仕事が出来ない自分について
現在、自分の研修のための発表資料作成をしています。
なかなか資料が埋められず、上司達に助けられています。とても有難いことです。
ですが、手を加えられてるのを見る度辛いです。
こんなにも自分はできないのかと思ってしまい。
ましてや自分の成果を発表する内容の資料です。仕事に関する資料なら、助けてもらえて純粋に喜べますが、今回の資料は喜べず、辛いです。
退勤してから家に帰って、資料作成の続きをしたりもして、せめても自分は頑張ってるんだと誤魔化しています。
頼っていいよと上司達も言ってくれます。怒ったりする上司たちではないのですが、その優しさが辛くて。
ここに書き込んでる間に資料作成しろよとは思われるかも知れませんが、誰にも話せず…同期も出来る子が多いので…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
育てようと、気にかけてくださる。この手直しは、期待を込めて。
遅くまで、お疲れ様です。
そうですね〜助言の有難さと、手直しされていく情けなさのような、複雑な気持ちになりますよねぇ。
ただね、働くにはとても良い環境だなと思いますし、上司の方々も、そうやって育てられて今の自分があるからなのではないでしょうか。だから、あなたを育てようと、気にかけてくださる。そうだとしたら、この手直しには、期待が込められているのだろうと思いますし、頼れと言ってくださる言葉に どんどん学べ、先輩から盗め、成長していける、って愛が込められているようにも感じますよ。
ポジティブな私は、そう感じます(*^^)v
悩めるって大事なことだよ。
あなたに成長を感じるわ。
ファイトだよ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
確かに上司達も自分の時も沢山直してもらったと言っていました。
直される度にまた呆れられてるのかなと悲しくなっていました。早く1人前になって認められたいので。
いつも情けないので、自分が期待されてるかもなんて考えたことがなかったです。
私ももっとポジティブな捉え方が出来るようになれたらいいなと思いました。
ご回答ありがとうございます。