寂しさとの正しい向き合い方が分かりません
初めて質問させて頂きます。分かりにくい部分があれば申し訳ございません。
私は今まで友人には突然突き放され、せっかくできた大好きな恋人にも別れを告げられてしまうような人生を歩んできました。また、今の恋人も間もなく別れを告げそうな雰囲気です。そしてそのどれもが全て、理由が分からないのです。私にも原因はあったのだと思います。ですがそれまで何も変わりがなかったのに突然…ということばかりで、私には全くその見当がつかないのです。
そのような経験から私は、自分は裏切られてしまうような人間なのだ、自分と関わった人は最終的には自分の事なんてどうでもよくなってしまうのだ、と考えるようになりました。私は根本的に未熟で魅力がない、それも理由の一つかもしれません。
それならもう人と関わる事なんか辞めてしまえ!と振り切ってしまえば楽なのかもしれません。ですが私は人とお喋りする事自体は大好きなのでそれをする勇気はありません。それでも最近は、誰かと話していても、この人も私の事を裏切るんじゃないか、本当は私なんて迷惑なんじゃないか、という考えが頭をよぎり、辛いです。
長々と状況ばかり書いてきましたが、上に書いたようなことには慣れてきてしまいました。随分と長い事悩んできたので諦めがついたのしょうか。
今私が最も苦しんでいるのは、そこから生まれる寂しさです。誰かが自分から離れていってしまうのに耐える事には慣れても、そこから生まれてくる寂しさが苦しくてたまりません。寂しくて泣いてしまう、でも誰も助けてくれない、それで余計に寂しくなる。こんな事の繰り返しです。今、私の周りに頼れるような人はいません。ずっと頭の片隅に孤独と疎外感が蔓延っていて、とてもしんどいです。これから一人で頑張るしか無いのかと思うと心が痛くなります。
自分一人でもどうにか生きていけるよう強くなりたいです。この寂しさと正しく向き合うにはどうすればいいのでしょうか?まとまりがなく分かりにくい文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分で自分を癒す
まーる 様 相談ありがとうございます。
理由もわからずに離れられたら、そりゃそんな思いを抱きますね。
理由もわからないのに、自己批判をして、寂しくなっていきますよね。
人間関係に疲れても、それはあなたのせいではありません。
あなたに責任はないのです。
そして、自分で自分を癒す・労わるという方法があると思います。
あなたの心が穏やかになる、落ち着く、そんな体験を思い出してみましょう。
これまでで、心があたたまったなとか、とても落ち着いたという経験を思い出して、その時の感覚を蘇らせてみてください。
ペットを抱いたとき、心地よい場所でまったりしているとき、大好きな飲み物をゆっくり味わって飲んだ時、などなど・・・。
その時の身体の感じはどうでしたか?心はどんな感じでしたか?
温かい感じ、優しい感じ、寛容な感じ、それとも勇気を持った感じなど、
沢山その時の感じを思い出してみて、それを今の自分に向けてみましょう。
ゆったりと深い呼吸をして、瞑想するように、自分に温かさや優しさを向けてください。
こんな声が聞こえてくるかもしれません
「今は寂しくても大丈夫、明るい笑顔でいれば、誰かと仲良くるよ」
「きっと大丈夫、優しさが私にはあるから」
このように、まず、自分で自分を思いやりで満たしていけば、1人で生きていこうとしなくても、自然と誰かとつながりが出来ていきます。
私はそう思います。
それでもし、誰も頼れる人がいないなら、どうぞご相談ください。このハスノハでもいいし、直接相談でもいい。どんどん手をあげて、助けを求めて大丈夫ですよ。
仏様は、すべての人が慈悲の心を育むように思いやりを向けていますから。
一礼
質問者からのお礼
ありがとうございます!おかげさまで自分を大切にする事の重要さに気付けました。
頑張ってみようと思います!