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決めつけてしまう自分が嫌いです

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有り難し有り難し 10

人や物事を決めつけてしまう自分がものすごく嫌です。治したいです。

親戚から贈り物を頂きました。
以前お下がりのものをいただいた方で、箱に「洋服」と書いてあったので今度は服のお下がりと決めつけて勝手にイライラしてしまいました。
以前いただいたお下がりは、断りきれず、趣味も合わなかったけれども受け取ったものでした。

私はあろうことか、他の方にお下がりが贈られてきてしまったと愚痴のように話してしまいました。
箱の中身も見ていないのに、です。

結果的に入っていたのは新品のものでした。

中身を見た時に自分の愚かさがものすごく恥ずかしくなりました。

こんな風に思い込みや色眼鏡で人を見てしまうのを、どうにか直したいです。
こんな自分がものすごく嫌いです。
知恵をお借りしたいです。
よろしくお願いいたします。

2021年7月5日 20:19

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無慙愧は名づけて人とせず

香色さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

以前お下がりをいただいた親戚から、洋服が送られてきて、またお下がりかとイライラしていて、愚痴もこぼしていたけれど、中身を確かめると新品の洋服だったのですね。

そして、中身を見た時に、中身を確かめずに、どうせまたお古だろうと決めつけていた、自分自身の愚かさがものすごく恥ずかしくなったと。

香色さん、とても大事な経験をいたしましたね。香色さんは、ご自身の愚かさが恥ずかしかったとおっしゃいますが、その恥ずかしいという気持ちを仏教では、慙愧心といいます。

私たちは過去の経験や、自らの思い込みで生活しています。色眼鏡はね、無くそうと思っても無くせないものですよ。でも、その色眼鏡を愚痴らせず、開き直らせず、自らの姿を恥ずかしいと思わせるような心が、香色さんの心の奥底から、わき出てきたのでしょう。その慙愧心を通じて、色眼鏡が色眼鏡だったと私たちは、自らのありようを知ることができます。

色眼鏡は直りません。でも、慙愧するということは大事なことです。また間違いがあっても帰ってこられる場所が見つかったんです。

だからご自身を、嫌っていてもよいのですが、でも嫌う必要はありません。仏の智慧はあなたにちゃんと届いています。

2021年7月5日 22:13
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有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
大事な経験をしたというお声をかけていただいて、自分の色眼鏡に気付いて物凄くショックだった心が楽になりました。
慙愧心、はじめて聞きました。これはとても大事な心なのですね。
なかなか自分のことを嫌いでなくなるのは難しいなと思うばかりです。奢らず、自分の色眼鏡と心と向き合っていこうと思います。ありがとうございました。

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
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寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ