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お坊さんとの交際・結婚について

回答数回答 1
有り難し有り難し 24

こんにちは。
現在、私は知人の紹介で出会ったお坊さん(40代)に交際を申し込み、返事保留の状態となっています。
これから私はどうすれば良いのかアドバイスをいただきたく、どうぞよろしくお願いいたします。

交際を申し込んだ際、相手の方からは、
・次にお付き合いする人と結婚したい
・結婚したら両親と一緒にお寺に住み、働いてもらうことになる
・子どもが産まれたらその子を跡継ぎにしなければならない
といった話を聞いております。

私の交際についての考えや結婚観をお話しいたしますと、
・良い縁があればお付き合いしたい
・何歳までに結婚したいという希望はなく、お付き合いしていく中で結婚を考えたい
・義理の両親との同居を考えたことがなかった
・子どもは授かれば産みたいが、何人産みたい等の具体的な考えはない
・生まれた子どもは男の子でも女の子でも大事にしたい

このように、この歳になっても漠然とした考えしか持っておりません。
幼稚でお恥ずかしい限りです。
相手の方が心配するのもよくわかりました。

子どものことを考えますと、今すぐ妊娠しても必ず高齢出産になります。
男の子が生まれるまで産み続ける(かどうかはわかりませんが)となると、そこから逆算しても、結婚を急がなければなりません。

理屈だけで考えると、考えれば考えるほど、相手の方を幸せにできるのは私ではないように思うのです。
では何もせず諦めてしまうのかと考えると、それはそれでとても悲しいです。

…では私は何をすれば良いのでしょうか?

そして今一つ、私も覚悟が決められないのは、相手の方が私のことをどう思っているのかがわからないということです。

・私から問い詰める形ではなく、相手の方から「好きだ」と言ってほしい(私にとってこれが大前提のように思います。)
・結婚の時期や子どもの人数等も話し合って決めたい

…そもそも「好きだ」と言ってもらえず返事保留になったのは、私にそこまで魅力を感じていないからではないかとも考えます。

お坊さんに恋をするとは夢にも思っていませんでした。
大変長くなってしまい、申し訳ございませんが、身動きが取れずにおります。
アドバイス等いただけますと幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

折り合い から 折れ合い …からの 祈り合い そして 祈り愛

坊さんと結婚するならその坊さんが坊さんよりもあなたを愛してくれるかどうか。
寺よりも何よりもあなたを愛してくれるかどうかですよ。
お寺に縛られている僧侶ではあなたを守れないからです。
お寺も守るあなたも守ってくれる誠実さを持った人、家族も古いSHOWーWAな考えの人ならその考えを変えてもらってから初めて結婚かと。(うん。変えられないんだけどね。)

私はあなたの話だけしか伺っておりませんので「絶対にそうだ」とはいえませんが、以下、引用にて。

・次にお付き合いする人と結婚したい☛問題なし

・結婚したら両親と一緒にお寺に住み、働いてもらうことになる☛これはお寺の構造が大事。ぶっちゃけ、やめた方がいい。理由はそれが原因で離婚している人もすくなくないからです。もちろんうまくいっている人も多いです。お寺でなくても両親と同居して(*_*;マイッタ という人は世の中多い。せめて二世帯別居空間を作ってくれる予定があるかどうかも愛の姿勢。夫婦になるつもりならこの話をその坊さんにも読んでもらい、現代お寺結婚事情の現実を知っていただくとよい。

・子ども~跡継ぎに☛本当は子供が決めるべきこと。私は子供が嫌なら後継ぎにはさせない。できればやってほしい。

契約結婚のようなシバラレが強いと感じたらやめた方がいいでしょう。お寺の住人はお寺に慣れ過ぎて、外部から来られる人の立場に立つことを忘れている人が多いです。本当はお寺サイドがもっと低姿勢になって女性に対してどうか、なんとか…お越しいただきたい…という気持ちでいなければならないと思います。
現代の夫婦、男女、お嫁さんお婿さん事情を丁寧に調べて、深く考えて、現実問題としてこういうことが起こっているのだから、万全な体制で女性にお越しいただく、来ていただくという姿勢がまず第一ではないかと思います。
もちろん、お寺の世界というものは残念ながらお寺という半分公共施設の面があるので、お嫁さんとしてお越しいただく女性には最低限のことをご理解しておいていただきたい面がということなのでしょう。
どのみち、ちゃんとした方ならお寺の都合、自分の都合ばかりではなく、お寺の寺族さんになる方の尊厳を考慮して誰も問題がないようにしてくれるはずでしょう。
お寺であろうがなかろうが、大切なのは伴侶がお互いを尊べる関係、相手の幸せを祈り合える関係であるかどうかです。祈り愛。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元 さま

お忙しい中、ご回答くださり、誠にありがとうございます。
最初に読んだ際には涙が溢れ、それから何度も読み返しております。

せっかくのご縁で巡り会えた方を失いたくなく、自己犠牲寄りの考えになっていたのではないかと気づきました。
相手の方も私の事やご両親の事、子どもの事等、様々なことで悩んでいるようでしたので、自己犠牲してでも安心してもらいたい一心でした。

相手の方との会話から、また、hasunohaでの他の方のお寺に関する相談内容から、お寺って本当に大変だなぁと思うと同時に、
お寺のことや仏教のことを学び、へぇー、面白い、と思ったことも事実です。

お寺よりも私を愛して!とは言えませんが、
相手の方と想いが通じれば、そこからまた話し合って、お互いが想い合えるような関係を築いていけたらいいなと思います。

ありがとうございました。

(追記いたします)
せっかくのお言葉をいただきましたのに、残念ながら告白の返事をもらうことなく、音信不通になってしまいました。

お寺の事で私が明確に返事をできなかったこともそうですが、やはり私とは縁がなかった、合わなかったということだと思います。

相手の方は私を傷つけないようにフェードアウトされたのかもしれませんが、本音は私に泣かれたら面倒だから…という理由かもしれません。
そう考えるととても辛いです。
わがままかもしれませんが、私はお断りされるにしても返事が欲しかったです。

ただ、私に反省点はいくつもあります。
もっと人を思いやる気持ちを持ちたいと思いました。

いまはまだ、この一連の出会いを「良かったもの」に消化しきれておりませんが、時間の経過とともに相手の方に感謝する気持ちを持ちたいと思います。

丹下覚元さま、みなさま、ありがとうございました。

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