過去に言われた言葉が気にかかってしまう
私は幼少より体格が小さく、冴えない見た目もあって人に軽くあしらわれながら生きてきました。中学に上がったのをきっかけに、せめて勉強を頑張って人に認めてもらおうと努力していたように思います。
努力の甲斐あって成績が上がりはじめたある時、授業中に隣の席の優等生から、なぜ君はそんなに勉強を頑張るのかと聞かれました。私は努力して人に認めて欲しいとか、志望校に入りたい、幸せになりたいからと答えましたが、彼は納得せず、なぜ、なぜと詰問を繰り返すだけでした。要領の悪い私は真面目に悩み、ついには彼の問答に窮してしまいました。その様子を見て彼は満足そうにしていたのを覚えています。
その日から、私は何かへ努力する時、ふと彼の「なぜ」という言葉が聞こえ、集中できなくなりました。結局私の成績は転落して中途半端なものとなり、気持ちも塞ぎがちになりました。どうにか志望校に入れましたが、努力しようと奮起すると彼の言葉が頭に響き、憧れの志望校でも落ちこぼれとなり、同級生からは馬鹿にされて3年間を終えました。その後2浪してどうにか志望大学に入れましたが、そんな様子だったのでその後も冴えない生活を繰り返し、社会人になった今も上司から怒鳴られながら日々業務をこなしています。
努力しなければ自分のような人間は幸せになれないと思い、彼の言葉にも心の中で無視を決め込んで、これまでやり過ごしてきました。誰かに相談しようとも思いましたが、相手も自分と同じように悩んでしまっては申し訳ないと、なかなか話せずにいました。
しかし大学の時にふとすれ違ったグループが、勉強を頑張り始めた人に対してしきりに「なぜ勉強を頑張るんだ?」といやらしく笑いながら問い詰めて、相手が困っているのを楽しんでいるのを見た時に、この手の嫌がらせは割とよくあることで、困っている人はたくさんいるのではないかと思い、今回相談させていただきました。
こんなことで10年以上も悩み、努力を怠ってきた言い訳にしていた自分を恥じております。しかし、果たして私は彼の問答にいかに答えれば良かったのでしょうか。仏教は問答を繰り返す中で悟りを見出すと聞きます。どうかこの問答を断ち切り、前を向いて生きるための言葉を授けていただければ幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愚かな問いなど逆に笑い返してやりましょう
こんにちは。
「こんなことで10年以上も悩み、努力を怠ってきた言い訳にしていた自分を恥じております」と書いています。「恥じ」る必要性はありません。あなたは、理不尽な問いであっても正面から誠実に考えている、そういう人柄をもてたことを誇りに思うべきです。
いつの世でも、努力を嗤う人間はいます。
また、いつの世でも本当に努力をしている人は人を嘲ったりしません。
努力の大変さが分かっているからです。
そして、いつも努力していない人間が、自分の努力してない現状を正当化するために嗤って見せるのです。さも、結果は変わらないかのように決めつけて。
「要領の悪い私は真面目に悩み、ついには彼の問答に窮してしまいました。その様子を見て彼は満足そうにしていた」と書いていますね。彼は、脇目も降らず努力した人でしたか。内心、あなたを羨んでいたか、はたまた自分の芳しくない現状を覆い隠すために、あなたをからかって努力が所詮は空しいという結論を無理やりこじつけたかったのだと思います。
だから、「なぜ、なぜと詰問を繰り返すだけ」で、「納得」しなかったのです。最初から、努力は空しい、その結論以外は受け付けないつもりだったからです。
経験上、社会人になってからその学歴でそんなもんか、という嗤い方をする人がいることを知っています。これは、結果論からその人の努力の軌跡を否定する言い方です。
それは、人間完璧じゃないからミスもします。欠点もあるでしょう。
しかし、その人が努力をした経緯自体に変わりはないはずです。
学歴であろうが、資格であろうが、結果的に成功しようが、失敗しようがその人の努力があったことに変わりはありません。その努力の軌跡を何人たりとも否定するなどできません。
努力を否定する人間は、常に努力をしていない人間です。
努力をしないことに安住しようとする人間です。
努力ができない焦りを、努力そのものを否定することで自己正当化している、その自分に気が付けない気の毒な人間です。
努力すること自体が素晴らしい。
結果がついてこようとも、こまいとも。
愚かな問いなど逆に笑い返してやりましょう。
努力してから問え、と。
追記
ご丁寧にご返信ならびにお気持ちを運んでくださり誠にありがとうございます。お役に立てて嬉しいです。
これまでのあなた通り、努力そのものを大切になさってください。では。
質問者からのお礼
ありがとうございます。住職様のお言葉にどれだけ救われたか分かりません。
長かった彼からの詰問からようやく解放され、前を向いて生きて行けそうです。
本当にありがとうございました。