海の事故を悔やんでいます
数年前、知人家族たちと海水浴へ行った際のことです。
子供たち(小学生)に楽しんでもらおうと、子供が2~3人乗れる大きめの水に浮かぶ遊具を持っていきました。
思惑通り、降りろといっても降りてくれないほど子供たちは気に入ってくれました。目を離してはいけないと思いながら、なかなか降りないので少し離れた場所で5分ほど私は休憩を取りました。
そして子供たちの元へ戻ると、子供たちが乗ったままの遊具が沖へ流されていました。大人の足もつかない深さで、泳ぎができない子供も遊具にのっていました。
ぎりぎりのところで助けに行くのが間に合ったので、幸い大事には至りませんでした。しかし、もしあと10秒でも遅かったら、命に係わる事故となった可能性もあり得た状況でした。
大事故にならなかったとは言え、己の甘さが原因で子供の命を奪う可能性があったと思うと、今も気持ちが重くなります。
結果オーライと済ませてよいと思える訳もありません。今後私はこの事故とどう向き合っていけばよいでしょうか。ご助言をいただければ幸いです。
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自然にはかないません
拝
大変でしたね
私は子供達とよく自然体験活動を行っております
中でも海、川の水の事故はとても危険が多くあわや大惨事という事も幾度か経験しております
ですがそれも含めて子供にとっては大事な経験と考えてこの活動を継続しています
海は潮と波、風の影響を受けて常に流れを変え、川は水深が膝を越えるといとも簡単に人をさらいます
子供は僅か15cmの水深で5分どころか30秒ですら溺れる事があります
こうした事を考察、観察する力を養ってもらえるのは自然の懐だからこそです
私達は自然の一部であり
自然はとても厳しいもの
それを子供のうちに体感させてあげる事は
人間形成の上でとても大事な事です
いずれ、そういう自然の中の体験は「生きる力」に繋がります
さて、未だに溺れかけた子供達もその怖さを覚えているのですが
子供達は何故流されたのかを考えるきっかけを得たわけですから、大人はそこを一緒に考えます
そうしてもう一度海を見た時
海にカレントという危険な流れがある事に気がつくはずです
そういう作業が学びを深く確実にします
大人の役目は自責することではなく
自身がそのメカニズムを学び
子供に何故その時流されたか
教える事かと思います
自然を相手にする時はいかなる時もパニックになってはいけません
今もそうです
過去は二度と貴方を襲いません
大事なのは今何をするかです
合掌
質問者からのお礼
丸山様
遅くなり申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。
今何をするべきか。二度と繰り返してはいけない事ですが、ある意味で貴重な経験と考え、できる範囲で自分にできる事をしっかりやっていこうと思います。本当にありがとうございました。