人の絵をパクってしまった過去
タイトルの通りです。数年間、不定期的にちょくちょくやっていました。
人に指摘された事はありません。丸パクリはしていないです。被害者が私のしたことを知っている可能性は無いと思います。
数ヶ月前と3年程前に、TwitterのDMやメールなどで1体1で話せる方には謝罪をさせていただき、お許しと気をつけて、と言葉を頂きました(上記の通り再発しているんですけどね…)。
しかし、当然の事ながら罪悪感は消えません。メアドやDMを解放していらっしゃらない方には謝罪できませんでした。そうすると全世界に公開する形でしか文を送ることができず、他者から誹謗中傷を受けるのが怖かったからです。
その上でも、やはり謝罪はするべきなのでしょうか。それとも、向こうは私のした事を知らない(多分)訳ですから、謝罪せず墓場まで持って行くのが懸命な判断でしょうか。
罪悪感で苦しいです。当然ですが。自分はなぜこうも軽率な行動を繰り返すのか、死にたいです。もうイラストは書かないつもりです。SNSも辞めました。
謝罪した方がよいよか、
どう心を持てば良いか、
教えて頂けると幸いです。ごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全て芸術は模倣に始まる
素敵な絵やキャラクターに出会うと自分も、このような魅力的なイラストを描きたいという気持ちはよく分かります。
「全ての芸術は模倣に始まる」と言う言葉があります。
誰でも最初から奇麗なイラストを描けるわけではありませんし、
何も無く絵を描き始める事も無いと思います。
素敵な物や風景と出会い、これを絵にしたいと思ったり
素敵な芸術に出会い自分もこのような素晴らしい絵を描きたいと
思って絵を描き始めるはずです。
ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」と言う言葉残していますが、この「盗む」はそのまま丸パクリするという事では無く模倣の先、
技術やモノの見方、インスピレーション等の本質を盗み、
それを元に独自の芸術を作り上げる言う事です。
キャラクターの模倣なのかレイアウトや構成の模倣なのかは文面からは推し量る事が出来ませんが、パクッてしまったとお悩みは、
ピカソの「模倣」の段階で足踏みされているが故の事もあると思います。
自分一人のインスピレーションやデッサン力では満足の行く絵が描けない時などは、外に正解を求めがちです。
しかし、そこは一歩踏み込んで、この絵はなぜこんなに魅力的に見えるのだろうと研究し、その本質を盗むように努力されてはいかがでしょうか?
絵を描くという事は、上手く描けたと思った絵が、あくる日には粗ばかり目立ったりと、なかなかに苦しい物です。
ですが、思った線が描けた!すごくきれいな色が出せた!など素晴らしい体験ももたらせてくれます。
過去の事は断ち切り、前を見て作品作りをしてください。
質問者からのお礼
こんにちは、回答ありがとうございます。
どこを真似したのかは絵によって違いますが、模倣的な部分もあったのでは…?と自分の考えを再確認するに至りました。
このようなきっかけを下さり、ありがとうございます。感謝してもしきれません。