あえて子供を産まない選択をすることは悪か
結婚4年目の20代夫婦です。
先に子供を産まない理由をお話し、最後に相談の核を記載させていただきます。
子供や赤ん坊はとても好きなのですが、子供が欲しいという感情が全く理解できません。
思い返せば子供の頃から母親になりたいと思ったことがありませんでした。おままごと遊びでもいつも母親役は避けて遊んでいました。
何より産まれてくる子供のことを思うと産みたいと思えません。
子供は生まれてくる家を選べませんし、親子の縁を子供側から切ることは絶対にできません。
私の体から産まれてくるとは言え、子供は私とは全く違う別個体の他人です。
もしも子供にとって我々夫婦が親として未成熟な存在であったとしても、養育期間中は子供自身の意思で我々夫婦の元を離れることはできません。
親として正しく導こうと努力をしても、根本的に人間性のマッチングがうまくいかない者同士が親子になってしまう場合もあります。
極論、大人は親業を辞めたいと思えば、自分の意志で逃げることはできます。子供には事が起きてからでないと逃げる自由も逃げられる場所もありません。
私が子供を産むということは、そんな不自由を我が子という大切な存在に押し付ける決断をすることになると感じています。私が虐待家庭で育ったことも関係しているかもしれません。
現状は低用量ピルで避妊をしながら夫婦ふたりで共働きで暮らす道を選んでいます。
夫と私は、子供がいなくても社会の一員として働くことで間接的に社会全体の子育てに貢献できれば、と思っているのですが、結婚して4年が過ぎ周囲から子供がいない理由を聞かれることが増えました。正直に話すと「子供を欲しがらない女は生き物として間違っている」という声をいただきます。
正直、子供のいない今の生活は幸せです。
子供がいる幸せと子供がいない幸せ、どちらも尊重されるべきでありそこに上下関係はないと思っています。
私は人間として間違っているのでしょうか。
面と向かって不良品であると言い切られてしまうと心が痛みます。その痛みも自業自得なのでしょうか。産まない女は人として生きる価値や自由を侵害されても仕方ないのでしょうか。
「産める体で産まない決断をする」ことは、はたして非難されるべき事象なのでしょうか。
また、そのような言葉を言われたとき、どのように対応すれば良いのでしょうか。
ご回答をよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どちらでも悪になり得る
仏教では、悩み苦しみの原因は煩悩であると考えます。
したがって、仏教的な悪とは、たとえば欲・怒り・怠け・プライドなど、煩悩が働いているときの心が悪なのです。
子供を産む産まないは個人の自由ですし、日本以外では基本的に出家者(人々に善を教える僧侶)自体が結婚もしません。
ですから、子供を産むか産まないかという「形」で悪だとは言えません。
一方で、どちらを選んでも、価値観の違う他者への憎しみを抱くなら「悪(不善)」の心と言えます。
日本は少子化問題を抱えているので、社会は子供を産みやすいように環境整備を進めていますね。
しかし、それは個人の選択を強制するものではないですから、どうぞ安心して、胸を張って生きてくださいね。
同時に、子供を望む動物的な感情を持つ人々に対して、許してあげる慈悲の心を忘れずにいてくださいね。