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素晴らしい人生のはずが希死念慮が消えない

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有り難し有り難し 5

お世話になっております。どうか私の現状に助言を頂きたく、乱文ながら投稿させていただきます。

私は、世の中が理想とするような現状に身を置いています。私にはもったいないような大きな会社へ所属し、一人で暮らすには十分な金銭を得て、仕事も基本的には定時で上がれるような素晴らしい環境に身を置いています。

また、私はこの社会的立場こそが幸せと定義されるものであり、そのために不器用ながら努力を続けてきたつもりでした。その結果、一番に望んだプロセスでないにせよ、幸せをつかみ取ったと確信しておりました。
そして、私が渇望していた、”自分も他人も、私を認めてくれること”を叶えてくれるものだと信じて疑いませんでした。
しかし、最近では、手に入れたはずの幸せは、私にとって何の価値もないのではないかと思い始めました。

そのきっかけは、芸術分野で生きる知人の成功体験や、働かずとも両親の許で自由に暮らす友人が、自分の好きに生きて、それでいて何不自由なく幸福に生きていることを目の当たりにしたためです。

私は、私が定義した幸せを得るために自身の願望の大半を退けながら生きてきました。優秀な学校に行き、大手企業に入社する。それが私の全てでした。だからこそ、趣味という趣味も持たず、肉体が拒否反応を示そうとも机に向かう日々を過ごしていました。

しかし、結局のところ、社会的立場を得たとしても私の世界は何も変わりませんでした。大きな組織に属しているからといって、私が有能になれるわけではありませんし、友人に尊敬されると信じていたはずが、ただ一言「ふーん。すごいね。じゃあ今夜の飯、奢ってよ」と言われるだけでした。

その事実は、まるで私が信じていた世界が崩れ落ちるような感覚を植え付けました。心に秘めた虚しさを埋めるために、過去に私が関心を持ちつつも退けた事象にお金をかけてもみましたが、過去のような関心も戻らず、ひどく打ちのめされた気分になりました。

最近では、全てのことが無価値に思えてきました。仕事も、頑張っても誰からも認められない気がして熱心にやる必要性を感じられなくなりました。唯一の趣味の執筆も、昔から執筆を続ける人々との才能の差を感じてほとんど手を付けなくなりました。
そして唯一、私の頭に浮かぶのは、酷い虚無感と自殺願望だけです。

どうか、ご助言を頂けたならば幸いです。

2021年6月26日 19:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが生きる道

拝読させて頂きました。
詳細なあなたのおかれている状況や環境についてわからないですけれども、あなたが今もとても満たされない感覚にあるように感じました。あなたが今までよいと思っていたものごとや条件が実はあなたを満たしてくれるものではなかったという事実を知ってしまい、あなたはとても絶望の淵におられるのかもしれません。
あなたが思っていた幸せとはかけ離れた実情があなたの目の前に横たわっていてそこから感じるのは失望であり自分に対する嫌悪であり、周りにいらっしゃる成功した人々や充実して生きている人々への羨望のまなざしからねたみやうらみや憎しみも感じておられるのかもしれません。
詳細なあなたの思いはわからないですが、あなたのお気持ちを心よりお察しします。

幸せというのはもしかしたらあなたが思っていたものとは違うのかもしれませんね、或いは自由に生きることや充実して生きることもあなたが思っていたものとは違うのかもしれません。
どんなに苦しい中で紛争や戦争のさ中にあって食べ物もほとんどない状況で、はたから見れば絶望感しかない状況の中でも人は立ち上がり、生きることを求めて自由を求めることはできます。或いはそんな中でも幸せを感じることはできるものです。
空襲や侵略や虐殺行為で家族を失い、徴兵された父や兄が戦死してしまい、その様な中でも九死に一生を得て生き残った人々・大震災によって家も倒壊してしまい、家族は津波に飲まれてしまい、災害事故によって実家は避難地域となって帰ることもできない人々・何度も何度も窮地に追い込まれ生死をさまよい一命をとりとめた人々、そのような人々は何度も諦めたり死を覚悟したことでしょう。
それでも何とか生きようとする思い、自由を求めようとする思い、幸せに生きていこうとする思いを決して消さなかった歴史や記録があまたあります。あなたも私もそういった必死で生き延びてきた人々の子孫でもあるのです。

宜しければ一度ゆっくりと呼吸なさってみて下さい。そしてあなた自身のことをもう一度ゆっくりと見つめ直してみて下さい。あわてることはありません。

もしもご興味があれば仏教を学んでみて下さい。仏教は誰もが円満な人格を得る為つまり何の憂いも苦しみもなく成仏していく為の教えです。あなたが仏教を学ぶ中で本当に心が満たされる瞬間を感じることができるでしょう。
あなたの思いを教えてくださいね。

2021年6月27日 9:12
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
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SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
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かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
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鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

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