中年期のコンプレックスからの脱却ついて
皆様、こんにちは。
中年期のコンプレックスからの脱却、やるべきことへの向き合い方についての相談です。
私は身体的な特徴故、幼少より、親族をはじめ学校の先生・クラスメート、社会人になってからは職場の人にからかいを度々受けてきました。また変な先入観をもたれ、社内外でセクハラを受けることもありました。
そのため外見にコンプレックスがあります。(コロナ禍で生活が変わったこともあり、何の拍子か一時忘れていたコンプレックスが再燃してしまったという側面もあります。)
10年近く連れ添っている夫は人格者であり、私のことは「愛嬌のある姿をしている。朝見ると元気が出るし、夜見るとホッとする。存在自体が可愛い。」と言ってくれます。
加えて私の年齢が30過ぎということもあり、自分の身体云々よりも、他者や社会への貢献、内面の成熟に注力する過程にとっくに入っていると思います。
しかし今だ身体へのコンプレックスがあり、人間としての浅さに、我ながら呆れ、軽蔑の念さえ抱きます。
どうしたらコンプレックスから離れ、年相応に向き合うべきことに集中できるのでしょうか。
仏様の教え、お坊様方が実践されていること等ありましたら、ご助言いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、お盆が近づき繁忙期に入るお坊様もいらっしゃるかと思います。暑い最中ですのでお体を壊さないよう、お祈りしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
実は他人は自分のことをそれほど気にしてないんですよ
質問読ませていただきました。
身体的特徴は、自分でいかんともしがたい部分が多いですよね。それ故、トラウマになりやすいし、どうしても気になってしまいます。心中お察しいたします。
さて、人の視線や言葉を随分と気にされておられますが、人というのは言うほど他人のことを気にしてません。それこそ家族や恋人や夫婦といった深い関係なら、常に相手のことを何かしら気にしてるかもしれません。
しかし、あまり深い関係の人でないなら、他人のことはそれほど覚えてないのです。道を歩いていて、かなりインパクトのある姿の人がいても、2,3日もすれば忘れてしまいます。ふと思い出すことはあったとしても、またすぐに忘れてしまうでしょう。
ほとんどの人は、自分が生活することでいっぱいですので、それほど深い関係ではない他人のことに思いを馳せる余裕なんてあまりないんです。
ですから、何か言われたりからかわれたりしたとしても、その場限りのことで対して相手は何も思ってないんです。そんな相手の軽い気持ちに過敏に反応して、自分自身を苦しめてしまう・・・なんかもったいなくないですか?
自分を苦しめて落ち込んでしまうことで、色んなチャンスが目の前を通り過ぎていってしまうんです。なぜなら自分が後ろ向きのときは、物事を悪く捉えがちになります。良い兆しがあっても、それを認識できないんですね。
このように自分がどのような心持ちでいるかで、周りの景色は全く違うものになります。どのような人生を歩んでいきたいか、そんな先のことも考えて見れば、今現在抱えてる身体的コンプレックスとの付き合い方も、少し見えてくるんではないでしょうか。
そして何よりの救いはご主人です。
人生で様々な経験をしてくると、「本当に大切な人」というのが見えてくるでしょう。全ての人を大切にすることは不可能です。ですから、自分が大切にしたいと思える人を大切にし、その人に好いてもらえれば、それで十分幸せなことなんです。
夏野菜さんがとても大切にしているご主人が、自分を褒めてくれるし、自分の容姿を好いてくれる。それで十分ではありませんか?
そうは言っても、コンプレックスは突然なくなるものでもありません。ゆっくりとでいいので大切なご主人の言葉を自分に染みこませて、少しずつ乗り越えていってくださいね。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
素晴らしいお人柄をお持ちです
お尋ねの文面を拝読していて、すごく気配りがお出来になり、他者を思い遣るお気持ちの強い方だと感じました。なかなかあなたのお書きになるような文面にお目にかかれません。よほどお人柄が優れた方なのでしょう。
さて、外見へのコンプレックスということですが、それは誰でも持っているものだといえます。私の外見はインターネット上でもいくつか見つけられるでしょうけど、どうお感じになるでしょうか? 実は中学時代は「ほねかわすじえもん」等と言われて、バカにされていました。
それが年齢とともに太りだし180センチ弱で80キロ手前になり高血圧も出てきたので痩せる決心をし、今は67キロ台です。ほねかわすじえもんに逆もどりです。世間さんはメタボの傾向にある人が多いので羨ましがられていますが、過去の記憶が邪魔していて内心は穏やかではありません。
ただ、あなた自身が書いておられる通り、年齢を重ねるごとに他者からの評価の対象が、外見から人格や経済面にシフトしていくのは明らかな事実です。みんな爺さん、婆さんになっていくのですから一様に外見は衰えていきます。スリムを通り越していた私ですらメタボの中年太りになっていた時期があったのですから、驚くほかありません。このように大なり小なり誰もが外見にはコンプレックスを持っているわけです。
みなが爺さん婆さんになるなら、大切なのは内面です。たくさん本を読まれたり、他者を気遣うことのできる優れた面をもっと伸ばしたりすることで素敵なオバサンになっていかれるのではないでしょうか。私自身も還暦なので、他者を気遣い、他者を幸せな気持ちにさせる坊さんにならないと、と日々思っています。なかなかできませんけど。
今日は、すてきな文面(特に終わりの方)を拝読させていただき、よい学びの機会を得ました。ますます人格を磨いてください。
コンプレックスの解消法
コンプレックスや劣等感の解消法は世間にいろいろありますが、私が個人的に確信を持っているのは自分がそのコンプレックスの思いを起こすときに自分が何をやっているのかを深く見つめることが一番良いです。
「それが何をやっている行為なのか」
⇒
「自分が自分を否定している」
⇒具体化する
他人との比較や、自分を低評価して、ありもしない妄想をおこしている。
⇒具体化する
自分への否定的な働きを無くす。
※これをご覧になって真剣に治したい人は、お電話ください。⇒YES!安穏クリニック!
つまり、自分が何をやっているのか心の本質を見極めて、そこを根絶する方法があらゆるコンプレックス解消のための最短ルートであり、確実な方法なのです。
外見を加工して変えたところで、根底にその人本人に自信がない、コンプレックスが強い人は結局繰り返してしまうからです。
たとえばよくある自己啓発系の「自分を愛しなさい」系のものは「自分を愛したいけど自分を愛する方法がわからない」とか、まぁ、回りくどいわけです。そんな簡単に自分を愛せるならみんな苦労しないわけですし。
褒める、肯定する、自分を愛する、アファメーション、自分アゲ♂でポジティブになれるような単純な人が居るならその手法によって生成されたイワシの頭はネットで爆売れ。新興宗教も作れることでしょう。イワシノアタマモ信心🎣
また、長年のコンプレックスがいくら便利な時代だからとはいえ、これらの文字や文章で治るならコンプレックスを直す教科書なり冊子を発刊すれば、世界中が笑顔になれて美容クリニック業界と韓流〇〇ビジネスは窮地に追い込まれます。
ですがコンプレックスを直す方法がないわけではありません。あるから私も治せました。
自分の容姿を自分がDISり始めるとき、あなたが心で何をやっているか。
そこの本質を見極めること、そして、自己本来の素晴らしい脳内身心浄化液を分泌させることで人は容姿やコンプレックスの不安から確実に解消されるのです。
甘露門というお経の五如来の2番目「妙色身如来」の節は醜い姿に苦しむ餓鬼心を破る仏(如来)の働きであり、真言です。仏道修行をきちんとおさめた人は、その内容がわかります。真言も理知的に現代語訳で唱導します。
心をどう動かすか。それで妙色身如来なる働きが発動・作用するのです。
真剣に仏道を求めることです。それで快方・改善に向かうのです。
質問者からのお礼
皆様、アドバイスをありがとうございます。
藤川 誠海 様
人というのは言うほど他人のことを気にしていない、正におっしゃる通りだと思います。頭で理解していながらも一人で勝手に気にしてしまう、というのが困ったところです。
何よりの救いが主人であり本当に大切な人である旨、一番大事なことをご指摘くださり、ありがとうございます。
まずは一番身近にいる夫の幸せに繋がるようなことを一つ一つしていきたいと思います。
藤岡 俊彦 様
文面、人格についてお褒めくださり、ありがとうございます。
藤岡様のお話を拝読し、外見が移ろうものであることを再確認いたしました。
本を読む等し、内面の成熟を目指して「素敵なおばさん」になりたいと思います。
丹下 覚元 様
真剣に仏道を求めるというのは、なまじ、外見をコントロールするより深く難しいことかもしれません。
「甘露門というお経の五如来の2番目「妙色身如来」の節」 について詳しく知りたいのですが、初心者向けの良い書籍・サイト等はございますか。
もしよろしければお教え頂けますと幸いです。