批判と誹謗中傷の判断がつきません
作家の仕事をしているのですが、仕事で批判の感想を頂いたとき、どう受け止めたらいいのかわかりません。
誹謗中傷や批判的なコメントの大半はあまり深く考えていない人からのコメントだから気にする事はないという話を聞き、その通りだとも思ったのですが、仕事を続けていくうちに最近は批判の数も増え困っています。
自分に反省すべき点があるのなら真摯に受け止め反省すべきだと思うのですが、頂く批判がただの誹謗中傷の言葉なのか、自分で気づいていない私の欠点なのか判断がつかず、すべて真に受け落ち込んでしまいます。
同じくらい「面白い」という感想も頂くので自分の作品の方向性は間違ってはいないとは思うのですが、確実に批判の数も増えています。これは私が批判を受け止めたくないから逃げているだけなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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誹謗中傷はなくなりません
私は坊さんで住職ですが、お寺の生まれではありません。お寺の生まれでないと本物の坊さんではないと言われることがよくあります。傷つきます。私よりもっと偉いお寺生まれじゃないお坊さんはもっと陰口を叩かれ、嫉妬の対象になっていました。なさっておられない悪行をでっちあげられるなどのこともありました。が、実力と人格があまりに崇高でしたから、とても偉くなられ、とても尊敬されていました。
教育系ユーチューバーの方々のお話をよく拝聴しますが、やっぱり中傷が多いようです。妬みややっかみの対象になってしまいますから、ときに傷つくこともあるそうです。
みな人間ですから、酷いことを言われたら傷つきます。上述の高僧も全然傷ついておられなかったわけではありませんでした。
それでも努力を続け、人格を損なうことなく、他者にやさしく接し、誠実な人生を送っておられたら正当に評価する人たちからは支持を得られるのではないでしょうか。妬みややっかみからくる誹謗や中傷はなくならないかもしれませんが……。
村上春樹さんもやっぱり誹謗中傷を受けるそうです。が、規則正しく生活し、日常を丹念に生きていればたいていのことはやり過ごせていくものですよ、みたいなことをおっしゃっているようです。
誹謗愁傷してくる連中を変えることは不可能です。他者を変えることは毎日一緒に生活している人でもない限りかなり困難ですよね。家族だってかなり難しい。だったら他人を変えることは諦めて、自分として誠実に日々を送ることに徹していかれたら如何でしょう。誹謗中傷はお金じゃない税金みたいにお考えになってください。