失恋して毎日絶望です。
以前相談させていただきました。
生まれてから異性と付き合えたことがありません。おそらく異性を好きになりにくいのと、経験不足が相まって恋愛に対してハードルが高くなっているのだと思われます。最近ようやく人を好きになったのですが、片思いで失恋してしまいました。初めて本気で好きになったので、とても辛いです。これ以上の人はいないという思いが残っています。しかし、年齢も年齢ですし結婚願望もあるので、次に行かなければならないと思っています。出会いの場には行っているのですが、なかなか出会えずそれにも落ち込みます。周りとも比較してしまって何で自分だけずっと両想いになれたことがないのだろうと感じてしまいます。この先幸せになる未来も見えず、そんな人生なら終わってしまいたいとも考えています。ショック、焦りと不安が強く生活を送るのも苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分らしさが相手に伝達されたとき人は惹かれます。
拝読させていただきました。
年齢に限らず、何歳になっても今置かれている環境が独り身であるのなら堂々と恋愛していいのです。
容姿端麗といえど、彼氏ができない人もおれば、過去から積み重ねた経験値が自己の心に制御や躊躇という大小に関わらずトラウマ的な心境を抱えています。
しかし、今日という日は一日しかなく、明日になれば今日だった日は過去となり取り戻すことのできない昨日となります。
ただ何を行うにも肝心なのが実践という心の実行。思っているだけでは時は過ぎゆくままです。
※釈迦はこのように説きます。
「善は急げ。善を為すのにノロノロしていては心は悪を楽しむようになる。」
自身にとって対人がある場合での善となる実践(行動)は、相手の気持ちの心境の良きところを察知して、善を行っていくことです。
しかし、人はトラウマ(失敗)など心に抱えるので中々、あと一歩を踏み出せないでいることが心を占領させてしまうのです。
焦りや欲を優先した「善」は、相手は動かず、強引という方法によって得たものは、時とととに後悔に変化したり、自然と別離していき苦悩の心境を形成させていきます。
相手にも経験値があり、真実(真意)を把握することは不可能で、本当のパートナーとは努力は必要ですが、付き合った後からの努力が必要であり、無理をした努力は実と成ることはありません。
互いの価値観を超えた不安さえも包み込んでくれる相手を選んでいくことです。それが慈悲や愛という「慈愛」です。
人には年齢とともに理想があり、その理想には制限(年齢によって)をかけることがあります。
"こだわらず"に、自分らしく相手に表現できる心を内面から磨いていくことで、自分の本質が見えてきます。そのとき焦りを超えた本当に自分にとってのパートナーに気づきます。
恋愛や結婚やパートナーが欲しい。そう心に思うならば、必ず出会う方向に不思議な偶然の出会いが訪れていきます。
焦らず、ゆっくりと「好き」を超えた、この人と生きていくと自分に決意できる人を選択することです。
共に自分らしくいれる環境こそベストパートナーとなるでしょう。
夢はすぐに掴めませんが、過去は捨て去りら自分らしさに徹したとき、人は不安を遠ざけ、不安という「魔」は必然的に離れていきます。
きっと良くなっていきます。
合掌