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憎い

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嫌いなタイプの人を見て、「ウザっ」「キモっ」「〇ね」と思うのを止められません。(街やテレビで見かけただけで。何か悪い事をされたわけではない。)

こういうのって、やっぱり幸せが逃げていくでしょうか…?

憎むのが気持ちよくて、やめられないんですけど…。
だって自分より幸せそうだったり優れてるとムカつかずにはいられません…


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自己中心を省みて

こんにちは。

「自分より幸せそうだったり優れてるとムカつ」いて、「ウザっ」「キモっ」等と心のなかで思ってしまうのですね。こういう思いの懐き方によって「幸せが逃げていく」のを危惧しているのでしょう。

「自分より幸せそうだったり優れてる」のをみて、憧れるとか、見習うとかではなく「憎む」のは何故でしょうね。それは、自分より「幸せ」「優れてる」ことが許せないからです。

つまり、言葉を変えれば自分が一番でないと気がすまないということではありませんか。それは、自己中心が行き過ぎているのだと思います。

「幸せ」は自己中心では得られません。
相手との違いを認めて、それを尊重していくことにこそ、一人だけでは得られない「幸せ」があるのです。共に笑えるのも、泣けるのも対等に相手の気持ちを汲んだり、弱さを負担し合えるからです。上からの目線で下に見たり、下からの目線で上を見るようなものの見方では、同じ目線で共に歩んでいくという「幸せ」を得られにくいのです。

また、「ウザっ」「キモっ」だけでは語彙の不足です。
言葉は精神そのものです。
言葉が豊かになれば、精神も豊かになります。
それは、物事に対する表現、ものの見方がバラエティーに富むからです。

世の中は勧善懲悪、優劣、弱肉強食のような単純なストーリーで構成されてはいません。それぞれの立場に、それぞれの事情、物の見方があるのです。そういった多角的な視点を持つためにも、言葉、表現を増やしましょう。

精神の豊かさは、また「幸せ」とも直結しています。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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そんなあなたの姿を

拝読させて頂きました。
お気持ちはわかりますが…私的にはあんまりおススメできませんよね…。

自分がそう思われたら嫌でしょうね…。
そうねたんだり恨んだり憎んだりしているその自分の姿を想像してみるといかがでしょうか?
そんな自分の姿が美しいでしょうか?
素敵だと思いますか?
そんな自分を好きになれますか?
その様な自分が本当に円満に幸せになれるでしょうか?

よくよくお考えなさってみて下さいね。
そんなあなたの姿を神様や仏様やあなたのご先祖様方もご覧になっていますからね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

丁寧に、ありがとうございます。

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