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プライドが高く他人を見下してしまいます。

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こんにちは。初めて相談させていただきます。私は20歳の短大生です。
この頃、自分のプライドの高さや自信のなさが嫌になる出来事がありました。
それは、付き合って10年以上になる友人に、「周りを見下している」という内容の厳しい言葉をもらったことです。
この件については私も自覚があり、友人のおかげで目が覚め、泣きながら謝罪しました。友人は、これからも友達でいようと言ってくれています。
しかし、自分の事が最低でどうしようもない人間に思えてなりません。思い返せば今まで、他人を偏見の目で見ていました。今いる友人たちもきっと、そのうち私に愛想を尽かすだろうと思ってしまいます。

自分への理想も、他人への期待も高い自分。人と比較してしまう自分。これまで感謝されたこともあるはずなのに、自分の欠点ばかりに目が向いて、自己嫌悪してしまいます。
こんなプライドの高いみじめな私にも、いつか全てをありのままに受け入れられる日が来るのでしょうか?
まとまりのない文章ですみません。何かお言葉をいただけると幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝読させて頂きました。
あなたのお悩み読ませて頂きました。
あなたのお悩みなさっていらっしゃる自分のプライドの高さや他人を見下してしまうのはどうしてかと思いますか?そんな自分のことを自信持てないのは何故なのでしょうか?
おそらくあなたが生まれてきてから育ってきた環境や親や家族からどのように育てられてきたかにも大きく影響しているでしょう。あなたが今まで生まれもってきてどう言われて育ってきたかで大きく変わるかと思います。
お釈迦様が言われたことに人は生まれたところ育ってきたところで尊いのではなくて、人がどのように生きていくかによって尊いのかそうでないのかが決まるとおっしゃられました。
それは生まれや育ちや金銭的に豊かであるから尊いのではなくて、その人がどのように考えてどのように志して何を言い何をするかによって尊いのかどうかが変わってくるということを表しているのです。
私達はその生命を全うしていく時には全てを置いていかなくてはなりません。金も地位も名誉も全て一切置いていくのです。
おそらくその生命終わる時に自分の人生はどうだったであろうか?と思い直すでしょう。そうした時に自信持って旅立っていくにはどう生きていけばいいでしょうかね?
あなたの今のプライドについて考える中でどうぞゆっくりと今までのあなたの考えや言葉や行いを見直して下さい。そしてあなたがこれからどのように生きていくことが善いのか見直してみて下さいね。
あなたを心より応援してますね。

お返事ありがとうございます。あなたが「自分を責めない」「他人を批判しない」に自らたどり着いたことは本当にかけがえのない尊いことですね。あなたはそのように様々見つめながら人として健やかに成長なさっていらっしゃるのです、ですから卑下することもなく、傲慢になることもないのです。あなたが常に成長していくその存在をどうか本当に自信持って下さいね。きっとお祖母様も沢山の方々もあなたのその姿をお喜びなさりお見守りなさっていて下さいますし、お導きなさって下さいますからね。
また宜しければあなたのお気持ちをおっしゃって下さいね。あなたを心よりお待ちしてますね。

ありがとうございます。私もかげながらあなたのことをお見守りさせて頂きますね。あなたが素晴らしい出会いの中成長なさっていくこと切に祈っております。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お返事をいただき、ありがとうございます。「心より応援してますね」というお言葉に、涙が溢れました。
なぜプライドが高いのか…それはおそらく、小さいころの親による私の評価が、「勉強できて偉いね」「弟の面倒を見て偉いね」など、条件付きだったからだと思います。一方でできないことがあると、「そんなんじゃだめ、もっとこうしなきゃ」「泣くなんて弱いね」「足が遅いなんてみっともない」など、常に私を否定する言葉をかけられていました。できないことを、できなくていいと認めてもらったことは一度もないように思います。
また、親も他人を見下すふしがあり、他人の悪口をよく聞かされていました。「あの人はもっとこうすればいいのに、バカだね」「あんたはああいう人間になっちゃダメよ」というような感じです。
結果、今の私があるのかな…と思います。

また、なぜそんな自分が嫌かというと、理想と違うからです。私の勝手な理想は、誰にでも優しくて平等で、いつも朗らかでたくましい人です。でも実際の私は感情が露骨に顔に出るし、大人しくて、ネガティブで偏屈で、承認欲求や独占欲にあふれた甘ったれです。理想像とかけ離れすぎているから、自分のことが嫌いになるのだと思います。本当は私の掲げる理想のような人なんて、ほとんどいないのに。人間なら誰にでも弱い部分があるのに、それがない完璧人間を追い求めています。

なぜそんな理想像があるのか?というと、おそらく、幼いころから親に求められていた人格なのだと思います。今もそれに合致しようと必死なのです。もう性格は変わらないのに。もっと私がタフなら…とか、もっと、もっとと自分に求めてしまいます。

もう、こんな苦しみを味わうのは嫌です。いつまで親の呪縛に囚われて、褒められようと必死な子どもみたいなことをしているんだろう。その結果大切な友人を失いかけて…本当にバカみたいです。
一度、遊びに来た祖母に「〇〇ちゃんが決めたことなら、そうしたらいい」と言われたときは、ハッとしたのを覚えています。私の親はこうしろああしろと押し付けてくるタイプだったからです。私が決めていいんだ…と衝撃でした。

もう同じ過ちを繰り返さないために、今は、しないことリストを作って毎日見返しています。内容は、「自分を責めない」「他人を批判しない」などです。
ショックを受ける以前と比較すると、少しだけ言動が変わってきていると思います。それでもふと他人を見下しそうになるときもありますが、心の中で「あ、今見下した…いけない、言葉には出さないでおこう」と踏みとどまれています。

長くなってしまい申し訳ありません。このような自己分析は初めてだったので、どこか腑に落ちたような気がしました。
私は両親のことを愛していますし、懸命に働いてくれていることに感謝しています。ただ、親にとって私は第一子ということもあり、初めての子育てに親も期待をかけすぎたのかもしれません。また、祖母の言葉も聞こえはいいですが、実際はかなりの放任主義です。親もその反動で、自分の子は手厚く世話しようと頑張ってくれていたのかもしれません。

人生の最期に自信をもって旅立てるように、明日から少しでも前進したいと思います。相談させてくださり、ありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma 様
追記になります。
優しいお返事をくださり、ありがとうございます。読んだ瞬間に、涙がたくさんこぼれました。これを書いている今も、涙が止まりません。

これまでの私の人生の過ちを思い出すと、原因はほとんど、くだらないプライドでした。自分が傷つくのが怖いから、自分を批判しない優しい友達とだけ関わり、できないことがばれたくないから嘘をつき、下を見ては安心して、自分がいじられると必要以上に傷ついていました。

そのため、成人したところで私は少しも成長していないのではないか、一生このまま嫌な人間なのではないか、本性を知られたら嫌われるのではないか、誰からも見放されて天涯孤独になるんじゃないかと、未来がとても不安でした。

こんなちっぽけな器の人間でも、まだそのように私の成長を喜び、見守り、導いてくださる存在がいるのだと思うと、本当に心強く感じます。

とても未熟な私ですが、救いの手を差し伸べてくださりありがとうございました。また相談させていただくことがあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

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