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父が亡くなり、心が苦しいです。

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2020年の年末に父親が急逝しました。
亡くなった日の事は、母から聞きました。
仕事一筋の父は、亡くなるその日も仕事をしており、家に帰って来てお風呂に入った後、背中の痛みを訴えました。母は、父の顔色が悪い事が気になり、救急車を呼ぼうとしましたが、父が背中の痛み程度で救急車は呼ばないで良いと止めました。
母は、顔色が悪い父の事が心配で病院受診を何度もお願いし、ようやく、父の重い腰が上がりました。
それでも、救急車ではなく、父が自分で運転をして夜間救急に行ったそうです。
救急には患者が溢れており、順番待ちでソファーに座って待っていた所、容体が急変、急に意識が無くなったそうです。緊急手術で転院が必要となり、救急搬送中に亡くなる可能性もある事を説明されたそうですが、一縷の望みをかけて、転院。救急車の中では、母が父の手をずっと握っていたそうで、最初は父も手を握り返す力があったようですが、転院先に到着した時には、父の手から力が抜けていたそうです。転院先の手術室に父が入って30分〜1時間もしないうちに、母と兄は手術室に呼ばれ、手術台の上には、目を開けず息をしなくなった父が横たわっていたと聞かされました。

実家から遠く離れた地に嫁いだ私は、最期のお別れもできませんでした。
告別式、初七日、四十九日…と、法要を済ませ、父が亡くなってから日が経つのですが、最期を看取れなかった事を未だに悔やんでおります。

そして、初盆には帰省するつもりでおりましたが、このご時世、県外への移動も制限され、仏壇の前で手を合わす事も叶いません。

いつも父の事を思い出し、ごめんねと涙を流して心の中で謝ってばかりです。
この様な状態では、父が喜ばないのも知っていますが、父を思うと心が苦しくなります。

旦那に父の話をしても、他人事のような感じですので、話が出来ません。

父が亡くなってからは、地元を離れて県外に嫁いだ事すら後悔する様になりました。
父が喜んでくれた結婚にも否定的で、離婚して子どもを連れて地元に帰ろうかとも考えるようになりました。

父が亡くなって日が経てばどうにかなると思っていましたが、未だにお別れが出来なかった事や自分の選択に後悔してばかりで、辛いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あまり自分を追い込まないでください。

琉花さんのご心痛お察し申し上げます。
又、お父様のご冥福をお祈り申し上げます。

お話をお聞きすれば、最後の最後まで気丈にお父様はご自身の事を、皆さんに迷惑を掛けないようにと思われていたのだと思います。
琉花さんのご心痛も分かりますが、お父様は何一つ、要求もされず後悔もされていないでしょう。それよりも、まずは、書かれているような否定的なことは一切思わないことです。そんなことは何一つお父様は思ってもいないです。
しかも、離婚して戻ってきて、どうするのですか?お父様のせいにするのですか?

たしかに亡くなられた時は、そこにいなかったので何一つできなかったかもしれませんが、では、その場にいたら助けられたとでも思っていますか?
そうではなく、お父様はご自分のそのような姿を見せたくない人には見せないないのも優しさだと思ってください。

このような時世ですから思うように行動できないかもしれません。又、無理に行動しても、さらに悩みが増えるかもしれませんから、今は、我慢の時です。
でも、その思いは充分通じていますので、ご主人やお子さんに対して、愛情を注いであげることが、お父様への最大の親孝行であり供養だと思ってください。

家族の皆さんも、琉花さんの言葉で安心もされます。もちろん一番はお父様が安心されるでしょう。
距離があることは、この世的には仕方ありません。でも、意識(心)の世界には、距離も時間もありません。この瞬間瞬間が出会いであり交流しているのです。
お父様を安心させてあげてください。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

父の死から三年が経とうとしています。とても辛い時に回答をくださって、ありがとうございました。どうにか踏み止まることができました。父への思いを胸に少しずつ前を向いていけるようになりました。本当にありがとうございました。

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