死と、死に方の理由
死とは何ですか?人は、何のために死ななければならないのでしょうか。
生きることに目的や使命があるのはわかります。例えば、魂の修行のため、使命を果たすため、人生を謳歌するため、願望実現のため、など、いくらでも思い付くのですが、
死ぬことにも同じように、目的があるのでしょうか。
先日母を亡くしました。母自身、最後の瞬間でさえも諦めず、頑張ってくれましたが、力尽きてしまいました。
死は誰にでも平等に訪れるものですが、母はまだ50代と若く、母にはまだまだ叶えたい夢がたくさんありました。私も母と共に叶えたい夢や目標がありました。
「まだこの世にたくさん未練がある」と、亡くなる前言っておりました。まだ若い母には、生きる目的や理由が残されておりました。
それなのにどうして、この世を去らなければならなくなってしまったのでしょうか?
また、母の場合は癌で苦しみ死に至りましたが、例えば事故死や殺人の場合も、なぜそのような形で死ななければならなかったのかも大変疑問に思います。
どうして、老衰のような、安らかな死に至ることができないのでしょうか…。
余命宣告を受けてからの母の闘病中、そして他界後も、ずっと苦しくて辛くて悲しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
亡くなったお母様にしてあげられること
過去の質問も含めて読ませていただきました。
大切なお母様を亡くされた悲しみで落ち込んでおられるのですね。
また祖父母様との関係も、お母様への未練の一因となっているのでしょうか。
心中お察しいたします。
さて、死についてお尋ねされておられるので、それについて回答させていただきます。
生きること、死ぬこと、それ自体に何の意味もありません。過去世の業に依って来世の命を受ける。その業に導かれた結果が人間だった、それだけの話なのです。
また、過去世の業(原因)と、現世での出来事(縁)が合わさる(因縁和合)ことで、様々な現象として身の回りに表れてくるのです。その結果として、様々な死に様というのが人それぞれ異なって現出する、それだけの話です。
しかし生きる目的や理由なしには、人は希望を持って生きられませんよね。ですから、自分が生まれた意味を、それぞれの人がそれぞれに後付けするのです。
死ぬことについても、「ただ亡くなった」では遺族はなかなか納得できませんよね。ですから遺された人が、亡くなった意味をそれぞれ後付けするのです。それは生きた意味と言い換えることができるかもしれません。
はすさんは、お母様を亡くされた悲しみと共に、ご自身が何も出来なかったという無力感に苛まれているのかもしれません。
しかし、亡くなってからも出来ることがあります。
1つ目は、先ほど申し上げた「生きた意味」を与えてあげることです。たとえば、はすさんがいつまでも落ち込んで立ち直れず、そのまま不幸な人生を生きるなら、お母様は「はすさんを不幸にする人生」を歩んでしまったことになります。
しかししっかりと立ち直り、お母様への思いを胸に自分の人生を前向きに生きて幸せになれれば、お母様は「はすさんを幸せにする人生」を歩まれたことになります。
これは立派な親孝行と言えるでしょう。
自分なりの、「お母様が生きた意味」を与えてあげてください。それがきっとはすさんの心をも救ってくれるでしょう。
2つ目は、お母様をしっかり供養してあげることです。供養してあげることで、結果的にお母様は苦しみのない世界に命を受けることができます。
信頼できる僧侶にお願いして、お母様の供養をしてあげてください。
これも、立派な親孝行と言えるでしょう。
何か少しでも参考にして、前向きに進んでくださいね。お母様もきっとそれを望んでおられますよ。
拝読させて頂きました。
大切なお母様がお亡くなりになられてあなたは深く悲しまれてさみしさもつのる毎日を送っておられることでしょう。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
そしてお母様が心安らかになります様にと切にお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏私達人間というか生きものには与えられた生命や身体があり、様々なものごとや人々に恵まれて育まれ、或いは自ら新しい生命を恵み愛し育み、そして様々な出会いや巡り合わせの中で生かされていきます。そして様々な因果関係やつながりやタイミングによりその与えられた天寿を全うしていきます。それは誰が決めるのではなく様々な条件やつながりの中で訪れるものです。
生きもの達は与えられた奇跡的な命にかけて新しい生命につないでいく為にそのあらん限りの力を注ぎ次の生命を生み育みます。そのあまたの営み一つ一つがかけがえのない尊いものです。ある新しい生命は別の生命つまり私達の様な人間に食べられてしまいますでしょうし、ある新しい生命は厳しい地球環境の中で即死に絶えてしまうかもしれません。それでもそれぞれの生命はそれ一つ一つ価値があり生きる意味や希望や目的を託されているのです。その一つ一つ詳細については私達には全てはわからないことでしょうが、素晴らしいことです。今お昼でランチですけれどこの瞬間にもあなたにも私にも様々な恵みが与えられているのですからね。
それはお母様も同じです。お母様も様々な恵みの中であなたや皆様とのご縁の中で与えられた人生をしっかりと皆様と一緒に幸せに生き抜いていかれたのです、一生懸命に精進なさり豊かな人生を生き抜いて天寿を全うなさっていかれたのです。それはかけがえのないとても尊い生命であり人生です。そしてその延長線上にあなたや皆様がいるのです。お母様とあなたや皆様とのご縁はこれからもずっと続いていくのです。あなたや皆様をこれからもずっと見守っていて下さるのです。死は決して終わりではありません、つながるバトンの一つの形なのです。命やつながりは永遠なのです。
どうかこれからも毎日お母様を思い手を合わせてお母様にあなたの思いをしっかりとお伝えなさって下さいね。お母様はきっとあなたの声にいつも耳を傾けていて下さいます。あなたの思いを受け止めて下さりあなたを励ましなぐさめて下さいます。
お母様はいつもあなたと共にあるのですからね。
質問者からのお礼
ご回答頂き、ありがとうございました。母を思い出すと、想いが込み上げてきて、胸が苦しくなり、涙が溢れてきます。私が生きている限り、それは変わらないような気がします。ただそれでも、一日一日踏ん張り、しっかり生きて、死後に母と会いたいです。
お答え頂き、本当にありがとうございました。