hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

いつも後悔ばかりしてしまいます

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

先日、大学の専修配属の発表があり、わたしは希望していたコースに入ることができませんでした。
そのコースは毎年人気のあるコースで、以前から勉強をがんばらないと入れないと聞いていたのに、この1年間勉強をがんばることができませんでした。
高校のときから学びたかった分野はそこでしか専門的に学ぶことはできず、あと3年この大学にいる意味はあるのか、など考えてしまいます。
自業自得の結果なのに、受け入れることができません。

わたしは大学受験も似たようなものでした。
最後まで全力でやりきることができずに第一希望の大学に落ちてしまい、第二、三希望の大学は受かったものの私立だったので、親は行ってもいいと言っていましたが変に気を遣ってしまい、国立だった第四希望の今の大学に入学しました。
しかし、都会に行った友達を見ていると嫉妬してしまいますし、どうして最後まで受験勉強をやりきれなかったんだろう、やはり少しでも都会にある私立に行けばよかった、といまでもたまによぎります。

今回の専修配属のこともあって、なんで来たくもなかったレベルの大学で学びたいことが学べないのか、絶対わたしより研究したい分野が具体的に決まってないのに通った人もいる、なんで生徒が教授に合わせて研究分野を変更しないといけないのか、そもそもなんで毎年人気のコースは教授数が少なくて人気のないコースは教授が多いのか、どうして生徒に合わせて教授の数を変えてくれないのか、などどうにもならないことばかり考え込んでしまいます。

嫉妬、自己嫌悪、後悔でいっぱいです。
どうしたら考え込んでしまう性格を変えることができるのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その場で咲け

今その場で咲けない者が、希望した場所で咲けるわけがない。
目の前のことをコツコツやる者にしか道は開かれない。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

努力してみます。
ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ