プライドとは何者か、どう接するべきか。
【導入】
現在、就活をしており内定は一つもありません。今のところ、人生のどん底状態です。
こんな状態の中、ふと「プライドって一体何者なんだ?」と考える機会がありました。
【やや脱線】
スポーツが苦手でイケメンでもなく高身長でもない私が、唯一勝負できる場所は『勉強』しかないと思い、勉強がいつかは役に立つと信じて勉強してきました。しかし、現在の私はどん底を這いつくばるような毎日です。勉強を頑張れたのも「今は辛くても就活の時にきっと何か役に立つはずだ」と希望を抱くことができたからです。とはいえ、世の中は甘くなく、私の努力は努力しても報われない努力だったのです。就活はボロボロです。その現状の責任は、能力不足の私自身にあります。失礼を承知で言いますが「楽に死ねたら今悩んでることも解決するのに」と何度思ったことか。
【本論】
さて、本題についてです。
プライドとは何者なのでしょうか?例えば「プライドを捨てれば楽になる」という場合、プライドはマイナス的な扱いです。しかし、私が中学からコツコツと勉強をし続けてこれたのは他ならぬプライドのおかげです。「せめて勉強だけは皆んなに負けるわけにはいかない」といった具合です。
私は、プライドとは自身が現在までに頑張ってきた物事を対象に作られる、いわばこれまでの自分の過去の価値を肯定する存在だと思うのです。私の場合は勉強ということになりますが、中高浪大と勉強というプライドがあったからこそ、辛い中でもなんとか頑張れたのかもしれません。「プライドを捨てる」ことができれば、確かに楽になるのだと思います。勉強(学歴)のプライドを捨てれば収入とかは低くても就職できる幅はグッと広がり、楽に生きていけるような気がします。しかし、プライドを捨てる行為は一方で「これまで自分の過去の価値を否定すること」なるのではないかと思います。つまり「今まで多くの投資をしてきて得た勉強や学歴は捨てなさい、価値のないものに執着してはならない」と言うことになりかねないのではないかとも思うのです。
【質問】
プライドとは一体何者なのでしょうか?そして私は、自身のプライドにどのように接していけばよいのでしょうか?
内定を勝ち取った方々は、本当に凄いと思います。心から尊敬します。私は弱虫です。それでも私も今の絶望を通じて、家族の有り難みを肌で知ることができました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
プライドという言葉にとらわれなくていいんです
質問読ませていただきました。
自分が今までやってきたことが報われずに失望されているのですね。
心中お察しいたします。
さて、プライドとは何かということですが、様々な定義がありましょう。
質問者様が仰るように「自分の過去の価値を肯定する存在」という側面もあります。
もしくは、「未来に向けての指針」となる場合もありましょう。
もしくは、「自分が自分たり得る根幹」と言える場合もあります。
ただ、そんな「プライド」という言葉に拘る必要はありません。
なぜなら、必要なのは自分のやってきたことを活かしつつ、周りの意見に耳を傾ける柔軟な思考で進んでいくことだからです。
「自分のやってきたことを活かす」という意味においては、自分の過去を肯定して自信をもつことはとても大切なことでしょう。
しかし、それに自信を持ちすぎて、考え方が偏る事は危険なのです。なぜなら、「自分の考えが正しい」という思考に陥り、他人の言うことに耳を傾けることが出来なくなります。流動的な世の中の変化に対応できず、凝り固まった思考で置いてきぼりをくらって苦しみます。しかし、自分が正しいと思うが故に、何故苦しんでいるかが理解できないのです。
自分が得たものでも、取るべき部分は取り、残すべき部分は残し、捨てるべき部分は捨てる、これが大切になってきます。
それが、「プライドを捨てれば楽になる」という言葉の意味ではないでしょうか。
仏教でも、「自分の意見のみに拘ることはいけないことだ」と説きます。
専門的な話になりますが、「二乗の成仏は成り難し」と説かれるのはそのためです。簡単に説明すると、「下手に学を付けて自分こそが正しいと慢心を抱く者は、他人の意見聞く耳を持たず、いつまでも我見に囚われて悟りの境智に達することはできない」という意味です。
結論として、あなたがやってきた勉強は決して無駄ではありません。学問というのは、「失うことのない財産」と言われるように、必ずあなたの役に立つでしょう。
しかし、それは絶対のものではありません。色んな意見などを取り入れながら、それをどのように活かすかを自分の現状と照らし合わせて考えていけばいいんです。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
不安でも追加の相談でも何でも良いので、必要ならばプロフィールを参照いただき、メールやZOOMの個別相談をご利用くださいね。
自分は素晴らしいと思いたい煩悩
言葉の定義は人それぞれですが、私はプライドと聞いて「自分は素晴らしいと思いたい煩悩」だと思いました。
生物には生への執着があります。
自分という存在を守りたい。
そのためには、自分は素晴らしいと思った方が楽でしょうね。
死にたくない、自分の生存を守りたい、自分を壊したくない。
そのような心の癖から派生して、自分は価値があると思いたい、自分が言ったことや自分がやったことにも価値があると思いたい、という気持ちになる。
ただし、実際にはそんなに価値はないので、プライドの煩悩があるとストレスやトラブルの原因になります。
仏教的には、まずは「プライドは煩悩である。煩悩は悩み苦しみの原因である。」と自分のプライドを客観視することが良いと思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
「プライド」という言葉に囚われず、誇りを持つところは誇りを持ち、自分に不必要なものは削ぎ落とす。捨てるべきものは捨て残すべきものは残すという考えを知ることができました。「こう考えてもいいんだ、捨てないプライドがあってもいいのだ」と思えるようになりました。
質問を投稿させていただいた後、自身でもいろいろと調べていたところ、印象に残る言葉に出会うことができました。
『勉強は自身の知識を高めるだけのものではない。自身の未熟さを知ることができる。』という言葉です。「勉強できるのだから○○できて当たり前」のように考えず「勉強のおかげでまだまだ自分はちっぽけだ、できなくて何が悪い」と少しでも考え生きていければ善いなぁと思いました。
私のこんな愚痴のような質問に対して親切に寄り添ってくださり、ありがとうございました。