父の交際を認められないです。
長文失礼します。
現在、兄が家を出て一人暮らしをしており、私は寮生活をしています。
ある日、父のスマホを見て、父に恋人がいることを知ってしまいました。メッセージの内容からは、父が恋人と仲睦まじい様子が分かりました。
私は未だに元母と上手くいっておらず、時々虐待されていた事を思い出したりします。その中で父が恋人と楽しく過ごしているのが、父から見捨てられたようで悲しく、怒りの気持ちもあり、認められません。自分の父が相手の人に取られたようで、どうしても交際を心から応援することができません。また、父から面倒もよく見てもらっているのに、愛されてると感じられず、申し訳ない気持ちにもなります。
できれば、兄、私、父の3人で家族らしく仲良くしていきたいです。
私はこれからどうすれば皆幸せになるのか分かりません。まず何をしていけば良いのでしょうか。
ネガティブになってしまう
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一人の人間として付かず離れずで見守る
こんにちは。
「元母」の「虐待」の過去を抱えながら、お父さんとの愛情を巡って葛藤するお姿が想像されます。複雑な胸中をお察しします。
私が最も注目したのは、「父から面倒もよく見てもらっているのに、愛されてると感じられず、申し訳ない気持ち」と書いた一文です。つまり、あなたは「愛されてると感じ」る何か、確証のようなものを得たいのだと思います。
これは、推測で勝手に言うことですが、あなたは「虐待」をされていた時に、お父さんが守ってくれる、助けてくれるということを期待していたのではないかと思います。つまり、娘である自分を「愛」しているからこそ、間違いなく助けてくれるだろう、と。
しかし、お父さんの介入は十分ではなかった。
未だにそのことを引きずっているが故に、「愛されてると感じ」ることが未消化であり続けている。その大切なことが未解決なまま、お父さんが新しい「愛」の対象を見定めて、現在進行形であることがわかった。
だから、あなたは次のように書いているのでしょう。
「父が恋人と楽しく過ごしているのが、父から見捨てられたようで悲しく、怒りの気持ちもあり、認められません。自分の父が相手の人に取られたよう」と。
私は、お父さんにはお父さんの人生があるのだから、尊重してあげようとは言いません。
そうではなく、父親としてみることを一旦お休みにする方が良い、と思います。
つまり、未熟な一人の人間としてのお父さんを見る、強く愛情を切望する対象としての親という見方を取り敢えず一呼吸おいてみる、ということです。
勿論、これまで父娘として歩んできたのだから、いきなり方向転換をする、親と見なくするというのは難しいでしょう。
しかし、現に「愛されてると感じ」ることが未消化のままの親子関係であったのは事実であり、お父さんはそこに喫緊の問題を感じていないようです。むしろ、あたらしい恋人に関心を向ける方が勝っているでしょう。
だから、現実的に今の段階で「愛されてると感じ」る問題を、力づくで解決しようとしないことが大切です。むしろ、あなたが一つ大人の視点から、お父さんを冷静に見守るぐらいの心境がよろしいのではないでしょうか。
お父さんの交際を積極的に認めるのでもなく、否定するのでもなく、一人の人間として付かず離れずで見守る。今は、そういう姿勢で丁度よいのでは、と感じました。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
自分の気持ちの原因に気づく事が出来ました。今は父の交際を認めるよりも、少し客観的に一人の人間として見るようにしてみます。