気が晴れません
ここのところずっと憂鬱で、気が晴れません。昔から人生がとても辛いと思うことが多く、慢性的に死にたいと思っている私ですが、結局は死なずに今も生きています。
憂鬱になるような不安な要素は確かにあります。大学の試験に落ちて再試験になったこと、そしてその再試験でも合格できるか分からないことです。やれるだけやっていますが不安で仕方はありません。
その他にも、明らかな低体重であることも憂鬱な要因のひとつかなって思います。でも、食欲がわきません。
なんと言うか、試験や将来のことや、自分の精神疾患について悩むことも嫌なのですが、それ以上に人生そのものが辛いのです。なにかやっていると「死にたいのになんでこんなことしてるんだろう」とか、「こんなことしてないでさっさと死ねばいいのに」とか思ってしまいます。
運動はメンタルに良いとお医者さんからは言われたので、毎日ウォーキングしてますし、発酵食品はメンタルに良いと聞いたから、毎日納豆を食べたりしていますが、どうしても憂鬱が続いています。
もういいか、と言う感覚があり、さっさと死んでしまおうと結論付けようとしているのが正直なところです。でも、結局死ねないんだろうな、とも思います。
つまり私は生きていたいのかな、とも思います。
憂鬱をどうにかしたい。でももうどうにもなりそうにないから死にたい。これが私の現状です。
お坊さんにも憂鬱な時はあると思います。そんな時どうしてますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よく周りを見回してみると
拝読させて頂きました。
そう思うことはありますね、やっぱり生きていると思うようにいかないことも沢山ありますし、ストレスもたまりますし、気分が晴れない毎日もありますからね。ましてこのコロナ感染症の抑圧がのしかかってきてこんな窮屈な中で何で生きなければならないのかと思ってしまいますね。あなたのお気持ち全てではないですがわかります。
お坊さんの世界でもやはり他の人間社会と同じですからいろんなストレスはあります。そんな時には人間社会のことは考えない見ない聞かないことです。人間社会はとても複雑になり過ぎて人間関係も息つくことも辛くなってしまうこともあります。自分の頭の中だけであれこれ考えていると不安が不安を呼んで堂々巡りしてしまうこともあります。
ですから一度頭の中の様々な雑念をリセットしてしまうこともいいかと思います。手放すと言ってもいいかと思います。とはいえその手放すこともなかなか難しいのが実情です。私達は知らず知らずのうちに自分が考えていることや周りの思っていることに囚われてしまっていますからね。であればどうすればいいのかちょっと自分の生き方考え方や行動をやめてみてもいいと思います。
今日は試験のことは考えない、ちょっと忘れて別のものを見てみることのもいいです。
例えばですがウチのお寺にはネコも犬もいます。彼らは囚われたり憂鬱になったり迷ったりはしていません。今もお寺の廊下で自分なりに居心地のいいところを見つけてゆっくりと寝転んでいます。とても穏やかな寝顔でゆっくりと寝息を立てています。
或いは今日お寺の庭を見ると彼岸花の茎が真っ直ぐ空を目指して伸びています。来週からの秋の彼岸に花開くようにわき目も振らずにすくすく伸びていっています。そこには一切迷いはありません、悩みもありません。目指す方向に向かって一直線に伸びっていっています。
私達は猫にも犬にも彼岸花にもなれませんが、どこか相通じるところを感じます。生きることそのものを見ることで自分の見方を考え直すこともできると思います。そして私達が今とらわれていることや迷っていることが本当はどうなのだろうと見つめ直すことができます。きっとあなたの身の回りにもそういった生きものの素直な光景を目にすることができるのではないでしょうか?
またあなたの思いをお聞かせ下さい。
ウチの猫も今日も明るい日差しに照らされて気持ちよさそうです!
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
猫を飼っていますが、見ているだけで癒されますよね。
生きものはただ生きているだけなのですが、無駄になにか考えてしまいます。
だけど、私はなにか考えつつも、ただダラダラと生き続ける、というの寿命が来るまで続けそうです。