母が他界しました。
母が他界しました。63歳でした。
3年半闘病しました。2年間は食べる事も飲む事もできませんでした。
旅行が好きな母でした。私が社会人になってからはいろんな所へいきました。
最後の旅行の時「あなたと後何回いろんなところへ行けるかな。」とポロっと言われました。その時は「何言ってるのー?」と笑って返しましたが、その旅行が最後の旅行になりました。何故こんな事を言ったのかずっと心に突き刺さっています。
亡くなる3日前に急に体調が悪くなり、肺炎でした。施設に預けていましたが、亡くなる前日少し状態が良くなり、付き添いを止め、私も自宅に帰りましたが、夜中に1人で逝ってしまいました。
「付き添いをしてあげればよかった」「仕事で忙しいと言わずに時間を作ってもっと会いに行ってあげれば良かった」いろんな感情がぐるぐる回っています。3年半も頑張ってくれて、もう辛くないんだから前を向かなきゃと思いますが、どれだけ泣いてもふっと気を抜くと涙が止まりません。
そばにいて貰いたくて、分骨したいと思い骨壷ペンダントを買いましたが、家族に言えずにしまっています。
分骨も悪い事ではないとインターネットで見ましたが、やはり身内にお願いできません。また遺骨を砕く勇気も私がありません。身体が鉛のようで何もできないです。
このままじゃ母が心配しそうです。
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供養とは
本人は死出の旅が近づいていることが分かっていて、家族は、気づかなかったり認めたくなかったり。後から、あれが最後だったか、と、なります。
死出の時だけ、本当に最後なので、強く印象に残りますが、何事もいつもこの調子です。生きているからまた会えるかもなどと思っているだけで、そのままどちらかが、あるいはお互い、死んで終わりです。
また、親、特に母親の場合は、その死に対して特別な気持ちが生じます。親の恩の大きさは計り知れないのです。
さらに、亡くなる直前にちょっと容体が良くなって、落ち着いた気持ちで死を迎える場合があります。本人には、分かっているので、苦しいままよりもむしろ善いことです。周りはうっかり安心して、もう少しいけるかもなどと油断して、後悔しますが、そういうものです。亡くなるときは、自分の体調や気持ちとの戦いなので、周りに誰かいてもいなくてももう関係ありません。
こういうパターンは、慌てたり怖がったり苦しんだりせず気持ちを落ち着けて死に向き合えるので、むしろ来世を心配しなくて済む、大往生のグループに入ると思います。
足し算引き算で言えば、親孝行したたくさんの善行為を数えてみてください。たった一回やそこらの、しかしたまたま最後だから妙に気になる不足分一回と、親孝行何億回分と、どちらが大きいでしょうか。
死後の供養は、「立派な親だった。私も立派に生きるぞ」というその後のあなたの生き方によって行われます。それをお母さまも供養として喜んでくださいます。あなたがクヨクヨして、骨が欲しいとか写真が欲しいとか遺品が欲しいとか嘆き悲しむのを見たら、むしろ「みっともない、シャキッとしなさい」と思われることでしょう。親は子供の成長が一番の楽しみなのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
3年半の病気と闘った姿、最後は寿命を全うし逝った事、自慢の親です。
ただまだ一緒にいたかった。いつか眼を開けてくれたら、いつか笑ってくれたら、話したいなぁ。最後こんな事考えてたら逝ってしまいました。
辛いですね。やっぱり怒られそうです。。
家族に気持ちを話し、分骨してもらい、母の形見の財布をもらってきました。
寂しいですが、そばに居てくれると思うと少し気持ちが楽になりました。いろいろ迷ってましたが、勇気が出ました。ありがとうございました。