私の代で家系が途絶えます
お世話になります。
私は一人っ子の長男で50歳独身、実家で母親と二人で暮らしております。
今まで何度か結婚も考えて、お付き合いをした女性の方はいらっしゃったのですが、とうとうこの年まで一度も結婚することもなく、独身のままできてしまいました。
我が家は本家で、また私は一人っ子の長男として生まれたのですが、とうとう私の代で家系も途絶えてしまいます。
絶望感しかありません。
家系が途絶えるということに、私の母親もそして私も、ご先祖様に申し訳ないなという罪悪感で、暗い気持ちになっております。
家系が途絶えてしまうということについて、お坊様がたはどのように思われるでしょうか?
やはり罪深い事だとお思いになられてますでしょうか?
率直なお考えを賜れたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
特に罪深いとは思いません。
一昔前の家督相続という価値観であれば
自分で代が絶えることは罪悪なのでしょうが
今現在であれば
そのような価値観に縛られている人は確実に減っています。
種の保存という生物としての使命はあるのでしょうが
それは自分の血筋だけということでなく
人類全てに対する勤めなんだと思います。
あなたが生きている限り
誰彼に影響を与えているはずで
それが縁で人類に好影響を与えているかもしれません。
昔の標語ですが
「世界は一家 人類はきょうだい」
私はそう考えています。
罪悪感よりも、現実を受け入れ為すべきことを為す
こんにちは。
「家系が途絶えるということに」ついて、あなたもお母さんも、「ご先祖様に」「申し訳ないな」と「罪悪感」を持ち、「暗い気持ちになって」いるのですね。
私は、「家系が途絶えるということに」ついては、そのお家の事情があるのだから致し方がないことだと思います。その結果を今からひっくり返す手段が事実上ない限り、それは現実として受け入れざるを得ないことでしょう。現実という事実を受け入れることと、そこに善悪の判断を入れることは別物です。「罪悪感」は一先ず置いておいて、現実をそのまま受け入れることが宜しいと思います。
ただ、現実は「家系が途絶える」のだから、それに伴う責任を果たすべきでもあります。前回のご質問から、貴家では浄土真宗のお仏壇があるようです。今後、現実的にお母さんの葬儀や法事、あなた自身が亡くなった後のことについても考えていく必要性があります。あなたがお仏壇を維持できなくなった際にも、そのお仏壇をしまわれる方法、手順を今からお付き合いのお寺さんに確認すべきです。
あなたは、血縁としての「家系が途絶える」ことに注目しているようです。
ただ一方で、法縁、仏法の縁を「ご先祖様」から引き継いでいることにも注目して下さい。
あなたは、前回の2年以上前のご質問から、浄土真宗の「勉強会」に参加されていると伺いました。前回はその内容が良く分からない、と言われていましたが、今は南無阿彌陀佛のお心が聞こえていますか。阿弥陀様のお慈悲の心が。
南無阿彌陀佛のお心が聞こえてご信心を頂いてこそ、阿弥陀様のお陰様と喜びつつ極楽に往かせていただけます。逆に言えば、ご信心をいただかない限り極楽へは往けません。
極楽で先にお待ちの「ご先祖様」と同じところに行くことこそが、「ご先祖様」の真に願っていることでしょう。家系とお仏壇の継続は叶わなかったけれども、ご信心を得て極楽にて会うことが出来た。それこそが「ご先祖様」の本意に沿うことです。
罪悪感よりも、現実を受け入れ、為すべきことを為す。
聞くべきを聞く。
それがあなたの目指すべき方向性だと思います。
まだ早いです。
ご質問拝見しました。
うちも本家といえば本家なので、家系について一般の人よりは考えてきたと思います。
日本のイエは血の繋がりだけで家系を維持してきたわけではありません。
両養子を迎えて維持した寺もあります。
また、家系といいますが、家と系にわけて考えるならば、親戚や分家があるなら『系』は縁や関係が薄くなることはあっても無くなることはないです。
ですから申し訳なさは思わなくて大丈夫です。
それより、罪深いのは、このままダラダラと時を過ごすこと。
お釈迦さまは、血より教えの継承を大事にするよう話しています。
肉体が滅ぶことは致し方ない、説いた法を灯火とせよと。
当主ならば、本家の何に価値を見出し、誰にその価値を伝え届けるべきかを考えるべきです。
菩提寺を訪ね、歴代の先祖に想いを馳せるのもひとつです。
歴史や文化的なものであれば地域に伝え残す方策もあります。
血縁を尊重したいなら、分家、親族との繋がりを今一度、見直してもいいかもしれないです。
まだ、時間はあります。
大丈夫。
まずは健康から。
勝手申してすいませんでした。
質問者からのお礼
拝啓 悠水様、泰庵様、和田隆恩様。
この度は貴重なご意見、アドバイスを頂きまして、誠にありがとうございました。
いただいたお言葉を心に刻み、前を向いて日々暮らしていきたいと思います。
だいぶん暑くなって参りました。
どうかお身体を大切に、そしてこれからも迷える人々の心にあかりを灯していって下さいますよう、よろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました。