hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

完璧な幸せへの不安、それによる病気を解消するには?

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

以前、深く絶望し、幼時からの精神疾患も悪化させ、自傷行為に走ったこともありました。
しかし、今ではとても幸せです。
親の仕送りで暮らす学生で、趣味も多く、好きな人も友人もいて、何も不足はありません。

それなのに、精神的にも肉体的にも、いつも何らかの不調が絶えません。

幼時からの強迫性障害は完治を諦め、うまく付き合っていくように心がけています。
でもそれ以外で、緊張すると一言も話せなくなる症状や、ストレス性の難聴などの疾患が、改善と悪化、出現と消滅を繰り返しています。
身体でも痛みなどがあり、病院に行っても原因不明、ストレスかもと言われ、そう言われた途端に症状が軽減したりなくなったり…ということが多いです。

結局、いつも身体には異常はないのです。要は心の問題なのです。
一度、検査に行った病院で「あなた、異常であってほしいの?」と聞かれたことがあり、はっとしました。
私は絶望を経験してから、幸せになりたいと思って努力したし、幸せをつかみました。でもどこかで、完璧な幸せを手にすれば、その先に来るのは幸せの終わり、前のような絶望ではないかと、不安に思っています。だから、幸せが完璧にならないように、身体に出ているのだと思います。

でも怖くても不安でも、私はやっぱり病気になんてなりたくない、幸せになりたいのです。幸せの先にあるのが前のような絶望だなんて、思いたくないのです。

どうしたらこの不安を和らげて、身体の症状を軽減させていくことができるでしょうか。
良い心の持ち方を教えてください。

蛇足ですが、懸命に「この痛みや病気は幻だ、本当は何ともないんだ」と思ってみても、ちっとも軽減しませんでした。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せは完璧でなくていいのです。

絶望を味わい、それを乗り越える努力をされ、幼児期からお持ちの精神疾患を抱えられながらも、上手に付き合っていける様に努力して来られた…経験のない私にとっては頭の下がる思いです。

現在は貴女曰く「とても幸せである」とのこと。
しかし、体調不良は常に残る…。

ご質問の文面でしかわかりませんが、貴女はきっと、真面目で努力家であり又、繊細、ストレスに敏感、完璧主義な部分をお持ちでいらっしゃる様に感じました。(間違っていましたら申し訳ございません)

貴女は今完璧な幸せの先に、まだ見ぬ不安、絶望の妄想を膨らませ心悩ませていらっしゃる訳ですが、仰るように完璧の先にあるのは終点です。

しかし、完璧でなければその先は終点ではなくこれからも様々な山あり谷ありの人生の道が続いて行くのです。

完璧でないからこそ、私達人間が人生の道を一歩ずつ歩んで行く意味、生きる意味があるのではないでしょうか?

完璧でないからこそ、今の自分に足らない部分を見つけ、理想へ近づく事が出来るのではないでしょうか?

幸せになる事を望まれるのなら
先ずは、今の幸せを「幸せだなぁ」と貴女自身、心が実感することが大切です。

心の「幸せ」=貴女自身の「幸せ」です。

病気になりたくない、不安、絶望の軽減を望まれるのなら
心の問題の解消がネックとなります。
まだ見ぬ不安、絶望の妄想をやめることです。
妄想が湧いたなら、その都度流してしまいましょう。

湧いては流し、湧いては流しを繰り返し行えば何れは、その不安、絶望が湧いて出ても怖れを感じる事もなく、執着する事もなくなるはずです。

未来は未来、今は今です。
未来を考えすぎて体を病む位なら今の自分、今の「幸せ」に注意を注ぐべきでしょう。

まさに禅の言葉「眼横鼻直(がんのうびちょく)」です。
つまり「ありのままの今の自分、今の現状、それらをしっかりと受け止めて心乱す事なく向き合い、一歩ずつ着実に進んで行く事」といった意図を示す言葉です。

この言葉の意図する様な生活を送られる事を一度、心掛けてみてはどうでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

少しでも皆様のお気持ちに心を寄せて行けたらと思っています、どうぞ宜しくお願...
このお坊さんを応援する

腹八分目

 どうやら、「幸せ」というもののイメージが硬い、というか囚われの元になっているように感じます。我々は、恐らく「完璧な幸せ」を手に入れることはできないのです。常にお腹が一杯。常に友達がニコニコしている。いつまでも若いまま。病気もしない。それらを「完璧な幸せ」と呼ぶなら、手に入れたとしても一瞬です。食べ放題でお腹一杯満杯まで食べても、翌日の夕方にはお腹がグーと鳴ります。学校の入試とかと同じで、「合格したと思ったら、大学の勉強は高校よりも大変だった」とか、「ようやく結婚したと思ったら、いつも一緒にいるせいで、細かい所が気になるようになった」とか。
 恐らく「絶望」からの反動で「完璧な幸せ」に拘りがあるのでしょうけれど、あなたの「絶望」も「完璧な絶望」ではなかったはず。そんな時でも命を長らえるに足る物を食べ、衣服を着て、居場所もあったわけでしょう。だから、「幸せは外にあるのではない。ただ心がそう感じるか、言葉としてどう捉えるか」の問題、主観の問題なのです。
 仏教ではおおよそ、「世の中には苦しみがある。その事自体を受け入れることで、幸せに生きられるようになる」と言います。完璧への拘りを捨て、今あるもの・持っているもの・与えられているものに満足する。彼氏がいなくても、「それでいいのだ」と満足している人は、「彼氏はいるけれど不安」という人よりも、幸せなのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

丁寧なご回答をありがとうございます。

まず佐藤良文様のご回答を読み、「完璧な幸せ」という言葉に語弊があったかなと思いました。
もうきちんと文章でご回答いただいているので、もちろんそれはそれとして、そうだなあと思って読みましたが、一応の訂正を書いておきます。
私は今、絶望の中にいたときに欲しかったすべてのものを手に入れました。文字通りすべてです。親友、友人、一時であっても家庭内の平穏、自分のやりたいことを貫ける環境など…。そして思いがけず恋までも手に入れました。私にとっては、毎日おなかが減ろうが少し誰かと言い争いになろうが、これこそが「完璧な幸せ」なのです。
そういう意味では、しっかり幸せを謳歌しています。ただ、その完璧さが怖くて、無意識に心身が拒否してしまうのです。

おそらく隆介様にもこの点については伝わっていなかったかと思います。
しかし、私の性格はばっちり当たっておりました。それに、未来を見るよりもまず今のこと、今の幸せを喜び今の不足を見ること、このアドバイスはとても心に沁みました。健康面が乱れるのは、未来ばかりを見て、今がおろそかになっているからですね。
もう本当に幸せ、これからは余生(ひょっとしたら暗いだけの)、くらいに思っていましたが、もっと先の幸せのために今がんばることを見つけてもいいかなと、希望が持てた気がします。
ひとまず、今後こんな風に誤解を与えてしまわないように、文章の練習でもしてみましょうか。そんな気分です。

お二方とも、本当にありがとうございました。

「病気と向き合う・看病」問答一覧

父が倒れました。私の心の持ち方について。

父が脳梗塞で倒れました。4日目の今、あまり良くない状況です。お医者さまからは最悪な場合のことも言われましたが、とにもかくにも急性期の今は「わからない」のだそうです。 もう医療の力と父を信じるしかありません。コロナ禍の余波を引きずって、面会は制限をかけられているのと、父は不安定な状態(急性期)なので病棟へは行くことができません。毎日不安です。お医者さまからは「何かあったら連絡する」と言われており、今のところ連絡は来ていません。 母は15年前に亡くなり、父は一人暮らしでした。私は結婚していましたが離婚して、同じ市内で父とは別に住んでいますが頻繁に連絡を取り、最近は一緒に出かけたりもしていました。近々旅行も一緒に行こうと計画もしていました。 そんな矢先の病気です。 私自身、自分の気持ちに没入していき不安の海に自分から飛び込んでしまうタイプで、毎日ひとりでいると突然不安が襲ってきます。友人や職場の同僚に吐き出したりしてなんとか保っています。 父が父ではなくなった姿や、その先にあるかもしれない父の死、その後のこと、父のやりきれない気持ち、いろんなことを考えて想像して苦しくなります。父がこれから楽しみにしていたことなどが一瞬で断ち切られ、いろんなことができなくなってしまう未来が待ち構えているのかもしれないと考えるだけで、父がかわいそうだし私もそんな父を受け止められるのか不安です。 わからないことは考えず、今を生きることを大切にしないといけないのはわかっていますが、どうすればその境地に行けるのかもわかりません。  来週hasunohaさんの個別相談を申し込んでもいますが、居ても立っても居られず書いてしまいました。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

精神科をまた受診したいけど怖いです

文字制限のため、読みにくいかもしれません 15年以上、精神に不調を抱えています バセドウ病のせいかと思い、内科で相談したら、精神科に相談した方がいいと言われました しかし、過去に2度精神科を受診しても、特に治療はして貰えませんでした 母を通して伝えただけで、自分の言葉で伝えられなかったのが原因かもしれません 最初の所では投薬は無く、カウンセリングも、悩みを話すというよりはただ人と話す練習をするだけでした なかなか改善せず、やる気が出ないと相談すると、『ならこれ以上続けても意味が無い』というような事を言われ、やめてしまいました 次の所では、どうしたのか聞かれて全く話す事ができずにいると『以前の病院に通院すればいいのでは』と言われ、そのまま帰されてしまいました そんな事が連続したため、精神科に行くのが怖くなり、10年以上放置してしまいました 最近心理検査を受ける流れになり、異常無しで終わりになりました ですが、苦しい状態が続いているので、改めて精神科を受診したいです しかし、また何の異常も無いですと言われたら、と考えると不安です それに、心理検査で異常無しと言われた後、同じ病院で受診の予約をしていいのかどうか分かりません 母に相談したら、最初の病院で薬を出す程じゃないと言われたし、と微妙な反応をされます 普段から信頼している母ですが、精神科の受診に関しては、そこまでの事では、と言いたげで意見が食い違います あと、雑談? をするような場所に通っており、それとは別で引きこもりの相談も乗ってもらっています だからそれで十分じゃない、と母は言うのですが、やはり精神的な苦しさは解消しきれていないと思っています それに、その二ヶ所はどちらも優しく話して下さるのですが、どうも上辺で取り繕ってしまう感じで、自分の胸のうちを曝け出せている気はしません また、精神の不調をずっと抑え込んできたのを『以前より困ってなさそう』と捉えられている気がします それは違うと思っていたのですが、二件の精神科の結果と合わせて、本当に私は精神病のフリをしたいだけなのかも、と思えてきてしまいました 平気なフリをするのに慣れてしまった気がして、上手く伝えられる自信が無いです このような事を相談しても、皆さんを困らせてしまうでしょうか でも、どうしたらいいのか、私にはもう分かりません

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

原因不明

お世話になっております。 3、4ヶ月前から不調があり、内容的にもあまり人に話せずストレスでメンタルも落ち込んできてしまっているため、 こちらで相談させていただきます。 不調の症状としては下腹部に痛みや痙攣があり、専門の病院にも行ったのですが異常はないと言われてしまいました…… ですが症状としてはとても不快で、何より仕事上一日座っていなければならないため、仕事に集中しづらくもあります。 この症状が出始めた頃にネットで色々調べ、ある病気を見て自分もそれなのではないかと酷く怯えていました。 もしかしたらそれが過度のストレスで症状を悪化させたのかもしれません…… ちなみに何かに集中していたり、友人と楽しく話したりしている時には症状は出ないのですが、 やはり気にしすぎなのでしょうか…… (頓服の精神薬を飲むと落ち着きます) 4か月前ほどに新しい職場に転職し、通勤時間が長いこともストレスの原因なのかもしれませんが、 症状がある部位が相談しづらい部位であり、病院でもあまり聞いた事のない症状との事だったのでとても不安です。 ここ最近は体のこと以外に様々なことが不安になってしまったり、 心配してくれる友人もいるのに孤独感を感じてしまっています。 このような不安な気持ち、パニックになってしまった時などに気持ちを落ち着かせたり、 前向きになれるような方法がありましたら 教えて頂きたいです。 (自分では深呼吸をしたりしています。) これが引金となり、他にも過去の事を思い出したりしてしまい毎日がとても不安で、気持ちが沈んでいることが多く辛いです…… 読みづらい文章で申し訳ございません。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

半年間も続く息苦しさ。助けてください。

私は30代の男です。 朝起きてから寝るまで、息の吸いづらい感じがずっと続きます。 ひどいときは横になることも、座っていることもできず、立ったまま過ごすこともあります。 血中酸素を測定しても低いわけではなく、呼吸苦という自覚症状だけがあるのです。 上記の症状がもう半年以上も続いています。 最初は身体の症状だけでしたが、病気が長引くに連れ、精神をも蝕んできました。 不安や鬱症状もでるようになりました。 病院はたくさん受診しました。 呼吸器科はもちろん、総合内科、循環器科、消化器科、耳鼻咽喉科、整形外科などをまわりましたが、 これといった原因はみつからず、 それでもあらゆる病気の可能性を疑い、薬を何十種類も試しましたが、どれも効いたものはありませんでした。 最終的には精神科に回され、抗不安薬を服用していますが、 大きな改善は見られません。 東洋医学の整体や鍼、漢方薬も試してもらいましたが、同じく改善はありませんでした。 これまでの人生で、不摂生もしておらず、こうなってしまった心当たりもありません。 幸い、妻や両親には恵まれ、 手厚く看病してもらっています。 励ましの言葉も毎日かけてくれます。 身の回りでやってほしいことは全てやってくれます。 しかし苦しいものは苦しいのです。 西洋医学、東洋医学もだめで、 最終的にここにたどりつきました。 身体を変えるのは無理かもしれませんが 、仏教においての心の持ち方を教えていただきたいのです。 仏教を学ばれたお坊様がもし私の立場になったら、どのように行動するのでしょうか。 どうか私に知恵をください。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

病気は私に何を伝えようとしているのか

53才女です                                                  46才を過ぎた頃から原因不明の病気が続きます                                      疾患履歴 糖尿病、脂肪肝、うつ病、 パニック障害(精神障害2級)                    46才ごろ自宅で動けなくなり入院 地元の大きな病院の脳神経外科でいろんな検査をするが原因が分からず歩けないまま自宅に帰らせられる 車椅子生活になり車の運転も出来ず仕事をやめざるを得なくなる                   その後→薬剤過敏症アナフィラキシーで二度入院 一度目は呼吸困難で意識不明になりICU入院(もう少し遅かったら死ぬところだったと先生に言われる) 二度目は自宅で突然顔が腫れ上がり呼吸が苦しくなり救急車を呼ぶ→掛かり付けの病院に入院→また先生に死ぬところだったと言われる                                   特発性大腿骨頭壊死症  難病指定、両足とも壊死 左足は2023年人工股関節置換術をうける  後遺症で大腿神経麻痺→両足とも立ったり歩いたりが困難になる→リハビリ中                  菌血症→2024年1月4日自宅で意識不明 救急搬送→40℃発熱インフルとコロナ陰性 特定個室入院(24時間観察)→翌日目を覚ます意識混濁、味覚障害、めまい、排尿困難、 左耳が聞こえなくなる 急性中耳炎で鼓膜切開 現在(2/5)も左は聞こえません             次々と病がやってきて、死にかけることが度々あるのはなぜでしょうか? なんとなく神様が私に何かを伝えようとしている気がしてなりません            悔い改めるところがあるのか、何かやらなければならないことがあるのか、他の何かなのか、私には分かりません どうか教えてください

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ