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強くなりたい

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

こんばんは。

私は現在20歳。社会人3年目です。

昔から、気が弱くいつもオドオドしてしまいます。
中学や高校の時には、委員長や部活の部長をしていたこともありました。そういったことは結構好きなほうですし、これからも仕事で出世したいなぁと考えたりします。

仕事では、声が小さかったり、自分がミスしたかもとビクビクしたり、自信がありません。会社で泣いてしまうこともありました。

下手な文章で申し訳ないです。
どうしたら、強い大人になれるのでしょうか。
お坊さん、教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失う恐れを無くす

生死、苦楽、損得、勝敗、優劣…。
損ない、喪失、失いは誰でもいやでしょう。
それを人間は恐れているのです。
別に失ってもいないのに、失ってもいないうちから。
失ったらどうしよう、どうしよう、と。
みんなの
前で恥をかいたらどうしよう、どうしよう、と。
仮にそれでしくじったとしても、何かが減るわけではない。
頭が半分無くなるわけでもない。
体の半分が消えてしまったわけでもない。
それでも人間は「そうなったらどうしよう」という思いの方でアワワワワワワワワワワワワとなっている。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
つまり、それは現実ではないものを見ているのでしょう。
先日たまたまお寺に除霊・お祓いをしてほしいという方がお見えになられたので、お祓いをいたしました。
お祓いと言っても私のお祓いはその人が自分の妄想や不安に騙されなくなる方法を伝授することです。
そして、人間として「当然そういうことを思えば当然苦しくなるよ」ということをしているから人間は不安や恐怖や後悔、負にとどまり続けるわけですから、それを取り除く。
あなたも、自分自身がこうなったらいやだなぁという思いの方におのののののののののいて((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルしていることをよーく、見つめてみることです。
「ああ、私は失うことをおそれていたのか…」と。
別にまだ何かを失ったわけでもないのに、すでにこれから先の失うのではないかということを恐れているはずです。
あなたが相手にするべきなのは勝ち負けや優劣や損得ではないのです。
それが現実か非現実かどうか。
非現実は思いの世界。頭の世界。
あなたが脳内で思い描いた空想の世界ですから、現実ではありません。
そこの見極めをきちんとすることです。
人は現実を相手にしているようで実はそれは大半が錯覚。
本当は自分の頭の中を相手にしているのです。
それをとりつき、憑依、妄想、おもいにだまされているというのです。
仏法、仏道とはそこからの解脱、脱却の道です。理知的に生きようと真剣に志す(菩提心をおこす)ことであなたは明晰な心が身について自分の思いに騙されなくなることでしょう。釈尊も祖師たちも世界の偉人たちもみんな自分の想念世界に騙されなくなった人たちだからです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本当はできているということに目を向ける

理想を掲げすぎず、人と比較しないことです。
誰かと比べたり、理想を思い描きすぎると、必ずマイナスにしか働きません。
自信無くして当たり前です。

人との比較はしないことが一番良いです。が、それができないなら、みんなも似たり寄ったり同じ人間。得意不得意があるだけの話。大切なことは誠実さです。←ここがわかると少し楽になれます。

自分のありのままが一番。それ以上はないのですから、それで良い。知識が必要なら身につけたらいい。覚えられないなら、スマホの時代、知識はスマホにお任せ。
あとは人間力です。

真面目な性格のようですので、ありのままの自分に不足なんてないということを知るべきです。それ以上でも以下でもない。ありのままが全てですから、そこに満足することです。
比較、卑下はいりません。

名前を呼ばれたら大きな声で返事をする。間違えたら謝れば良いだけ。
それで良いのです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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