失恋した相手に謝罪したい
1年以上前に職場の後輩に失恋し、それ以来ぎこちなくなったり、避けられたりするようになりました。
後輩に必要以上に関わってしまったのが負担になったと反省し、謝罪をしたいと思っています。
また、彼と会ったことで、自分を見直すきっかけもでき、感謝もしています。
彼にとっては迷惑な話ですが、正直な気持ちを伝えたいです。
とても悩み、一時期は彼の前から姿を消すことが、彼にとって一番いいと思い、自殺も考えました。
でも、彼と普通に話せることが、こんなに幸せだったということを気づきました。
まだ、片想いですが、できれば職場の同僚として、また関わりたいです。
謝罪、感謝を伝えることは相手に負担をかけるでしょうか?
また、恋愛は好きになって振られた人間は、告白しただけで相手に迷惑をかけているのでしょうか?気持ちに負担かけますよね。しかし、今私は人を好きになってはいけないと思うようになってます。
どうぞお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
謝罪・感謝は自身の弱さから来ているので、今は不要です。
拝読させていただきました。
すべての人生軸を現在は、恋愛においていることがすべてを悪因という原因を創りだしていることを感じます。
この中心となる「軸」から一旦、距離を置くことが心を軽くさせる方法でもあります。
おそらく身内や周囲からも、恋愛が障害となり、恋愛が執着となっていることが映っているかも知れません。
何を重きにおいて人生を見つめているのかということを他人は感じとれます。何が一番正解で何が成功ということ無いんですが。
しかし、めいさんの中に大切にしなければいけないことを放置して、他のことに心が赴いていることはないでしょうか。
例えで簡易でいうなら
「遊びに行くのに、まずは宿題をしてから遊びに行きなさい。」
「外出するのに、化粧してから外出する。」
「仕事をするのに、睡眠をしっかり取らないと仕事に身が入らない。」
など、ごく一般的な
1、「まずは準備することから」
2、「まずはやる事をやってから」
いくつか例を挙げましたが、まずは目の前の事をしっかり身支度整えることで、他の人や元彼などからも「以前とは違う。良くなっている。」と感じてくれるものです。
仏教では、恋愛を「渇愛」と呼びます。漢字のごとく「喉が乾いても、また潤すことを求め、キリがない。」と説きます。
ここで、どのように仏教では観ていくのかを答えていきますと、小欲知足を「維持・持続」する力が必要となります。
文面にも記してましたが「彼と普通に話せることが、こんなに幸せだったということを気づきました。 」これが小欲知足という足るを知るということでありますが、人間には欲が欲を作り出します。そこで念においておくことが大切なことが「満たされても、また欲は他のことを満たそうと働きだす。だからこそ、満たすのではなく、これでいいという納得を心に持つこと」です。
恋愛軸におくと、失恋すると死ぬという発想になりがちに人は向いていきます。
軸を他に赴き、恋愛していくことで無難が待っているのかも知れません。
今は焦らず、一旦 めいさん自身に距離を置き、冷静に冷静に自己と見つめ合う時間が行く末に自身を楽に人生を運んでいける時期(薬)なんだと捉えてください。
合掌