難病の母親
母は10年前から難病を患っています。実家で父と二人暮らしです。身体はなんとか動くのですが老老介護の状態なので私も時々、足を運んでいます
母は自分の病気を受け入れる事が出来ず、ドクターショッピングを散々して来ました。藁にもすがる思いは、当然だと思います。最近、病院も絞り落ち着いてたなと思いきや、圧迫骨折の痛みでとにかく病院に連れて行ってと始まり父が連れて行きました。そこの病院は難病でかかっている病院ではなく以前、何度か行っていた整形外科でした。そこで両親はドクハラを受けて来たそうです
自業自得だとか、ガンで言ったら末期で施しようがないなどです。その上、折角 来たんだから骨密度を高める為に自分で2年間、打つ高い注射を勧めて考える余地を与えない状況にさせられたようです。しかし、お金の持ち合わせもなかったので父は一旦、引き揚げてきました。
母には私からもそんな医者の言う事なんか聞かない方が良いし、第一、目的は痛みを取るものではないし誤解してると言ったのですが、本人は切り取った部分しか診ない医者の言う事を間に受けているのです。とりあえずかかりつけの先生にも相談してからと言う事になりましたが。
母は病気から来る痛みを何とかしたいと言う一心だけなのですが残念ながら痛みは取れないとかかりつけの先生からずっと言われています。私達も何度も言い聞かせるのですが全く、聞き入れないので本当に大変です。痛みが出る度に無駄なお金を使い、高齢の父を当たり前のように使う始末です。施設には経済的な面で入所が難しいのですが母より年上の父がいなくなったら、どうにか施設に入所してもらうようになるのかと考えています
病気を認めずかかりつけの医者にも信頼をせず、周囲の話にも耳を貸さず、あちこちの医者からの言葉に混乱してしまい、苦しみを積み重ねてしまう母にどうしたら良いのか悩んでいます。
私が仕事を辞めて面倒を見てあげなきゃダメかなと思ったり。でも辞めたら子供の進学を断念させなければいけないし。
母もそうなのですがそれ以上に父の事も本当に気掛かりでなりません。後悔先に立たずですが、どちらかが亡くなったらあの時、私はもっと助けてあげられたのではないかなどと自責の念に陥るような気がしています。
宜しくご助言お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現状で最善のことをしている
考えて考え抜いた結果であれば、どのように行動しようが、あるいは行動できなかったとしてもそれが現状での最善なのです。最善を尽くしたことを後から後悔することはありません。
八方塞がり。出口の見えないトンネル。優先順位などない。こんな時には仏様に手を合わせることです。
お母様も痛みがでるたびにお仏壇の前で一所懸命に手を合わせることです。
医者も所詮は人間です。人智には限界があります。そしたら仏という人智を超えた存在にすがることが大切です。
はっきり申し上げます。
仏様に手を合わせる気持ちがある人は心安らかです。先祖ではないですよ、仏様、仏様に手を合わせるのです。先祖は絶対に生きている者を助けたりはしません。
仏様に手を合わせるのです。
質問者からのお礼
ご回答、ありがとうございます。
私の家には仏壇があるので手を合わせる事はもちろん、お花やお菓子をお供えしたり、心の中でお話をさせて頂いておりますが、そういった事から母の所は縁遠くなってしまっているなと気付かされました。
今度、母に心の中で良いから手を合わせる事を言ってみようと思います。
「 合掌」