限界です。死にたい。
死のうと考えています。
人生の中で上手くいかない事が重なり過ぎました。
虐め(物心つく頃から社会人になってもずっと)
同性愛者であることで差別を受ける
強姦されて妊娠中絶(20代後半の頃)
失業(非正規雇用で職を転々としている)
人間関係の破綻(かなり頻繁)
家族との確執
パワハラ
自粛警察による嫌がらせ
SNSトラブルでの訴訟沙汰
ひとつひとつは良くある出来事で取るに足らない些細な出来事です。単体なら気合いでどうにでもなります。
繰り返し繰り返しこういったトラブルが有り、その度に気合いでどうにかしてきました。芝居や音楽などの創作活動を心の支えに乗り越えてきました。
最近の自粛警察の嫌がらせも音楽を再開したことで報復などどうでもよくなりつつある状態でした。
しかし、コロナの影響でメインのバイトは週5から週3にシフトを削られ、収入は半減、就職活動も難航、面接のたびに職歴を鼻で笑われます。
イベントや舞台も半減、社会人サークルでの演技指導の仕事も無くなりました。
先が全く見えない中で、人間関係が破綻。
ちょっとしたやり取りの拗れから、私が怒りをぶちまけるように書いた投稿が、誹謗中傷でプライバシーの侵害であると。弁護士に相談する。裁判沙汰にすると言われています。
大したことない出来事ですが蓄積されてきたダメージに加えてこれが致命傷になり、生きていくのが心底嫌になりました。
何をやってもどう転んでもみんなが不幸になるような選択しかできません。
大切な人に理解してもらいたくて言葉を重ねても誤解が誤解を生み、どんどん拗れ、拒否される。そんなことばかり。
全てが裏目に出ます。
40過ぎまで必死で生きてきました。
動物としての人間の本来の寿命は35歳くらいだと何かの本で読みました。
それ以降はオマケの命と考えています。
なので、もう死んでも良いと思っています。
来週、最期の舞台を終えたら首を括ります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうかゆっくりとあなたを癒して下さい
拝読させて頂きました。
あなたが今まで幾多の困難にあい大変辛い思いをなさっていらしたことを読ませて頂きました。その一つ一つあなたにとっても耐え難い苦しみだったと思いますし今もその中で苦しでおられるでしょう。あなたのその思い全てはわからないですけれどもあなたのお気持ちを心よりお察しします。
今あなたは心身共に追い込まれて限界に達しているのではないかと心配です。どうか先ずは一息ゆっくりと呼吸なさって下さい。そして少しでもあなたのお心と身体を休めて下さい。ゆっくりとあたたかいお茶やハーブティーを召し上がって一息ついてみましょう。あなたは今もしっかりと生きていらっしゃいます。あなたを生かそうとする目には見えなくても沢山の力があなたに働いてあなたに恵まれているのです。そしてあなたをゆっくりと癒して下さい、あなたの心も身体も労わってあげて下さいね。
そしてもし宜しければあなたの様々な思いをここでもぶつけて下さいね。あなたが今抱えておられる怒りや憎しみやうらみや諦めくやしい思いをここでもおっしゃって下さいね。ここであまり書けない場合はオンラインによる個別相談でもおっしゃって下さいね。あなたを心よりお待ちしています。
一つあなたにお伝えさせて頂きたいことがあります。あくまで私個人の私見です。あなたは表現者ですね。あなたは自分の強い思い・意志やあふれんばかりの感情をありのまま表現することを旨として生き抜いていらっしゃったと思います。
過去歴史をみると多くの表現者は様々な逆境の中で己の意志を貫いて戦ってきたのです。決して諦めることなく自らが信じる道をしっかりと表現し命を懸けて人々に伝え、人々と共に共鳴しながら新たな道を切り拓いていきました。
今のコロナ禍は未曽有の逆境かとは思います。とはいえ過去の歴史の中で表現者達は私達の想像を遙かに超えるコロナ禍を遙かに超える逆境やピンチを乗り越えて、それを活路としチャンスとし表現し貫き通していったのです。表現者はいつも逆境の中にさらされてその中で生き抜いてきたのです。
人が生きる限り命の叫びや表現は決して消えることはありません。アートやパフォーマンスとはつまり私達が生きることです、ライブとは私達の生きる姿です。私達の存在を示すことです。
あなたがこれからもご自分を信じてこの逆境から不死鳥の如く蘇って新たな表現に挑むことを切に念じます。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
ありがとうございます。
今の状態は私が今までに経験したことのない八方塞がり。
お金に余裕があれば、美味しいものを食べたり、本を買って読んだり、気晴らしに旅行したり、カウンセリングを受けに行ったりできたでしょう。
生活のための仕事が好調なら残業や休日出勤で稼ぎ、それを自分の楽しみに注ぎ込もうと考えるでしょう。
人間関係が上手くいってたら、家族友人パートナーなどと過ごしたり、話しを聞いてもらったり、アドバイスを求めたりしたでしょう。
舞台さえあれば、成功でも失敗でも関係なく全力投球し、何もかも忘れられる。
若い頃はそうでした。
ホームレスになって路上生活していたこともありました。売春紛いのことをやって日銭を稼ぎ、なんとか路上生活から抜け出しました。
強姦されて被害届を出しに行った次の日、中絶手術の数日後にはもう普通に何事も無かったかのようにバイトをし、養成所でレッスンを受けてました。
何度も失業しても、職種選ばずなりふり構わず働きました。
失恋しようが、人間関係崩壊しようが、一人でシナリオを書き、まだ見ぬ舞台の演出プランを考えました。
私を全否定しありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてきた家族はこちらから絶縁宣言してやりました。和解のチャンスはあったのですが、どうにもこうにもお互いに理解し合えず、傷付け合うだけでしたが…
自分のやりたいことをやりきるのみ!!!!というエネルギーだけで生きていました。
ところが…
40過ぎて、ふと周りを見ると…
正社員として働いている。起業して悪戦苦闘しつつも利益を出している。結婚して子供がいる。子供が独立している。孫がいる。
まともに真っ当に働いている人間がほとんど。
演劇仲間、音楽仲間も、結婚していたり、正社員として働きながら活動していたりする。
安定した暮らしをして、3食ちゃんと食べて、きれいな服を着て、家族に応援されて…
片手間に演劇や音楽をやっている。
私は努力が報われたことがありません。
私は間違った生き方をしていたのでしょうか?
私の人生は無駄だったのでしょうか?
私がやりたいことのために捨ててきたものがあまりにも多く、それは取り戻すことが叶わないと痛感するたびに、足元から何かが崩れ、自分の身体も陶器の人形のように粉々に割れていくような感覚に陥ります。
40過ぎて…
同性愛者でパートナー無し
独身
非正規労働者
貧乏
職探しの度に経歴を馬鹿にされ、仲間にも見下され…
どんどん自分が削られていきます。
表現者と呼ばれる人たち…自殺する人もたくさんいます。
亡くなってから認められた画家や作家、その後ろにはずっと日の目を見ずに亡くなった、命を絶った名もない表現者たちの魂がいる気がします。
私もそういった日の目を見ずに死んでいく表現者の一人なのだと。
死にたいと思う気持ちはあまり変わらず、これは自殺というより表現者としての『殉職』であると考えます。