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自分を諦めて前に進みたいです

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有り難し有り難し 29

ご覧いただきありがとうございます。
仏教には、受け入れて前に進むという意味の「諦める」という言葉があると知りました。自分を受け入れて進むために、お知恵をお貸しいただけないでしょうか。

前に相談させていただいたことと重複することをお許しください。
私は昨年失恋しました。経緯はプロフィールに書かせていただきました。お坊さんのみご覧いただけるようになっています。

私は20代からずっと結婚に向けて力をそそいできました。交際経験がないため、メイク、服装、立ち振る舞いを学び、出会いの場へ足を運んだり、周りの方々にご紹介をいただいたり、好きだなと感じた方には思いを表現する等、できることはやってきました。

また、どんなことがあってもパートナーを支えられるよう安定した仕事に就きました。結婚相談所でも、相手の年収は伝えないようにしてもらい、その人自身を見るようにしてきました。

そして昨年の失恋です。最初こそがんばってきた自分を認め、立ち直ろうとしてきました。hasunohaでもお言葉をいただきました。とても嬉しかったです。本当にありがとうございました。

それなのに再度相談をしてしまい申し訳ないのですが、最近、私は努力の方向を間違えていたのではないかと思うようになりました。

ちゃんと人を愛したいとか、支えられるようになりたいとか、大事かもしれないけど、そんなにこだわらなくてもよかったんじゃないか。現実として結婚を考えたときに女性に必要なのは若さ。深く考えずにもっと気楽に早く結婚するのが私みたいなのには合っていたのではないか。甘かったなぁ、と。

というのも、昨年の失恋時に彼から言われた言葉で結構傷ついたようで、今まで大切にしてきた彼への好意も敬意も全部消え去ってしまい、私の思いなんてこの程度だったんだなぁ、とがっかりしたからです。こんなに脆い心で、愛するとか支えるとか目指していたのか、と。

そう思ったら、今、自分を諦め、別の生き方を始める時がきているのだと感じました。

でも、本当は自分を認めてあげたい、報われたかったという気持ちもあります。
別の生き方もまだわからないでいます。でも前に進みたい。どうしたら諦めていけるでしょうか?

何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

決意も思いも 縁の上

 こんにちは。以前の問答も読ませていただきました。hasunohaのことを忘れずにいて下さって、ありがとうございます。
 こちらまで胸が苦しくなりました。
 元彼氏は、ご両親の意見を飲んだのですね。それは良くない経験でした。「じゃ、何歳なら大丈夫なの?」という絶対値はないにも関わらず、それを決め手にしてしまった事で、自身のこれからの縁も狭めてしまったと思います。
 さて、今回「諦める・明らめる」について書かれていて、あたかも「自分はもう結婚を望める年齢ではないので、それは諦めて別の人生を探そうかと思う」という悲痛な決意表明にも見えます。
 あなたが件の彼との間に「ちゃんと愛したり、支えたり」といったいった関係を築けなかったのは分かりました。でもそれは、「彼と貴女の縁の上」で起きた事です。お二人ともが、その結果の要素ではありますが、「どちらかが100%作用した」ものではありません。
 もちろん、彼は貴女から「見て」この人だったら…選びに選んだ方だったのでしょう。けれど(親から〜と言われて彼が折れるという)盲点があった。それを知った(明らかになった)のが、今回の経験だと思います。「そっかー。年齢で、そういう横槍が入る事があるんだ」と。
 私が言いたことは。「あなたは、誰かとの縁の上に、ちゃんと愛したり支えたりできる可能性を持っていますよ」というものです。さらに言えば、それはリアルタイムなもの。「結婚後10年しても、ちゃんと愛せる」保証付きの人なんていません。10年後の結果は、その10年が作り出すものですから。
 如何ですか。あなたが「明らめる」のは、その彼の縁における結果であって、あなた自身を主語にするなら「この縁においては、結婚に至らなかった」という事です。貴女が今まで努力してきた価値は、一ミリも傷ついていませんよ。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

ご安心を。それ、なかったことにできます。

あなたは彼から言われた言葉に必要以上に傷ついている。それは無意味なことやめなさい。おろかしいことです。悲劇のヒロイン心理に陥ってはなりません!(# ゚Д゚)

いきなり、冒頭からバッサリごめんなさい。あなたが無意識でそこに価値や意義を見出すがごとくに縛られていると直感したからです。そしてそこで受けたダメージを「なかったことにする」「より良い生き方に目覚める」ために善意で受け止めてください。

敢えて申し上げます。諦めるらめるんじゃァなくて、明らめる。
諦めの真意とは仏法の明らめのことなのです。
受け入れて前に進むという諦めは言語表現的にそういう定義も成り立ちますが、実際、正直、まだ受け入れて前に進めないでしょう。諦めが今後の課題と言えましょうが、あなたに感じる危険性はあなたの若さで人生悪い意味での諦めモードに入ろうとしている気配。まだまだ早い。

私はあなたに深く共感しています。実はあなたと同じような経験をしたからです。
だからこそ「それは大丈夫」「ちゃんとその傷、治せます。」「なかったことになります」ということをお伝えしたいと思いました。

人生においてはビックリするようなひどい言葉、刺さる言葉、ダメージになる言葉というものがあります。
実はそれは、その言葉だけが悪いんじゃァないのです。
以下を真言、マントラと思って彼の言葉で傷つきモードになった時に深く念じてください。
・言葉は本人のつぶやきで私に向けたものではない
・言葉は言葉そのものが罪ではなく、そこに自分流の意味を添えてネガティブに解釈して炎上したのが私のヒ(火・非)。消すべきは私の炎上した炎。
・言葉に傷ついたのではなく、その時、その言葉に「私が」ネガティブキャッチをしただけ。もどれ、時間。もどれ、その時の私。その暴投や変化球を無理に打ち返そうと前に出たからあなたデッドボールを受けたのヨ!(スルーして暴投扱いするべきだった)
・過去に傷ついたのではない!今日も今新たにその記憶で今自分をいじめているの!それ、ダメ絶対!私が劣化する!w
謙虚・謙遜・いい人すぎる性格はかえって自分を傷つける。
40,50で「ビマジョ」とか言われる生き生きした女性もいますから、変に隠遁的な諦めモードにならないように心の向かい先を希望的に軌道修正。諦めるも明らめるのも、ミリでもズレれば自分を傷つける選択肢を選び続けることになる。✨

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

佐藤良文 様
あたたかいお言葉をいただきありがとうございます。

今までしてきた努力の価値は一ミリも傷ついていない。そう言っていただけて嬉しいです。

自分の今までを否定し始めたら何もかもに情熱が持てなくなってきて、怖くなっていました。でも佐藤様のお言葉で落ち着いてきました。
お忙しい時期にも関わらずご回答をいただき、本当にありがとうございます。

丹下覚元 様
ご回答いただきありがとうございます。
「明らめる」でしたか。勉強不足でした。
同じようなご経験をなさっているとは!大丈夫、という言葉がとても心強く響きます。
教えていただいた言葉、何だか元気が出てきます!
今回は心の向かい先がズレていたからこんなに痛く苦しい状態だったんだと思いました。また苦しくなったら、軌道がズレたんだと思って、いただいた言葉を何度も使わせていただきます。そうして修正します。
本当にありがとうございます!

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