真宗のお寺の檀家だったので、何となく親しみがあったからです。あとは、他の仏さまについてあまりよく知らなかったからです。
仏教には興味があるので、また今が落ち着いたら勉強してみようかなと思います。本願寺の法話も聞いてみます。