病気ばかりで自分の人生が駄目になった
病気ばかりで自分の人生が駄目になってしまった感じがします。
以前も同じような質問しましたが
もう1回させていただきます。
その節はありがとうございました。
大げさなのはわかっているのですが、色んな病気になってしまって
毎日苦しくなりました。
いつも鬱々と暮らしています。
悩んでいる病気が3つあります。
・突発性難聴
・酒さ
・甲状腺の腫瘍(良性)
難聴はある程度聴力は回復したのですが、キーンという耳鳴りが残ってしまいました。
眠れるし日常生活は送れていますが、いつも耳鳴りがあるので
苦しくなりました。
酒さは皮膚科でレーザー治療を受けて、大分良くなりました。
赤みは少しあるのですが、ぱっと見は赤ら顔でなくなってきました。
難聴と酒さで悩んでいたときに偶然に甲状腺の腫瘍が見つかりました。
良性だったので、経過観察になりました。
安心はしたのですが、精神的に良性でも手術する可能性があるので
不安があります。
医師に診てもらう以外にできることがないのですが。
難聴と酒さは何年か前の離婚した時期に発症しました。
離婚のストレスだけではないと思うのですが、結婚しなければ
この病気にはならなかったのではという思いが強いです。
何年も経過しているのに、昨日のごとく思っています。
自分が悪いこともわかっていますが、損したなという気持ちが
強いです。
思い出し怒りみたいな状態です。
酒さは大分良くなりましたが、難聴は病院だけではなくて
鍼灸や整体にも通いましたが、回復しませんでした。
いま、仕事も調子が悪くてプライベートも仕事も駄目になってしまって
毎日苦しいです。
自分より大きな病気の方もいるのはわかっていますが
毎日苦しい日々です。
漠然として、命には影響ないとわかっているのですが
人生駄目になったなと感じています。
誰かに相談したくて、トビを立てました。
読んでいただいてありがとうございました。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
向き合っていくことに同じ仲間がいたらきっと心強い。
前回の質問も読ませてもらいました。
病が自分の人生に影を落としたようで、何をしていても気持ちが晴れないですよね…。
どこかで、何かが違っていたら、こんな状況に苦しまずに済んだのではないかと、どうしても悔いてしまいますよね。
私は日頃、聴覚障害者の方のサポートをしていますが、耳鳴りに苦しい思いをしていることは、なかなか周りには理解されず、気づかれないが故に孤独を感じてしまいがちですよね。ずっと付き纏うストレスに、気分も滅入ってしまいますよね。
治すというよりも、付き合っていく段階にあるのかもしれません。受け止めるということ、つまりそれは絶望のように思うかもしれませんが、向き合っていくことに同じ仲間がいたらきっと心強いと思いますよ。
中途失聴や難聴者の方のサークルもあります。私も参加しているのですがね。皆で筆談や手話、その他 伝えるコミュニケーションは様々であり、失われたものばかりでなく、豊かな表現の世界があるのだなと、教わることもたくさんあります。
他の病も、同じような立場にいらっしゃる方がおいででしょう。先の見えない状況は、不安になりやすい。だからこそ、繋がりが支えにもなってきます。焦らずに、身体を労わってくださいね。
壊れたように見える日々にも、まだ“縁起”は息づいている
文を読ませていただき、あなたがどれほど深い苦しみのなかで、静かに、けれど必死に生きてこられたかが胸に沁みました。
耳鳴り、肌の炎症、甲状腺の不安、そして離婚
それぞれの出来事が、まるで波のように押し寄せ、心と体の地盤を揺らし続けてきたのですね。今、「人生が駄目になってしまった」と感じるのも無理はありません。
でも、仏教で語られる「縁起」という言葉をご存じでしょうか。これは「すべての物事は、因と縁によって成り立ち、常に変化している」という教えです。あなたがいま抱えている苦しみも、固定されたものではなく、変化し得るものです。つまり、「この苦しみも、ずっとこのままではない」ということ。
また、「無常」という言葉もあります。人生において思い通りにならないことや、報われない想いは、誰にでも起こります。それでも、仏教では「無常だからこそ、一瞬一瞬がかけがえのないもの」と説かれます。
あなたが「病院にも通った」「鍼灸にも行った」「皮膚科にも通った」「誰かに相談したいと思った」
それは、まさに“今ここを生きる力”そのものです。仏教でいう「精進」の姿です。
たしかに、耳鳴りはまだ残っているし、心は晴れきらない。けれど、「今の自分ができることを尽くす」その姿勢が、仏教で大切にされる“行(ぎょう)”の積み重ねであり、あなたの人生が壊れていない証でもあると思います。
「損した」と感じる心には、「苦諦(くたい)」の真理があります。人生は思うようにいかない、その現実に気づけているあなたの感受性が、むしろとても尊いのです。
願わくば、この言葉が少しでも、あなたの心にそっと坐(すわ)ってくれますように。
まだ、あなたの人生には、“まだ見ぬ縁”が息づいています。壊れたように見えても、あなたという存在そのものは、壊れてなどいません。
合掌。
質問者からのお礼
中田 三恵様
ご回答頂き、ありがとうございます。
同じ境遇の方の話を聞くと、気持ちは晴れますね。
私の場合は、聴力は幸い異常がないのですが
耳鳴りだけなのですよね。
それでも辛いのですが、していないときもあるので
軽度なのかなという感じもします。
医師からも言われたのですが、完治はしないので
上手く付き合っていかなければいけないとは思っています。
病気をきっかけにして、健康管理に注意できればなとは思います。
失ったことより良いところを見つけた方が楽ですから。
ただ、正直なかなか気持ちの切り替えが難しいですが・・・
そんなときは回答を読まさせていただきます。
また相談するかもしれませんが。
お忙しいなか、ありがとうございました。
鈴木 秀彰様
ご回答頂きありがとうございました。
できることをやりつくすというのは大切ですね。
実際に病気はやりつくした感があるので、できることないのです。
中田様の回答にある同じ境遇の方はやれていないので
それはあると思いますが、通院や治療は日々やっているので。
いつかは変化しますよね。
難聴も耳鳴り以外は回復したし、腫瘍も良性の可能性が高いので経過観察になりました。
酒さもレーザーで赤みをひいてきたので、状況は変わっています。
アップアップという感じなんです、毎日の生活が。
病気は仕事と関係ないことなのですが、余裕がない感じですね。
冷静さを保ちながらやっていきます。
お忙しい中本当にありがとうございました。