私は幸せになって良いのでしょうか?
私は今、自分の過去の行為に苦しめられています。
私は小学生3年生の時に、貧乏、嘘つきという理由で皆んなから避けられていた子に、一度ひどいことをしてしまいました。
学校からの帰り道に、その子にオナモミの実を投げて、その実がくっついてるのを見て、笑ってしまいました。次の日に先生から皆んなの前で怒られ、そこからは何もしていません。
そのときはあまり深く反省もせず、ただ怒られたくないという理由だけでそういった行為をやめましたが、今となってはとてもひどいことをした、その子にとってそれが今もトラウマになっていたらどうしようと、深く後悔しています。
そんな私が毎日の暮らしを楽しんで良いのだろうか、たくさん笑って、幸せを享受して良いのだろうか、そう思ってしまうのです。
思い出してみれば、小学校中学年の時は、他にも遊びの延長で今では考えられない様な悪戯などを他にもしていたなと思います。
私が傷つけてしまった相手は、貧乏だから、臭いから、という理由でクラスメイトから避けられていましたが、彼女は何も悪くなく、いじめられる理由など何もないと今は痛いほど分かります。その子に自分から歩み寄れなかった上に、自分が相手に酷いことをしてしまった、その事実がとても悔しいし、苦しいです、
今は、幸いそこからの人生で沢山の素敵な方に出会い、人の尊い命を侮辱する様なことは決してしてはいけないと理解しています。学校では、理解できない相手にどうしたら歩み寄れるか、共存できるか学んでいます。加えて将来も、出来るだけ人の役に立つ仕事をしたい、周りの大切な人に沢山の幸せを与えたいと思っています。
大したことのない人間ですが、本当は私の持っている、また頂いた何かしらの力を人のため、自分のために使いたいのです。
ですが、先ほども述べた通り、過去の自分の行為によって苦しめられています。今は決してしてはいけないと思っている行為を自分が過去にしてしまっていた。そして傷つけた相手が今もその行為に苦しめられていたらどうしよう、そう思ってしまいます。
私はどのような心持ちで暮らしたら良いのでしょうか?夢を、幸せを追い求めて良いのでしょうか?
大変長い文失礼いたしました。
お読み頂きありがとうございます。
お忙しい中だとは思いますが、助言を頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
客観的な考え方を心がけてくださいね
質問読ませていただきました。
過去の罪がトゲとなって、なかなか抜けないのですね。心中お察しいたします。
さて、ここでは2つのことを述べさせていただきたいと思います。
1つ目は、けんみさんが犯された罪についてです。けんみさんは確かに酷いことをしてしまったのかもしれません。しかし、その子との間には、その事件しか交わりはなかったのでしょうか?
まだまだ純粋な小学3年生の頃の話です。全く面識もない知らない人にオナモミを投げつけるなんてことはしないのではないでしょうか?覚えてないだけで、一緒に遊んだりお話をしたこともあるでしょう。ひょっとしたら、忘れ物をしたときに貸してあげたり教科書を見せてあげたこともあるかもしれません。そういう交流を通して、実はその子はけんみさんに感謝していたなんてことも考えられます。
何を言いたいのかと言えば、彼女はきっと恨んでいるだろうというのはけんみさんの想像に過ぎないのであって、可能性は無眼にあって事実はわからないということです。その無数の可能性から1つの可能性を取り出して縛られているのです。
また、現在のけんみさんの姿を見ればその子は「自分の存在が人を苦しめている」と逆にショックを受けてしまうかもしれません。
一方向からの考え方に縛られるのではなく、視野を広げて客観的に見てみてくださいね。
2つ目は、これからについてです。けんみさんはきっとその子に直接謝りたいのかもしれません。しかし、相手はそんなこと忘れてるかもしれませんし、そんなこと望んでないかもしれませんし、下手に相手を困らせる独りよがりの方法になるかもしれません。
それよりは、目の前の善行を1つ行ってみてください。その行いが回り回って相手の子を助けるかもしれません。「風が吹けば桶屋が儲かる」と似たようなもので、たとえばけんみさんが近所の女性に明るく朝の挨拶をしたとします。その女性は少し気分良くなって、その家庭の雰囲気が少し良くなるかもしれません。そうしたらその息子が気持ちよく勉強できるようになって、素晴らしい発明をして、けんみさんが謝りたい人も含めてたくさんの人を助けるかもしれません。
このように、後ろ向きの自分の行いよりも、前向きの行いの方が相手のためになるかもしれないのです。
何か少しでも参考にしてみてくださいね。
皆様と一緒に幸せになって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたが過去人を傷つけて悪行をなさってしまったことを今心から悔いて反省なさり、二度とそのようないじめや嫌がらせ等の悪意や悪言や悪行をなさらないようにと心からお誓いなさり、周りの皆様と一緒に進んで人の役に立とうと努力なさって毎日生きていらっしゃるのであるならば、あなたは皆様と一緒に心から豊かに本当の幸せを感じながら生きていくことができるでしょう。
そしてその方が幸せに生きていかれますようにと心からお祈りなさっていきましょう。
どのような人も罪を犯していない人はいないのです。ただその後にどのように志して生きていくのかが問われると思います。
あなたは自らの罪をしっかりと受け止めて確認なさり、傷つけてしまった方に心の中で謝りその時のことを誠実に反省なさっているのですし、人への思いやりの気持ちを持って今も人に接していらっしゃるのでしょう。
それは本当に尊いことですね。どうかこれからも人のお気持ちを尊重なさりお互いを思いやり喜びを分かち合い、心から幸せを分かち合って生きて下さいね。
あなたがこれからも素晴らしい方々とのご縁の中でお互いを尊敬なさり共に助け合いながら皆様と一緒に心から幸せに人生を歩んでいかれますようにとお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援してますね。どうか人を助け分かち合うことを決して忘れないで下さいね。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
質問に答えてくださり、ありがとうございます。
とても前向きな気持ちになることが出来ました。
私が酷いことをし、後悔することで、人への思いやりの大切さや差別など決してあってはならないと改めて認識するきっかけになったのも事実です。
出会っていく全ての人たちにできるだけ思いやりを持って接し、誰かの役に立ち、少しでも幸せにできるよう、努力していきます。
藤川誠海様
質問に答えていただき、ありがとうございます。
「客観的に物を見る」というコメントを頂き、本当にその通りだと思いました。今までの私にはネガティブに物を見てしまう傾向があったので、確かに私が考えている事柄は数あるうちの一つだと感じます。私自身小学生のことを思い出した時、悩んでいたというのもあり、自分の悪いところにばかり焦点を当てていたように思います。相手に対しては覚えていないのですが、思いやりを持って人と接することが出来ていた小学生の自分がいたことも事実なので、その部分もしっかり受け止めます。
これからのことですが、教えていただいた通り、少しでも誰かを幸せにできるよう、思いやりのある行動を心がけていきます。
改めて、お二人ともご回答ありがとうございました。ずっと悩んでいても何も変わらないですし、これから自分が何をしていくかで私の人生や私が出会う人の人生もずっと良いものにできると確信しました。回答を頂いてから、人に思いやりを持つことを今まで以上に意識してみました。すると、なぜか私の心がとても豊かになり、幸せを感じられました。思いやりの心を持つこと、人の役に立つことが、私の幸せになるのだと思いましたし、幸せになれるのだと思いました。何度も述べましたが、これから人への思いやりを忘れず、誰かの幸せを作ることが出来るよう、少しずつ努力を重ねていきます。そして私は幸せになります。