過去の過ちに怯えています
目にとめて下さってありがとうございます。
5歳くらいのときに、大きな過ちを犯しました。
その時は本当に浅はかで、悪い事だとは思わず、
何も考えずにしてしまったのです。
幼い頃のことだからか、
本当に自分の思い出しているとおりに
悪いことをしていたのかもわかりません。
償う相手も、沢山調べましたが、もうわからなくなってしまいました。
何日も何日もこのことで思い悩み、
馬鹿なことをした、もう許して貰えない、誰にも分からない、自分しか知らない自分の罪だから、裁いてもらうことも出来ない。どうしよう。
こんなに不出来な娘をもって、親は不幸だ。
こんなに善悪の判別もつかない子供で、
私はおかしいんじゃないか。いつか大きな罪を犯して、もっと親や人を悲しませてしまうんだと、
眠れなくなるほどに思い詰めてしまいます。
耐えられず一度相談したり、色々な動画を見ていくと、「過ちを繰り返さないと思うことが反省であり、後悔で自分を追い詰めても仕方ない」「これから人や自分を幸せにしなさい」と、励ましてくださる動画が多く、驚きました。
でも、「これから恩返しをするから」といって、明るく生きたとて、知らぬ間に私に傷つけられた人は納得するのでしょうか。
「これから善行をして生きるから」と思うことは、開き直りではないのでしょうか。
もちろん、私も嫌なことをされたことはありますが、した人を今更恨んだり、謝って欲しいとは思いません。もし眠れないほど悩んでいるのなら、私から「もういいよ。毎日美味しいご飯を食べて幸せに暮らして欲しいよ」と声をかけてあげたいとは思います。
でも、「私」はダメだと思います。
私はそんな声掛けをしてもらえる立場でもなく、
これからの善行は当然であり、尚のこと罪の意識を強く持って苦しみ続けるべきだと思っています。
でも、反対に、苦しくて苦しくて、ごめんなさいとひたすらに謝る自分もいるのです。
どうしたらよいでしょうか。
悪気なくやってしまったことも、許されないでしょうか。
救いようのない人間はいるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悔いてばかりでは、周りにも迷惑になる
過ちを起こさない人はいません。
子供の頃は悪気もなく、小さな虫を殺してしまったり、花や草をむしり取ってしまったりするものです。
それは当たり前のこと、我々は命をいただいて生きています。
仏教徒は懺悔(さんげ)をし、過ちを悔い改め、良いことをして生きていこうと誓うのです。
以下のお唱えごとをして、しっかり赦されっぱなしの今を生きるのです。
懺悔文
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
無常であることで、過去を引きずることもなく生きられるようになっているのです。
そうした自分自身に目を向けて生きていきます。
思いは引きずられます。しかし、体は今を生きています。あなたの身体から学んでください。
仏様はどんな過ちをも赦してくださいます。しっかり良いことをして、人のために生きてみてください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
お礼が大変遅くなり、申し訳ありません。
悔いてばかりいては
確かに周囲になにもできないまま、
より深く一人になってしまうばかりだとはっとさせられました。
今私が居ることを許してくれる
いろいろな人や仏様に感謝し、
赦されっぱなしの今を
一生懸命生きたいと思います。
本当にありがとうございます。