知識や記憶に惑わされ苦しい
「人徳」問題で、釋悠水先生には2度までも、日延上人にもそえぞれ懇篤なお返事を賜り感謝に堪えません。あるがままに生きてゆくほかはないのか、と次第に心定まりつつあります。ありがとうございます。
思えば今生では仏教にも仏教学にも相当に御縁を頂き、まずは深い感謝をささげるべきところ、さまざまな事情からここ10年ほど、要するに人生がしょぼく、差し当たって切迫した事情にはないものの、それでも将来を思うと、焦燥に駆られます。この場をお借りして三度まで発した「人徳」問題も、ひとえにそのことに絡んでおります。
詳しくは書けませんが、いろいろと物心両面でよくして下さった(下さっている)寺族の友に恵まれる一方、さまざまな逆縁から疎遠になった寺族の知人もおります。
そして後者に属する人々は、私が万一ぶざまな死に方をすれば、恐らく喝采するであろうことを思うと、なにくそ!と思いつつも、なかなか好転しない事態に焦りを募らせる一方でございます。
ここでいう「好転した事態」とは何を指すのかと言えば、自分ひとりまあどうにか食べてゆけて、ささやかながら晩年まで調査研究の成果を公にできて、というところでしょうか。今のところまだ、どちらも心もとない状況です。
先般、釋悠水先生がおっしゃったように、「仏様が居て下さったらそれで十分だと」思える姿を目指しとうございますが、そうなれるのも、反対になれぬのも、ひょっとして御縁であり、あるいはそこまでは到達できないのではないか? とも危惧しております。
ほんとに因果なことに、せっかく賜った御教示を素直に胸に落とせぬ自分がおります。悠水先生並びに他の回答僧諸師をがっかりさせてしまい申し訳ございません。御教示を奉じてゆく気持ちだけは捨てませんので、どうか折を見てまた御教示賜りたく、お願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
究極に習得するなんて難しいものです。人間世界で生きているから
だからこそ、仏様に向き合い、手を合わせて生きる生き方しかないのだと思いますよ。
私たちは、心揺らし、欲を生み、いろんな罪を重ねてでしか生きられない身です。もちろん私もです。
仏様に照らされて、その身に気づかせてもらい、頭が下がり、手を合わせる生き方をしているにも関わらず、やはり悩みは尽きない。
頭でわかっていても、理解というものをしていても、苦悩は沸き起こってきます。
だからこそ、仏様の御心を聞き続ける、手を合わせ向き合い続ける生き方しかないのだと思います。
仏様がいてくだされば十分だと思っても.思いたくても、人間には執着がありますから、他を考えて収まり切れない感情があったり、自分に答えを出したくて出来る.出来ないと考えてしまったり。究極に習得するなんて難しいものです。人間世界で生きているのですから。
だから、問い続けながら、手を合わせる生き方しかないのですよ。仏様と生きる生き方が必要なのです。
質問者からのお礼
中田三恵先生:
御法務繁忙の折柄であるにもかかわらず、懇切でしかも実践可能なお返事を賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。改めて今生で仏教に縁じたことを感謝せずにおられません。何ら報いることができず申し訳ありません。頂いたお言葉を胸に、与えられた生を生き切ることを、まずせめてものお礼とさせて頂きます。
この度は誠にありがとうございました。