選ばれ続けない人生
選ばれ続けない人生ってなんなんだろう、と最近強く思います。
私は誰からも、恋愛として選ばれた経験も無ければ、就職活動においても最後の最後で選ばれません。まだ出会ってないだけ、運もあるから、などの意見も分かりますが、正直疲れました。
選ばれるため?を考え、行動していくのが正しいのでしょうか?今の自分自身はすごく好きですが、このまま自分を好きで居続けていいのかも分かりません。結果として選ばれていないので。
そもそも、誰かに選ばれる、選ばれないという考えを持つこと自体が間違えなのでしょうか。
疲れて、自分の中で応えが分からなくなりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本質的に選ばれる選ばれないの問題はなく
こんにちは。
前回に引き続き、「選ばれない」ということがあなたの主要テーマのようです。
前回の先生は、こう回答されていました。
「企業にとっても、欲しい人材の基準があるのは当然のことですから。そこに、届くようアピールしていくしかないですよね」「コロナ禍の中、就職はどの業種も厳しいのは確かです。現職も、切られる状態ですからね。そんな中で採用を狙っていくのなら、自分の能力に見合う 手の届くところに絞っていく必要があります」と。私もその通りだと思います。
この回答に対してあなたは、短文の返信で「そういう考え方をする人もいるよな、とおもいました」と書いていました。かなり短いので真意がつかみにくいですが、取り敢えずそのまま読めば、自分はそう考えませんけど、ということを言いたいのでしょう。素直にアドバイスを受け取るのだったら、確かにそういう視点が欠けていたかもしれません、再考してみます、という趣旨で返答するはずです。
つまり、自分が狙った企業に「選ばれない」。
かといって、自分の能力に見合う 手の届くところに絞っていくという現実的選択に移行することもしない、と聞こえるのですが違いますか。
「恋愛として選ばれた経験も無」い、「就職活動においても最後の最後で選ばれ」ないと書いています。両者は性質がかなり違うものです。前者は、人としての魅力、人格への共感から選び選ばれるものです。後者は、企業を構成する有意な人材かどうかを基準に選ばれるものです。
あなたは、「選ばれない」ことを問題にしてます。
しかし、その前にあなたが既に選んでいるのではないですか。
自分が選んでいるところに、「選ばれない」。
では、「選ばれ」る対象への方向転換をするのかと言えばそうでもない。
こう見ていくと、これは本質的に「運」とか、縁とか、選ばれる選ばれないの問題はなく、あなたが自分の思った通りの現実にならないから苦しい、という問題だとも言えませんか。また、他者のアドバイスを採り入れる柔軟さを持たない、硬直した姿勢の問題だとも言えませんか。