全てが虚しく憎い 早く死にたい
今年の4月にご相談をさせていただいた者です。
https://hasunoha.jp/questions/52766
その際相談したパートナーが、先月亡くなりました。
余命宣告から二ヶ月も経たないうちでした。
一目ですら、会うことは叶いませんでした。
連絡がつかなくなってから毎日お悔やみ欄を調べ、ある日、彼の名を見つけました。
何も信じられませんでした。しかし、一週間、一ヶ月と時が経ち、本当にもう二度と会えないのだと悟りました。
余命を告げられてから今日まで、涙を流さなかった日はありません。
彼は、いつも誰かのために動いている人でした。まだまだこれからやりたいこともたくさんある人でした。
私よりもずっと、生きる価値のある人でした。
なぜ、そんな彼を連れていってしまったのですか。なぜ彼を苦しめたのですか。お坊様にこう言っては失礼ですが、この世には神も仏もいないのですか。
彼を亡くしたあの日から、全てが虚しくて憎くてたまりません。
彼の病を見つけてくれなかった医師が憎い。ずっと不調を訴えていたのに。コロナのせいで見舞いにも行けなかった。
街で見かける彼より自堕落で不健康そうな人、テレビに映る身勝手な人々…認知症の自分の祖母にすら、なんであなたが生きてるの、とひどい考えを向けてしまう。
生活の中で自分が感情を持つことも、毎日健康に過ごしていることも憎くてたまらない。
日に日に自分が醜く歪んでいくのが分かります。
一度は、彼が願ってくれたように幸せになろうと思っていました。
誰かを恨んでも無意味なだけ。大切な両親や支えてくれる友人を大事にして生きようと思いました。安易な選択をしては、今度はその人たちを苦しめてしまう。
ですが、日ごとに絶望が強くなる。自分の幸せなどもういりません。どうせ彼のように簡単に消えてしまうのですから。
人生の全てが無意味で虚しいのです。早く命を絶てたら、と毎日思います。
彼に会うために死ぬのではありません。彼のいない世を生きるのがあまりにも辛いのです。どの道、醜い私は死んだところで彼には会えないでしょう。
毎日泣くのも苦しいのも、外では平気なふりをするのも、もう疲れました。
いずれ彼の記憶が薄れていくことが何より恐ろしい。彼を愛しているうちに、はっきりと心の中にいるうちに、死にたいのです。
地獄に落ちてもいい。私が死ぬことを許してください。
他人の容姿を羨んでしまう なんでも人のせいにしてしまいがち 後悔するのをわかっているのに行動を後回しにしてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
彼を心よりお祈りします
拝読させて頂きました。
あなたのお悲しみは深いことでしょう、私の想像もできないものかもしれません。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
読ませて頂いて思いました。
「彼のように簡単に消えてしまう、人生の全てが無意味」でしょうか?
彼が生きた人生は簡単で消えてしまうようなものでしたか?彼の人生もあなたの人生も全て無意味なものなのでしょうか?
彼はいまでもあなたとつながっているのではないでしょうか?あなたのことをいつもこれからも見守っていて下さるのではないですか?
それでもあなたの人生は絶望しかないでしょうか?地獄に行くしかありませんでしょうか?
彼を心よりお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
みとさま
誠に愛別離苦の苦しいご心境を打ち明けて頂きましたね・・おつらいことでございます。
つい先程に回答させて頂きました中でも述べさせて頂いておりますが、「神様も仏様も、どのようにすれば、善い方向へと向かうことができるのかという道のりをお示しされておられますが、それを実践して、実際に歩き進めていくのは自分自身の問題となります。仏教では、自灯明、法灯明と申します。」
https://hasunoha.jp/questions/54776
生きることやその他も含めて、意味や価値、理由などは、因縁(原因と条件)次第なるものであり、また、貴女さまと私でも一つのモノ・コトにおいてさえ、意味や価値、理由が完全に一致することが無いのであります。
このことは以前の拙回答ともかぶりますが、例えば、もともと私たちは、一つのモノ・コトを捉えていても、誰もが同じようにそのモノ・コト(の意味や価値や理由も含めて)を捉えているとは限らないのであります。
一つの物事でも、立場に応じて見方、捉え方が変わる例えとして、仏教では「一水四見」という言葉がございます。
私たち人間にとっては「水」であっても、天人にとっては宝石、魚にとっては住処、餓鬼にとっては火と、それぞれで捉え方が異なってしまっているという例えです。
更に、仏教における唯識思想から考えれば、この世界の顕れの捉え方の複雑さについて、より知れることになります。
一つのモノを見ても、実は、それぞれ、はるか昔の過去世からの心(の阿頼耶識)に薫習された習気(薫りが染み付いたようにそのモノコトを捉える習性)が、そのモノを捉えているという複雑な構造を知ることができます。
要は、誰一人として、誰かと同じように、そのモノ・コト(の意味や価値や理由も含めて)を捉えていることなど、もともとあり得ないということでもあります。
ですから、そう捉えている人それぞれでそれぞれにおける意味や価値、理由であり、また、それも色々な因縁次第において変わりゆく無常なるものとなります。
ですから、全く無いわけではないし、変えていけないわけでもありません。善き因縁に努めれば、もちろん、善き意味や価値、理由も見出し得るということにもなります。
仏教は、そのような善き因縁に資していく教えであります。
是非、仏教を学んで頂けましたら。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お礼が遅れまして申し訳ありません。
川口 英俊様
丁寧な教えをありがとうございます。
仏教に関して無知な者ですから、その一部だけでも知ることができました。
そして、自分の願いばかりを仏様に押しつけて縋ろうとした自分の心の貧しさ、弱さを改めて思い知らされました。
長い目で見ればきっと、彼との出会いも幸せだった日々も、素晴らしい思い出になっていくのだと思います。
悲しいことばかり考えても、その幸せを否定するだけとわかっているのです。
このまま悲しみに沈むばかりでは私はきっと前を向けず良い方向には進めないのでしょう。
でも、何もかも憎んだ私は善き因縁を探す資格すらないように思えるのです。
苦しんで苦しみ抜いた先に、仏様への道があるのでしょうか。その道のりが、私には辛くてたまりません。
Kousyo Kuuyo Azuma様
彼の人生はとても価値あるものだったと思います。
責任ある仕事を定年まで勤め上げ、多くの人に慕われ、仕事を越えて頼られる素晴らしい人でした。
でも私は彼の愛情と優しさに甘えるだけでした。彼が亡くなって、何もなくなってしまったのです。彼がいたから私が生きる意味があったのです。
心の拠り所も愛もなくしてしまった私の人生に、これから意味を見つけられますか。
この絶望が、彼からの光に変わる日が来るのですか。
その日を待つのは、とても苦しいです。
お答えをくださったお二人へ
私の苦しみに寄り添ってくださり、ありがとうございました。
まるで頭の整理がつかず、せっかくくださった優しいお言葉も撥ね付けるようなことを書いて申し訳ありません。
きっとこの先も苦しむ日は続きます。この先の人生は、許されない恋をした罰を背負っていくのだと思っています。
それでも、お二人の言葉がいつかわかる日が来るのだとも思います。
どうか、彼を仏様の元へ導いてあげてください。
ありがとうございました。