決めつけてしまう自分が嫌いです
人や物事を決めつけてしまう自分がものすごく嫌です。治したいです。
親戚から贈り物を頂きました。
以前お下がりのものをいただいた方で、箱に「洋服」と書いてあったので今度は服のお下がりと決めつけて勝手にイライラしてしまいました。
以前いただいたお下がりは、断りきれず、趣味も合わなかったけれども受け取ったものでした。
私はあろうことか、他の方にお下がりが贈られてきてしまったと愚痴のように話してしまいました。
箱の中身も見ていないのに、です。
結果的に入っていたのは新品のものでした。
中身を見た時に自分の愚かさがものすごく恥ずかしくなりました。
こんな風に思い込みや色眼鏡で人を見てしまうのを、どうにか直したいです。
こんな自分がものすごく嫌いです。
知恵をお借りしたいです。
よろしくお願いいたします。
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無慙愧は名づけて人とせず
香色さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
以前お下がりをいただいた親戚から、洋服が送られてきて、またお下がりかとイライラしていて、愚痴もこぼしていたけれど、中身を確かめると新品の洋服だったのですね。
そして、中身を見た時に、中身を確かめずに、どうせまたお古だろうと決めつけていた、自分自身の愚かさがものすごく恥ずかしくなったと。
香色さん、とても大事な経験をいたしましたね。香色さんは、ご自身の愚かさが恥ずかしかったとおっしゃいますが、その恥ずかしいという気持ちを仏教では、慙愧心といいます。
私たちは過去の経験や、自らの思い込みで生活しています。色眼鏡はね、無くそうと思っても無くせないものですよ。でも、その色眼鏡を愚痴らせず、開き直らせず、自らの姿を恥ずかしいと思わせるような心が、香色さんの心の奥底から、わき出てきたのでしょう。その慙愧心を通じて、色眼鏡が色眼鏡だったと私たちは、自らのありようを知ることができます。
色眼鏡は直りません。でも、慙愧するということは大事なことです。また間違いがあっても帰ってこられる場所が見つかったんです。
だからご自身を、嫌っていてもよいのですが、でも嫌う必要はありません。仏の智慧はあなたにちゃんと届いています。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
大事な経験をしたというお声をかけていただいて、自分の色眼鏡に気付いて物凄くショックだった心が楽になりました。
慙愧心、はじめて聞きました。これはとても大事な心なのですね。
なかなか自分のことを嫌いでなくなるのは難しいなと思うばかりです。奢らず、自分の色眼鏡と心と向き合っていこうと思います。ありがとうございました。