医者の誤診による投薬で13年寝たきり
13年半分寝たきりで過ごしましたが、医者の誤診による間違った投薬のせいだったと分かりました。
薬で体が動かなくなり、いつも眠く、親や先生から「努力不足だからもっと努力しなさい、サボりやがって、怠け者」と言われてきました。
ですが、医者の誤診による投薬のせいで、体が動かなくて当然だったそうです。
高校受験、大学受験、就活ができませんでした。
親が死に次第生活保護になって当然と言われてきました。
当時よくある誤診だったようですが、本来の病気を専門とするその道で評価されている医者に診てもらったのに、気づいてもらえませんでした。
結局13年で医学が進歩し、最新の教育を受けている若い医者2人が気付きました。
間違った薬を飲み続けたので、健康診断では内臓の数値も悪くなってきましたので、今思えば、身体的虐待でした。
間違った薬で体の動きを奪われているのに、親や教師から言葉の暴力による精神的虐待を受けていたようなものです。
親は、体が動かないなら、もっと薬を増やせと言いました。
信じていた親や教師や医者が…苦しみの元凶でした。
信じていたのに…
怒りと恨みを感じます。
戦争している国の人に、話し合いで解決したらいいですねと教師は言っていましたが、13年死んだように…殺されたように過ごしただけでこれほどの恨みを感じるのに、肉親を殺された人が話し合って解決するのは、どれほどの慈悲心だろうか、やはり戦争が続くわけだと思いました。
治してやる、しつけてやる、教育してやる…そう言った彼らこそ、完璧な判断はできていなかったのに、完璧でないといじめられ続けたのですが、この怒りと恨みを慈悲の心で抑えるのは、それこそ肉親を殺した敵国の兵士を愛するくらい、悲しくつらいです。
どうしたら良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大変な時間を過ごされたのですね。
それはお辛い時間を過ごされましたね。想像を絶する長い時間だったのだろうと察します。
そんな不幸な中でも、原因がはっきりしたことは良かったですね。
今できることは、過去のことは誠意をもって謝るとか法的な対応などあるのでしょうか。客観的立場から然るべき対応をしつつ、あなたはこれからの人生のために今できることを一つ一つ着実にコツコツやるのみです。人と比較せず、今を生きる。「もし」や「こうだったはず」という思考は置いといて事実としてある、今をしっかりやっていきたいですね。やこうした不幸な人が二度と現れないための菩薩行として、活動するのもひとつです。
後ろを向かず、前を見過ぎず、今をしっかりです。
追記
ネガティブな感情にしろポジティブな感情にしろどちらが良くてどちらが悪いというものではないです。
「ただ思えた」という働きが体の上で起きているだけです。重要なことはその思えた働きをそれで終わらせられず取り扱うことです。握らないことが重要です。好き嫌いを起こす以前、ただ思いがポッと出たというだけ。あとはそのままそっと触れないで置いとくと立ち消えていきます。消そうとしたり、ポジティブに変えようとしたりすると、強調され苦しくなります。
怒りは怒りのまま手をつけないで静かに座る。そのうち火は消えます。時間は少しかかっても、反芻せずにただ座るのです。今のリアルな目の前の様子に参じて座ります。
質問者からのお礼
邦元さま
医療訴訟は、証拠であるカルテを持っているのが医者なので、医者の側が証拠に手を加えて、患者側が負けるのが常識だそうです。
親も、私達に悪気は無かったのに、お前が怒るなんておかしい、私達は最善を尽くしたとしか言いません。
今を生きるしかないですが、ただただ怒りと恨みの中で、今できる事を粛々と淡々とやるしかないのだとしたら、生き地獄はこれからも続くのかもしれません。
ただ怒りと恨みを抱えたままでも、今やるべき事はやるだけです。
というか、ずっと今できる行動は続けていますが、常にまとわりつく怒りと恨みが湧き上がる、それが苦しいです。
ネガティブな感情があってもやるべき事をやっていればそれで良いのでしょうか?
邦元さまへの追記
怒りを消そうとしたり、ポジティブに変えようとしたりせず、座るというのは、とても納得しました。
怒りを抑圧せず、ただ遠くから見てそっとしておくだけの方が、抑圧しようとするより、楽です。
怒りを無かった事にしようとすると、他の感情も麻痺して、エネルギーが小さくなる感じがしますが、怒りを握らないようにしつつも、消さないしポジティブにも変えないようにしたほうが、体が元気というか、エネルギッシュな気がします。
追記のアドバイスに心が楽になってきました。
何度も怒りが浮かぶかもしれないけど、その度にあまり動じずそのような対応をしていきます。
ありがとうございました。