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仕事でのSNSのことです。

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勤め先のブランドの宣伝のため、接客中に自分からスタイリング投稿しているので、フォローお願いいたしますとお願いすることもあります。
中には私の接客を気に入っていただいて、私が出勤していなければ日を改める方もいらっしゃいます。とても有難いことです。話を盛り上げる中で、自分の趣味やプライベートの話をすることもあり、お客様からプライベートの繋がりを求められることもあって、かなりグレーゾーンですが、集客、再来店していただけるのであればとプライベート用のSNSを交換したこともあります。
ここで私の悩みというより、後悔していることなのが、プライベートSNSをお伝えしてしまった方に中学生のお客様がいたことです。
若いお客様は趣味や遊びなどのお話を盛り上げるとニーズを引き出しやすく、接客の中で距離を詰める手段として使用しました。
すごく心を開いてくださり、お小遣いをもらって次は親ときて必ず購入すると嬉しそうにしてくださいました。
その流れで、友達同士で来店してくれていた子たちは「店員さん、プライベートSNSぜひ教えてください!趣味仲間として繋がるだけで構わないので!」
と言われて思わず固まってしまいました。
そのときは公式SNSではなくプライベートSNSを伝える方は大学生以上、と決めていたはずでした。しかし結果はその子達にプライベートSNSを教えてしまいました。
未成年と社会人より、集客と売上向上を優先してしまったのです。
交換した勤務後、プライベートSNSを確認してみると、その子達から「地方にイベント一緒にいこう」「店員さんが一緒なら大丈夫でしょ」「連絡先教えてください!」
などのメッセージが届いておりました。
社会人としてあるまじき行為をしてしまったと深く反省しております。
アラサーと中学生のSNSなんて、保護者の方はさぞご心配なさるだろうと。
いきなりの親密な連絡先交換はできないと
丁重に連絡先交換はお断りし、半年以上期間があきました。
ふとしたときにフォロワーを確認したところ、
その子達のアカウントが消えており、非公開となっていたことから
私の知らないところで保護者に注意を受けたか、とにかく私との繋がりを断たれていたことに最近気がつき、やはり社会人として、ブランド看板を背負い接客を仕事とするプロとして
無責任な行動を取ってしまったと深く後悔しております。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お気持ちお察しいたします

少しでも売り上げを伸ばさなきゃいけないから顧客の要求に応えて公私の垣根を越えてしまうというのはありがちなことですよね。ノルマを抱えておられるかどうかは知りませんが、お坊さんも似たようなところがあり、我がこととして共感しています。

ただ、未成年者に対して明らかにしてはならないことはなさっていないように思います。酒やタバコを勧めたなどといった事実があれば言い訳ができないし、何がしかの処罰の対象にもなるでしょう。が、そんなことはなさっていないようです。節度をもって常識的に関わっておられたなら、倫理的にもそれほど心配なさらなくてもよいように思います。

今後はお気をつけになられるとともに、私には必要があるとは思えませんが上司にあたる人に報告し相談した方がよいとお思いになれば、そうしてください。

ともかくも、未成年者に対して常識を逸脱した行為をなさっていないなら、大きくは心配なさらず、以後は気をつけようとお思いになるだけでよいと思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

誰も寝てはならぬ 誰も哀しませてはならぬ 

人生まさにオペレッタ。
歌劇もドラマも人生も、日々起承転結あり。
毎日がドラマにして目覚めとともに開幕、睡眠で終幕。
人生のオペラ劇場には様々な山あり谷あり、起承転結あり、驚くような出会いや結末あり。
ならば、その悲劇も喜劇に変える器量、度量をもつこと。菩提心という大誓願、大いなる善導の精神を持つことであなたのその困難はいまから人生オペレッタの名シーンとなるでしょう。

よってSNSも悩みも失敗も✂も用いよう。
禅のトンチで災い転じて功徳となすべし。
仏道の道化師、心のセコンド丹下ルチアーノDPです。( ゜皿●メ)

「仕事とするプロとして
無責任な行動を取ってしまったと深く後悔しております。」

だったらプロとしてより良いプロ意識でこの問題を解決してみましょう。
プロであるならばこそ、その問題を終局としてはならないはずでしょう?

ラストシーンはその出来事ではないのです。
人生いつでも通過地点。
門は入口ともなり、出口ともなり、通過地点でもあるのです。
オペラの感動のシーンでもその後はある。
あなたの人生舞台は今も上映中。
困難にあっても仕事を継続しなければならない。
オペラの名作『道化師』であれば、まさにあなたは「衣装をつけろ!」という状況ではないでしょうか。

衣装をつけろ
顔を白く塗れ
人々はお金を払って、ここで笑いたいんだ
もしアレッキーノがコロンビーナを連れ去っても
笑え 道化師よ、それで皆は拍手喝さいするだろう!
激痛と涙をおどけた動作に変えて
すすり泣きと悲しみを作り笑いに変えるんだ

人は自分の心に鞭打ってでも、苦境から這い上がってより良い方向へ心を導き続けることが人生において最高の職務と言えましょう。
仏教でも菩提心という悟りや涅槃を求め一切衆生を救う最高最上の救済精神を説いております。

仕事のプロも大事ですが、自分自身の心のプロでなくてどうしてどうして仕事もプロたり得ましょうか。
ぜひ、人生に菩提心という衣装をみに着けてみてください。
そして、誰も哀しませないように今からできることの縁を加えていってください。
良い働きかけをそこに加えれば状況はどんどん良い方向へ変わっていくものです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

こんなに早くお言葉をいただけて、大変有り難く思います。
いただいたお言葉どおり、以後、ブランドの評判を落とすようなことに繋がらないよう、
気を引き締めてまいります。
本当にありがとうございました。

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