俗世間から離れたい
こんにちは。
私は昔から内向的な性格で、人の社会の中でやっていくことが非常に苦手だと感じています。そのため、人との交流を避ける傾向があります。
最近では、その傾向が強くなってきたように思います。世の中との関わりを絶とうとしている自分に気が付き、しかし本当にこれで良いのか迷っているのです。
最近の私は、世の中に溢れている沢山のものから故意に自分を孤立させようとしている気がします。例えば… 私は、流行のものを知ろうとしないどころか、知ることを嫌います。私は、ビデオゲームを一切しません。私は、本や漫画も読みません。私は、好きだったテレビ番組もだんだん観なくなりました。私は、好きだった音楽も全く聴かなくなりました。私は、SNSを見ません。私は、友達が何かを勧めてきても、自分の世界を壊されたくないので、その新しいものを知りたくなく、拒絶します。…
何故なのか、自分なりに考えてみました。そうしたら、こんなことが浮かんできました。
1,世の中に溢れているものは、私には刺激が強すぎる。私は多分感受性の高い人間なので、楽しい事を知ってしまったら激しく舞い上がる。しかし、その後には反動で落ち込んでしまう。→だから、何も無い状態「無」の方が心が安定する。(と思っている。)だから、自分なりに保っている心の平穏を刺激物らによって壊されたくない。よって、拒絶する。…
実は私、近年仏教に興味を持ち始め、色々調べていました。私が心の平穏・無の境地に憧れているのも、世間から離れた所にいたいのも、そういう聞きかじりの知識から来ているのかもしれません。
しかし、私の今のやり方は間違っているようにも思います。
私のように過剰に世間との関わりを絶とうとするのは、病的でしょうか?
「関わりを絶つ」という目標に執着しているのでしょうか?
仏教的には、俗世間からの刺激あれこれを過剰に避けるよりも、俗世間の中にいながら受け流せるようになる方が良いのでしょうか?
また、私はまだ「人々は何か世間で楽しいことをやっているぞ、いいな。」と他人が世間に溢れる刺激の中で暮らしていることを羨む気持ちも捨てきれていないのです。
この機会に、本物のお坊さんとして生活していらっしゃる方にぜひご意見を頂きたいと思い、質問させて頂きました。拙い文章でお見苦しいところもあるかと思いますが、ご回答を頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご縁はよりあなたを豊かにしていく
こんにちは。
俗世間か、出世間か、揺れるお気持ちが伝わってきます。
「仏教に興味を持ち始め、色々調べて」いるのですね。
仏縁があるのはありがたいことです。
大切に育てていっていただければと思います。
「俗世間からの刺激あれこれを過剰に避ける」か、「俗世間の中にいながら受け流せるようになる方が良いの」かと煩悶しているのですね。
仏教は、学であり行でもあります。
つまり、考えることも大切ですが、身を投じて肌で感じるということも同じくらい大切なのです。例えば、お味噌汁を成分表で知ることもいいですが、飲むのもまたいいということですね。
あなたは、まだ宗派としては絞り切れていないようです。
これには、僧俗ともに在俗が前提の宗派もあれば、僧は出家で俗は在俗のままが前提の場合があります。あなたが、今後在俗のままなのか、或いは僧を目指すまでに願うのか、様々な宗派に触れてみるのもいいでしょう。各宗派で、法話を聞く機会がオープンであったり、座禅会があったりなどしますから、どうぞ気持ちの向くまま、調べてみてください。
また、仏教は縁でつながるものでもあります。
私がご縁を選ぶというより、ご縁によって導かれるという一面があるということです。その意味では、既にお家の宗派があればそこから触れてみることはよいことだと思います。
あなたが仏教に触れていく過程で、様々な方との出会いがあるでしょう。
それは、僧侶であり、宗派を同じくする同朋かもしれません。
そのふれあいの中で、仏教は、仏教によるご縁はよりあなたを豊かにしていくでしょう。
せっかくの仏縁です。
私とのこのやり取りも既にその一つです。
大切に育てていってください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
知識として知るだけでなく、実際にお寺などに足を運び、催しなどに参加してみることも大事なのですね。
これからの人生、仏教宗派に始まる色々な考え方に触れ、生き方を自分なりに模索してみたいと思います。
hasunohaの様な、仏教により身近に触れることが出来る場所があって良かったと思います。そのお陰で、最初の小さな一歩・きっかけが掴めたような。
沢山の方の尽力によってこの機会が与えられたことを理解し、ご縁に感謝いたします。