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完璧な幸せへの不安、それによる病気を解消するには?

以前、深く絶望し、幼時からの精神疾患も悪化させ、自傷行為に走ったこともありました。
しかし、今ではとても幸せです。
親の仕送りで暮らす学生で、趣味も多く、好きな人も友人もいて、何も不足はありません。

それなのに、精神的にも肉体的にも、いつも何らかの不調が絶えません。

幼時からの強迫性障害は完治を諦め、うまく付き合っていくように心がけています。
でもそれ以外で、緊張すると一言も話せなくなる症状や、ストレス性の難聴などの疾患が、改善と悪化、出現と消滅を繰り返しています。
身体でも痛みなどがあり、病院に行っても原因不明、ストレスかもと言われ、そう言われた途端に症状が軽減したりなくなったり…ということが多いです。

結局、いつも身体には異常はないのです。要は心の問題なのです。
一度、検査に行った病院で「あなた、異常であってほしいの?」と聞かれたことがあり、はっとしました。
私は絶望を経験してから、幸せになりたいと思って努力したし、幸せをつかみました。でもどこかで、完璧な幸せを手にすれば、その先に来るのは幸せの終わり、前のような絶望ではないかと、不安に思っています。だから、幸せが完璧にならないように、身体に出ているのだと思います。

でも怖くても不安でも、私はやっぱり病気になんてなりたくない、幸せになりたいのです。幸せの先にあるのが前のような絶望だなんて、思いたくないのです。

どうしたらこの不安を和らげて、身体の症状を軽減させていくことができるでしょうか。
良い心の持ち方を教えてください。

蛇足ですが、懸命に「この痛みや病気は幻だ、本当は何ともないんだ」と思ってみても、ちっとも軽減しませんでした。

心構え・生きる智慧
有り難し 20
回答 2

質問投稿日: 2016年3月28日 19:15

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

幸せは完璧でなくていいのです。

絶望を味わい、それを乗り越える努力をされ、幼児期からお持ちの精神疾患を抱えられながらも、上手に付き合っていける様に努力して来られた…経験のない私にとっては頭の下がる思いです。

現在は貴女曰く「とても幸せである」とのこと。
しかし、体調不良は常に残る…。

ご質問の文面でしかわかりませんが、貴女はきっと、真面目で努力家であり又、繊細、ストレスに敏感、完璧主義な部分をお持ちでいらっしゃる様に感じました。(間違っていましたら申し訳ございません)

貴女は今完璧な幸せの先に、まだ見ぬ不安、絶望の妄想を膨らませ心悩ませていらっしゃる訳ですが、仰るように完璧の先にあるのは終点です。

しかし、完璧でなければその先は終点ではなくこれからも様々な山あり谷ありの人生の道が続いて行くのです。

完璧でないからこそ、私達人間が人生の道を一歩ずつ歩んで行く意味、生きる意味があるのではないでしょうか?

完璧でないからこそ、今の自分に足らない部分を見つけ、理想へ近づく事が出来るのではないでしょうか?

幸せになる事を望まれるのなら
先ずは、今の幸せを「幸せだなぁ」と貴女自身、心が実感することが大切です。

心の「幸せ」=貴女自身の「幸せ」です。

病気になりたくない、不安、絶望の軽減を望まれるのなら
心の問題の解消がネックとなります。
まだ見ぬ不安、絶望の妄想をやめることです。
妄想が湧いたなら、その都度流してしまいましょう。

湧いては流し、湧いては流しを繰り返し行えば何れは、その不安、絶望が湧いて出ても怖れを感じる事もなく、執着する事もなくなるはずです。

未来は未来、今は今です。
未来を考えすぎて体を病む位なら今の自分、今の「幸せ」に注意を注ぐべきでしょう。

まさに禅の言葉「眼横鼻直(がんのうびちょく)」です。
つまり「ありのままの今の自分、今の現状、それらをしっかりと受け止めて心乱す事なく向き合い、一歩ずつ着実に進んで行く事」といった意図を示す言葉です。

この言葉の意図する様な生活を送られる事を一度、心掛けてみてはどうでしょうか。

3年4ヶ月前

腹八分目

 どうやら、「幸せ」というもののイメージが硬い、というか囚われの元になっているように感じます。我々は、恐らく「完璧な幸せ」を手に入れることはできないのです。常にお腹が一杯。常に友達がニコニコしている。いつまでも若いまま。病気もしない。それらを「完璧な幸せ」と呼ぶなら、手に入れたとしても一瞬です。食べ放題でお腹一杯満杯まで食べても、翌日の夕方にはお腹がグーと鳴ります。学校の入試とかと同じで、「合格したと思ったら、大学の勉強は高校よりも大変だった」とか、「ようやく結婚したと思ったら、いつも一緒にいるせいで、細かい所が気になるようになった」とか。
 恐らく「絶望」からの反動で「完璧な幸せ」に拘りがあるのでしょうけれど、あなたの「絶望」も「完璧な絶望」ではなかったはず。そんな時でも命を長らえるに足る物を食べ、衣服を着て、居場所もあったわけでしょう。だから、「幸せは外にあるのではない。ただ心がそう感じるか、言葉としてどう捉えるか」の問題、主観の問題なのです。
 仏教ではおおよそ、「世の中には苦しみがある。その事自体を受け入れることで、幸せに生きられるようになる」と言います。完璧への拘りを捨て、今あるもの・持っているもの・与えられているものに満足する。彼氏がいなくても、「それでいいのだ」と満足している人は、「彼氏はいるけれど不安」という人よりも、幸せなのです。

3年4ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

丁寧なご回答をありがとうございます。

まず佐藤良文様のご回答を読み、「完璧な幸せ」という言葉に語弊があったかなと思いました。
もうきちんと文章でご回答いただいているので、もちろんそれはそれとして、そうだなあと思って読みましたが、一応の訂正を書いておきます。
私は今、絶望の中にいたときに欲しかったすべてのものを手に入れました。文字通りすべてです。親友、友人、一時であっても家庭内の平穏、自分のやりたいことを貫ける環境など…。そして思いがけず恋までも手に入れました。私にとっては、毎日おなかが減ろうが少し誰かと言い争いになろうが、これこそが「完璧な幸せ」なのです。
そういう意味では、しっかり幸せを謳歌しています。ただ、その完璧さが怖くて、無意識に心身が拒否してしまうのです。

おそらく隆介様にもこの点については伝わっていなかったかと思います。
しかし、私の性格はばっちり当たっておりました。それに、未来を見るよりもまず今のこと、今の幸せを喜び今の不足を見ること、このアドバイスはとても心に沁みました。健康面が乱れるのは、未来ばかりを見て、今がおろそかになっているからですね。
もう本当に幸せ、これからは余生(ひょっとしたら暗いだけの)、くらいに思っていましたが、もっと先の幸せのために今がんばることを見つけてもいいかなと、希望が持てた気がします。
ひとまず、今後こんな風に誤解を与えてしまわないように、文章の練習でもしてみましょうか。そんな気分です。

お二方とも、本当にありがとうございました。

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