大学院での研究の先が見えず不安です
医師ですが、現在大学院1年生です。
研究について、ちゃんと結果が出るのか、卒業できるのか不安でたまりません。
昨年までは臨床で、行った行為ですぐに患者さんが良くなるという結果が返ってくるし、感謝もされるし、多少大変でもとてもやりがいがありました。
しかし研究においては、すぐに結果は出ない、そもそも出るかわからない、今日できたのはこれだけで全然前に進んでいる感覚がない、今日は何もいい結果が出なかった、ちゃんと卒業できるのか、そもそもこれだけ苦労してこの研究が誰の役に立つのか(かなりニッチな分野です)、などの不安で押しつぶされそうです。最近はそのせいで非常に気が張っていて、あまり休まりません。
非常にまじめな完璧主義(治したいのですが)なので、一層、こんなんじゃだめだ、指導医の先生に何言われるか、など考えてしまいます。また、自分では全く思っていませんが、周囲からは優秀とよく言われるので、その期待にも応えて結果を出さないと、というプレッシャーもあります。
臨床の仕事はないので全く忙しくはないですし、指導医の先生は少し厳しいですが非常に人格者で、指導熱心です。グループの雰囲気も良く、収入など金銭面も困っていないし、先日子供が生まれましたし、他の部分は非常に充実しているので贅沢な悩みだとは思います。
大学院をやめようなどとは思ってはいませんが、このまま不安でいっぱいのまま過ごすのが辛いです。昔から、ちょっとのことでくじけてウジウジ思い悩んでしまう質です。もっと気楽に、何とかなる、死にはしない、とか思えたら楽であるのはわかっているのですが。
心構えとして、ご助言を頂けないでしょうか。また同じような経験をお持ちの方がいらっしゃればお聞かせいただけないでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな人の力も、誰かを支え、生きる今を作っているのでしょうね
葛藤があるでしょうね。専門分野の研究は、未知の事柄を明らかにしていく探求心や論理的思考力で真理や事実を追求していくわけですし、成果を信じていく忍耐力も必要でしょう。この先もずっと。
プレッシャーも相当でしょうし、このまま進んでいく先に見えるのだろうかと、不安も大きいでしょうね。
ノーベル賞受賞の方々のご苦労に触れますと、長年の功績に至るまで、どれほどの葛藤や挫折もあったのだろうかと。私たちの豊かな暮らしがあるのは、多くの方々の研究の上にあることを気づかされます。
研究だけに限らず、どんな人の力も、誰かを支え、生きる今を作っているのでしょうね。
あなたの志が、あなたの納得のいく形となるには、時間も要するのでしょう。その先を信じていくのかは、あなた自身。
30年ほど前、教育の現場で子どもたちの育成に人生を捧げたいと夢を叶えたのに、今 私は、お寺の世界に生きています。縁が巡ったのだろうと思いますし、あの時 自分の選択に納得してきたからこそ今があります。
あなたの選択を、応援しています。
いまの一当はむかしの百不当のちからなり、
今の時代、理系も文系も厳しい環境にあると思います。そういう中で、優れた指導者に就き、研究に専念する時間を確保でき、家族を養うことが出来る。他の研究者からは羨望の眼差しを受けているように感じました。
とは言え、どんな研究も最初から成果が用意されているものではありません。未知の領域を切り開いていかなければならない。しかも、研究内容が高度であればあるほど、理解者や賛同者を得ることは難しい。暗夜を一歩一歩歩んでいくような、孤独で厳しい道のりだと思います。
私は文系の修士課程を修了しただけの人間ですので、それほど高度な研究をしたとはいえません。とは言え、先行研究が少ない分野に挑んでしまったため、苦労しました。修士論文を書く際には、いろいろ調べた結果が論文としてまとまるのか、非常に不安でした。でも、愚直に人に聞き取りを行い、文献を踏査しました。すると、一つの壁を乗り越えた時、新たな風景を見えました。拙い経験ではありますが、点と点が線でつながり、更に面を構成していくためには、いくつもの壁が立ちはだかっており、それを乗り越えるための時間と労力と工夫が必要だと思います。リスリースさんから見れば、既にわかりきったことかもしれません。
①実験を繰り返し、データをとる。
②指導者に報告・連絡・相談して、方法論を点検していただく。愚直に繰り返していく中で、道は開ける、と思っております。
タイトルに書きましたのは、道元禅師の『正法眼蔵 説心説性』にある言葉です。
「菩提心をおこし、仏道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなふとき、おこなふといへども、百行に一当なし。しかあれども、或従知識、或従経卷して、やうやくあたることをうるなり。いまの一当はむかしの百不当のちからなり、百不当の一老なり。」
(語訳)
真実の教えを求めて仏道修行に励み苦しい修行を丁寧に勤めたとしても、百回の修行に一度の当りも無いことも珍しくない。しかし、良き指導者を尋ね歩き語録を参究してようやく「当り」をえることが出来るのである。今の一当(研究に即していえば、発見)は、過去の百不当の力なのである。百不当から貴重な経験を得ているのである。
字数制限の関係で引用を短くしています。よろしかったら、webで検索して原文を読んでみてください。道元禅師は仏道修行の心得を説いていますが、学問研究にも通じると思います。
足踏みをしているようでも足元を見れば確実に一歩は進んでいます
医師として、そして研究者としての真摯な苦悩、拝読いたしました。臨床の現場での「即時的な手応え」と、研究という「見えない答えを追う旅」とのギャップに、心が追いつかないのは無理もありません。
僧侶として、以下の視点をお伝えしたいと思います。
①「待つ」という修行
仏教では、物事は「因(原因)」と「縁(条件)」が整って初めて「果(結果)」となると説きます。臨床は「果」が見えやすい世界ですが、研究は「縁」が熟すのをひたすらに「待つ」時間が長い世界です。 霧の中を歩いている時は、景色が変わらず足踏みをしているように感じますが、足元を見れば確実に一歩は進んでいます。「今は霧の中を歩く時期なのだ」と、停滞している(ように見える)ご自身を許してあげてください。
②「計らい」を捨てる
「優秀でありたい」「期待に応えたい」という思いは、向上心であると同時に、仏教で言う「自力の計らい(自分の力で結果を操作しようとする心)」となり、あなたを苦しめます。 幸い、周囲はあなたを温かく見守り、新しい命も誕生したとのこと。結果が出るか否かは、あなたの能力だけでなく、巡り合わせ(縁)によるものです。ご自身を支えている恵まれた環境、すなわち「他力(おかげさま)」に身を委ね、「今日できる実験や作業」だけに淡々と向き合ってみてください。
焦らず、腐らず、今はただ「問い」と共に生きる。その姿勢こそが、いつか誰かの役に立つ「真実」に出会うための唯一の道です。
縁起寺 釋聴法
質問者からのお礼
釋聴法様
待つ、という考え方、非常に腑に落ちました。結果だけを見据えているから、中々不安が取れないのですね。
今ある環境、周りの人に感謝、そして頼って、今目の前のやるべき事に向き合おうと思います。その結果どうなるかは、数年後のお楽しみ、くらいの気持ちでいこうと思います。ありがとうございました。
中田様
確かに、挫折したことない人なんていませんよね。また始まったばかりですし、この環境で今悩んでいるのも、今後の人生の為の何かの縁と思って、いい経験と捉えようと思います。ありがとうございました。
吉田様
ご苦労されたんですね。自分もいつか違う景色を見ることができると信じて、愚直に目の前のことに向き合おうと思います。百不当のお話も非常に勉強になりました。原文を読んでみたいと思います。ありがとうございました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )